量子コンピューティングや量子暗号に代表されるように、かつては見ることさえ難しかった量子は、測定技術や周辺テクノロジーの進歩によって「操作の対象」となり、現在ではさまざまな分野での応用が進む。未来社会の基盤となりえるこうした量子技術の発展には、他の領域や業界同様、人材のダイバーシティを確保することが重要だ。

2021年9月28日に開催された量子技術教育プログラムサマースクール内のスペシャルセッション「量子技術人材におけるジェンダー平等」では、ジェンダー平等、ひいてはダイバーシティを推進していくうえで必要となる考え方について、2名の講師の経験をもとに議論が繰り広げられた。本稿では同セッションの様子をレポートする。

学問の発展にもダイバーシティは必要不可欠

本セッションの座長を務めたのは、理化学研究所 川上恵里加氏。あらゆる組織でダイバーシティの重要性が叫ばれているなか、日本の量子技術分野を見渡してみると、その人材のほとんどが日本人男性であると指摘する。そして、2018年にNature Communications誌で発表された論文の内容について紹介した。

理化学研究所 川上恵里加氏

同論文では、論文引用数と、各著者の民族・年齢・ジェンダー・所属先といったダイバーシティを表す指数との関係が分析されており、ダイバーシティが高まるほど論文の引用数が増大するという結果から、研究を担う人材におけるダイバーシティの必要性が主張されている。

なぜ多様性が必要か。左はダイバーシティ指数と論文引用数の相関を示す。ジェンダーのダイバーシティ指数においては、たとえば女性の少ない物理学の分野や男性の少ない家政学の分野は論文引用数が少ない傾向がある。

特に、研究分野別のジェンダー多様性指数をみると、量子技術を含む物理学分野は、論文引用数とジェンダー多様性指数の双方とも低くなっていることがわかる。

上図の左下図を分野別に色分けしたもの。

この結果を踏まえて川上氏は、「量子技術はまだ新しい研究分野。これから盛り上げていくためには、ジェンダーバランスを含め、ダイバーシティを高めていくという方法もありえる」と、学問分野の発展においてもダイバーシティの推進が重要であるとの考えを示した。

依然として低い物理系の女子学生比率

1人目の登壇者は、電気通信大学レーザー新世代研究センター 准教授 丹治はるか氏。「ママ研究者、奮闘中」と題し、自身の経験をケーススタディとして、一女性研究者の立場からジェンダー平等およびダイバーシティに関する考えを発表した。

電気通信大学レーザー新世代研究センター 准教授 丹治はるか氏

丹治氏の専門は、量子光学。同業の夫と共に3人の子どもを育てながら、日々研究に取り組む。修士課程までは日本の大学で学び、博士課程で米国へ留学。帰国後は、民間の研究所での勤務を経て、大学教員の道を選んだ。

ジェンダー平等という観点から、丹治氏はこれまで所属してきた組織の女性比率を振り返る。学部時代に所属していた物理学科は79名中女性1名、修士課程に進むと約130名中女性2名、研究室内も学生・スタッフ含め女性1名という環境だったことを踏まえ、「量子技術人材に限った話ではなく、その分野に進学する女性が増えなければ、その分野の女性が増えないのは当然のこと」と、まずは学生のジェンダーバランスを考慮することの重要性を指摘する。一方で、現在所属する電気通信大学の物理系3プログラム(電子工学・光工学・物理工学)では、3年生の女性率が10%を超えるという状況を紹介し、自身の学生時代と比較して改善されてきている様子があることも明かした。

とはいえ、まだ圧倒的に物理学分野の女性比率は低いといえる。丹治氏は、こうした状況に至っている原因について「『女の子だったらこういう道に進んだほうが良い』というステレオタイプが健在なのでは。家族の反対で学部から大学院への進学を断念するケースは女子学生に多い印象」と、進路の選択を迫られた際に女性のほうが家族からの反対を受けやすいことを1つの要素としてあげる。

「当たり前」は人それぞれ違う、皆がやりたいことをやれる環境を

丹治氏自身は、進学に際して家族の反対はなかったという。自身の進路や人生の転機には、修士課程での休学、博士課程での留学、出産という3つの出来事が大きく影響しているとする。

