インタビュー前編でご紹介したとおり、原子核物理学の分野で優れた業績をあげてきた理化学研究所(理研)の初田哲男博士。現在は、2016年11月に始動した同研究所の数理創造プログラム(iTHEMS)のグループディレクターとして、数理科学を軸とした分野横断型研究を進めている。2015年のNature誌のインタビューで、日本における分野横断型研究の取り組みは、海外と比較して遅れをとっている状況にあると初田博士は指摘しているが、今後、新たなイノベーションを生み出していくために異分野の研究者同士の相互作用は必須であるといえる。日本での分野横断型研究の成否を握るiTHEMSについて、初田博士にお話を伺った。

【インタビュー前編はこちら】理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」

——まずはiTHEMSの概要と立ち上げられたきっかけについて教えてください。

iTHEMSという名称は、Interdisciplinary Theoretical and Mathematical Sciencesの略です。理論科学や数学、計算科学の研究者が分野の枠を越えて基礎研究を推進する新しい国際連携研究拠点となることを目指し、昨年11月に立ち上がりました。その前進は、2013年に始動した数学(Mathematics)のないiTHESです。

理研にやって来る前、私は東京大学の理学部物理学科に所属していました。大学では物理学科、化学科など各学科に分野が分かれていて、建物も異なり、それぞれの学生を教育しなければならないため、他の分野の人と共同研究するバリアが大きいといえます。興味はあるけれども、教授会で少し話す程度で、それ以上話が進まないということに課題を感じていました。

理研を外から見ていると、いろんな分野の人がいて、しかも同じ建物のなかで一緒にやっているなぁという印象を持っていましたが、実際に入ってみると確かにそうでした。特に理論物理、理論化学、理論生物学など理論系の研究室の話を聞いていると、もちろん対象は違うのですが、背景にある数学的な手法は共通する点も多くあると感じました。それを横軸にして、たとえば物理の研究者が生物をやったり、生物の研究者が物理をやったりと、お互いに専門分野の手法を輸出したり輸入したりできれば、新しいものが生まれてくるのではと考え、まずはiTHEMSの前身となるiTHESを立ち上げました。

——前身のiTHESからはこれまでにどういった成果がでてきていますか。

たとえば、理論物理の研究者が、エンジニアと一緒に“透明マント”の理論を作ったり、生物物理の研究者と一緒に染色体分離のメカニズムについて明らかにしたりなどといった成果が出ています。染色体の研究を行った研究者は、もともと理研の原子核理論の研究員として採用されたのですが、この成果が高く評価されて、今は東大医学部の助教として活躍しています。そういう意味で、キャリアアップの場としても機能しているといえますね。非常に良い枠組みになってきているなと感じています。

——初田先生も、生物物理の研究者との共同研究で、魚の網膜に関する研究を行われていると伺いました。この研究について詳しく教えてください。

iTHES研究員である理論物理学者の小川軌明さんを中心に、私と数理生物学者の望月敦史さん、立川正志さんが共同研究しています。

眼の構成要素である網膜では光の強度や色を感知しています。魚の場合、赤・緑・青色の光と紫外線に対応した4種類の光受容細胞を網膜上に持っています。ヒトの網膜では、光受容細胞はまばらに点在しているのですが、魚の網膜では、その4種類の細胞がきれいなパターンを作ってびっしり並んでいるんです。しかもそのパターンは、メダカ、ゼブラフィッシュ、サケなど、魚の種類によって異なります。

これは実は、二次元の壁紙群という数学的な問題に置き換えられます。壁紙群の表現論では、可能なパターンは17種類しかないことがわかります。実際に、メダカやゼブラフィッシュなどはこの17種類のうちのいずれかに対応しています。私たちは、4種類の細胞がなぜ、そしてどのようにしてそれらのパターンを形成しているのかということを研究しています。

——その問題に対して、理論物理学的にはどういったアプローチをとるんでしょうか。

物理の世界では、アップスピンとダウンスピンという2種類のスピンの相互作用を考えて、磁性を理解しようとします。4種類の細胞は、4種類の方向があるスピンのようなものであると考えると、網膜のパターンは、それらがお互いに相互作用してできる一般的な磁性の問題として数学的に捉えることができます。すると、各パターンのうち一番エネルギーの低い状態を求めるという物理学の問題にも焼き直せます。なぜそのパターンが安定で、どういうパラメータの値であればそのパターンになるのかということが計算できるようになるのです。

——細胞の問題を、物理の言葉で表現できるということなんですね。

特に私たちが着目したゼブラフィッシュの場合、網膜の中心から放射状にパターンができているのですが、原理的には同心円状のパターンもありえます。その2つのパターンは、エネルギーの値を計算するとまったく同じになります。ところが実際のゼブラフィッシュの網膜は、放射状パターンしかありません。なぜ一方のパターンのみしか表れないのかということは、長いあいだ謎とされていました。私たちはこの問題にも取り組みました。

魚の網膜のパターン(画像提供:初田哲男博士)

——これは物理の視点から見るとどのように考えればよいのですか。

物理の言葉でいう「揺らぎ」と関係しているといえます。揺らぎに対する安定性を考えるんです。実際に網膜のパターンができる際には、周りから細胞が集まってきて形作られていくのですが、その過程では、細胞があっちにいったりこっちにいったりと揺らぎながら細胞同士がくっついていきます。この揺らぎに対して、引きつけやすいパターンなのかそうでないパターンなのかを計算することができます。

すると、エネルギーは同じなのですが、周りの揺らぎに対する安定性まで考えると、放射状パターンの方が安定になるということを式の上で示すことができました。いくら途中で同心円状のパターンができそうになっても、ゆらゆら揺らいで放射状パターンの方に行ってしまうんです。

——なるほど。iTHEMSの前身であるiTHESからは、そういった分野融合型の研究成果が実際に出はじめてきていますが、そこに新たに数学(Mathematics)を加えようと思われたのはどうしてですか。

理研には数学が抜けていると感じていたからです。理研の初代所長である菊池大麓さんは数学者でしたが、それ以来、理研では本格的な数学者が研究室を持ったことはなかったんです。

私たち理論物理学者が使っている数学って、微分方程式や固有値問題など、19世紀から20世紀初めの数学なんですよね。数学自身は、20世紀半ばから現代に至るまで相当な抽象化が進み、さまざまな枠組みができているのですが、それらの分野と相互作用する機会がなく、生かしきれていないという課題を感じていました。一方で数学者も、他の分野でも使えるはずの成果が、応用につながっていかないという問題を感じていることがわかってきました。

海外では、数学を他の分野に生かそうという流れができてきていますが、日本ではまだまだ弱いです。理研にはいろんな分野の研究室があるので、そこに数学者が入ってくると、それを核としてさまざまな繋がりができるのではないかと考えました。

——2015年のNature誌のインタビュー記事のなかでも、日本では分野横断的な研究は海外に比べて遅れをとっていると指摘していらっしゃいました。いろいろな要因があると思いますが、分野横断的な研究が進まないいちばんの原因はどこにあるとお考えですか。

私自身のアメリカでの経験も踏まえて感じるのは、異分野融合に必要なメンタリティをもった人たちが育っていないということです。その原因は、”環境”に尽きると思うんです。「分野を飛び越えておもしろいことをどんどんやろうよ」というメンタリティをもった人が、上の立場の人たちに少ない。そういった環境で育っているから、若い人も当然同じようなメンタリティになっていく、このような流れが環境としてできてしまっていることが問題だと思っています。

数理科学以外のサイエンスの分野でも、さまざまな人とのコラボレーションが新しいことを生むきっかけになっているというのは確かです。本当に突拍子もない新しい発見というのは、ずっとその道をやってきた専門家ではなく、ちょっと違う分野からやってきた人が見つけたりするものです。ですので、そういうことができるような雰囲気をiTHEMSでは作っていく必要があると考えています。

——iTHEMSでの具体的な取り組みを教えてください。

iTHEMSは、私と、副プログラムディレクターである数学、計算科学、生命科学の研究者、それに連携促進コーディネーターの計5名が全体を見渡しながら運営しています。組織は、その5名がそれぞれグループを作るのではなく、全員がひとつの箱のなかにいて、みんながお互いに交流できる形にしています。

前身のiTHESは、もともと理研にあった様々な理論研究室をひとつのグループとしてまとめた形なので、ある意味でチーム構造になってしまっていて、お互いの相互作用がスムースにいかない場合もあるということに課題を感じていました。

そこで、チームを作らずに、ひとつの箱のなかで一緒にやりましょうということにしたのです。ただし、それだけでは何も生まれてこないかもしれないので、「極限宇宙」、「生命進化」、「数理と人工知能」、「新しい幾何学」という核となるような大きなテーマを4つ立てています。たとえば、幾何学といっても、数学者だけでなく、物理学者も生物学者も一緒になったゆるいグループを作って、共同研究をしていくというイメージです。我々はこれをセルと呼んでいます。

——研究者同士の交流を促すための工夫は何かされていますか。

毎週金曜日に、Coffee Meetingを開催しています。Coffee Meetingは、15分程度のプレゼンテーションを昼食をとりながら聞き、そのあと研究者同士が自由に交流するというものです。Coffee Meetingへの参加はiTHES/iTHEMSの研究者の義務としています。たとえば、物理と数学って、近いようでやっぱりぜんぜん遠くて。喋る言葉も考え方も違うので、日常的な交流が必要だと考えたんです。日々会話をしていくなかで、「あ、こういうふうに喋ればわかってもらえるんだ」という気づきをトライアンドエラーで得ていくしかありません。

Coffee Meetingの様子(写真提供:iTHEMS)

一方で、他分野の深いところまで知る必要もあります。そこで、数学の研究者に、月に何回か専門外の研究者に向けたレクチャーをやってもらうという取り組みも始めました。今は第1号として、結び目理論の研究者に、数学のことを知らなくてもわかるようゼロから理論を説明してもらっています。考え方や概念がわかるので、すごく勉強になりますね。それに、こうしてひとたび突破口が開けると、みんな研究者ですから、自分で勉強できるんですよ。きっかけがわからないだけなんです。

そのほかに、社会のなかでどのように数理や理論が使われているかを学ぶ産学連携レクチャーも開催しています。それがきっかけで、自分たちで人工知能の勉強会を始めた研究者もいますよ。このようにして、これからもいろんな仕掛けを作っていかないといけないですね。

結び目理論の講義の様子(写真提供:iTHEMS)

——分野横断型研究の推進に向けては、やはりさまざまな課題もあると思います。

若い人が、いろんなことに手を伸ばしすぎてしまって中途半端になり、進路に困ってしまうというリスクがあります。学生を育てる役割を持つ大学では、特に気をつけなければいけません。大学で学位を取得する際には、きちんと専門分野で一定の仕事をやりきる必要があると考えています。そういう人が学位取得後に分野融合型の組織に入って視野を広げて、違う分野の研究室に移っていくということであれば、成功率は高いと思います。iTHES/iTHEMSの若手研究者も、自分がこの先どういう方向にいけばよいのか、それぞれに悩みを持っていると思うんです。それに対しては、ロールモデルをいくつも作っていくしか手はありません。

——しっかりした専門性が土台にあるからこそ、他分野でも活躍できるということなんですね。

もうひとつ感じている課題は、分野融合に対する意識の温度差です。理論物理が専門の研究者は、おもしろいことはなんでもやってやろうというメンタリティを持つ人が多いですが、物質科学や生命科学のように、特別な対象に密着して、それを深く理解することが研究の重要な側面になる分野もあります。多様な現象を個別に深く理解することと、全体をカバーしうるユニバーサルな理論を作ることは表裏一体でいずれも重要なので、両者をバランス良く折り合わせて分野融合の意識を醸成していかねばなりません。生命現象の理解から生まれた新しい理論が、物理学の進歩に大きく貢献するようなことがあればすばらしいな、と考えています。

数学については、現代数学を実際にいろんな分野の科学に応用できるようにするためにはまだまだ相当なギャップがあると感じています。数学者の喋っている言葉を聞いても最初は皆目わからないので、それをちゃんと自然科学者が理解して使える形にしていくということが必要です。それは、数学者だけではできないし、私のような自然科学者だけでもできません。そこの擦り合わせをうまくやるというのは、1年や2年でできることではありません。

——長期的な視点で取り組んでいく必要がありそうです。現在、iTHEMSでは若手研究者を募集されています。採用基準としてどういった方を想定されていますか。

大切なことが2つあります。ひとつは自分の専門分野で世界的な成果を挙げているということ。そういう人が他の分野の研究者と相互交流してこそ、本質的に新しいことができるのです。もうひとつは、現在、他の分野の人と仕事をしていなくても、他の分野から何かを吸収したい、そして自分も何かを提供したいというような意識を持っていることです。どんなに優秀で高い業績をあげている人でも、他の分野には一切興味がないとなると、この組織で活躍してもらうのはなかなか難しいと思うので。

——昨年始動したばかりのiTHEMSですが、これからどういった組織にしていきたいとお考えですか。

たとえば、研究者同士の交流の結果、自然発生的にでてきたグループに予算を付けて共同研究が進むような仕組みを作り始めています。その第1号として、宇宙の観測データを機械学習で解析しようというアイディアを持ったグループが立ち上がっています。また、数学と生物の若手研究者が一緒になって、生命現象を結び目理論で理解するという共同研究や、物理学の若手研究者と体育学の研究者が一緒になって、スポーツ技術を数理科学で理解するという共同研究が動きはじめています。こういったボトムアップ的なプロジェクトをどんどん若い研究者に立ち上げてもらって、数年掛けて成長させていくと、次第にiTHEMSの全体像が見えてくるのかなという気がしていますね。

ただしファンディングという視点でみると、我々の活動を理解してもらうことは簡単なことではありません。成果やゴールがはっきり見えていないと、予算獲得のための説得が難しいですから。良い成果を積み重ねながら予算を獲得し、それを糧にちょっとずつ土壌を肥やしていくという、財源確保と土壌整備の両面を進めていかなければならないと考えています。iTHEMSは大目標があってみんながそれに向かっていくようなシステムではないので、何が出てくるかはわかりません。だからこそ、何が出てきても発展させていけるような土壌を肥やしていきたいですね。

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インタビューで、若手だけでなくシニアーな研究者が異分野融合の意識を持つ必要性を語っていた初田博士。現在でも、月に1本論文を書くことを目標としており、まさに自ら率先して現場での分野横断型研究を進めているという。そのおかげもあってか、iTHES/iTHEMSの若手研究者の方々も研究者同士の交流に積極的で、筆者が参加させていただいたWine Meeting(※夏の期間だけはCoffeeがWineになるそうです)では、何気ない会話からいろいろなコラボレーションが生まれてきそうな雰囲気を感じることができた。今後のiTHEMSの活躍に注目だ。

【インタビュー前編はこちら】理研・初田哲男博士、原子核物理学について語る。「その瞬間は、手が震えました」

研究者プロフィール

初田哲男(はつだ・てつお)博士
1958年大阪市生まれ。1986年3月京都大学大学院理学研究科物理学第二専攻博士課程修了。理学博士。京都大学大学院理学研究科 助教授、東京大学大学院理学研究科 教授、理化学研究所 主任研究員などを経て、2016年より理化学研究所 数理創造プログラム(iTHEMS) ディレクター。専門は、ハドロン物理学の理論および数理生物学。iTHEMSのホームページはこちら

この記事を書いた人

周藤 瞳美
周藤 瞳美
フリーランスライター/編集者。お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。修士(理学)。出版社でIT関連の書籍編集に携わった後、Webニュース媒体の編集記者として取材・執筆・編集業務に従事。2017年に独立。現在は、テクノロジー、ビジネス分野を中心に取材・執筆活動を行う。アカデミストでは、academist/academist Journalの運営や広報業務等をサポート。学生時代の専門は、計算化学、量子化学。 https://www.suto-hitomi.com/