丹治氏は、修士課程のときに半年間休学し、アルバイトをしながら自分自身を取り戻す期間を設けた。当時を振り返り「たった半年という期間ではあったが、それまでレールを外れずに生きてきた自分にとっては大事件だった。休学したことで、『レールを外れてもいいんじゃないか』と思えるようになった」と、固定観念にとらわれないことの重要性に気付かされたという。

そして、休学中に自分の興味について突き詰めて考えた結果、米国への留学を決意する。少なからず不安はあったというが、米国で6年間のPh.Dコースを全うし、博士号取得に至る。

「現地の人たちはものすごくエネルギッシュで、研究室にいるあいだは脇目もふらずに研究をしていた。仕事を効率的にこなして遊ぶときには遊ぶというメリハリもあった。構成員の価値観・国籍・宗教なども多様。女性比率も物理専攻内で25%程度、実験グループに至っては5名全員が女性という時期もあった」(丹治氏)

留学中に多様な価値観に触れ、「当たり前」は人それぞれ違うということを、身をもって知った丹治氏。「それまでは人の目を気にして生きてきたが、当たり前が何なのかわからない以上、人の目を気にしてもしょうがない、自分は自分として、やりたいことをやればよい」という考え方に変わっていったという。

また、留学中には、「とりあえずやってみればなんとかなること」、「困ったら助けを求めればよいということ」も学んだという。帰国後に出産を考えたときや普段の家事育児にも、この経験は活きたという。

「母親にしかできないことは意外とそこまで多くない。男性研究者が保育園のお迎えに行く姿も最近よく見られるようになった。プライベートと仕事両方を完璧にこなすのではなく、できることをできる限りのクオリティでやるという意識で、お助け家電やレトルト食品、外食なども活用し、夫と分担しながら家事育児に取り組んでいる」(丹治氏)

丹治氏は、こうした自身の経験を踏まえ、将来について悩んでいる学生や若手研究者に対して、「価値観は人それぞれ。正解はない。固定観念にとらわれずに自分がやりたいことをやってみるとよいのでは? やろうと思えればなんとかなる。あまり深く考えすぎずにやってみること、困ったときには遠慮なく助けを求めることも重要」とメッセージを送った。

また、ジェンダー平等に関しては、特定の環境における女性比率に焦点が当てられがちだが、丹治氏は、「誰もが自分のやりたいことを実現できているかどうか」を考えることのほうが重要であるとする。そして、「男性も介護や自身の病気など、いつどのような理由でこれまでどおり働けなくなるかはわからない。ジェンダーに限らず、多様な価値観・ライフスタイルが認められれば皆が楽になる。楽になれば、チャレンジしてみようという意欲も湧くはず」と、ダイバーシティについて考えるべき当事者は全員であるとしたうえで、「多様な人材を許容でき、多様な働き方が可能な環境をつくることで、誰もがやりたいことができる環境を構築していくことが大切」と力を込めた。

モメンタムの形成には、多様なバックグラウンドを持つ人の参画が必須

続いて、量子技術分野の民間企業で働く女性の立場からダイバーシティの在り方について問題提起したのは、QunaSys COO 松岡智代氏。「女性の視点から、これまでのキャリアを振り返る」と題し、男性が多い業界における女性ならではの苦労や働き方の工夫について紹介した。

QunaSys COO 松岡智代氏

QunaSysは、量子コンピュータ向けのソフトウェア開発に取り組むスタートアップ企業だ。松岡氏は現在、同社のCOOとして事業開発や経営管理の取りまとめを担当している。大学院生時代の専門は、材料科学。金ナノ粒子合成の研究でPh.Dを取得後、製造業の技術経営を得意とする外資系コンサルティングファーム Arthur D. Little(ADL)で新規事業創出やイノベーション・マネジメントに携わり、2020年1月に今の会社へ移った。こうしたキャリアを歩むきっかけとなった大学院生時代について、松岡氏は次のように振り返る。

「進学当初は、研究以外の選択肢をあまり考えていなかったが、博士課程1年目に自分は1つのことだけを突き詰めるのに向いていない性格なのではないかともやもやした。博士課程2年目の夏に(アカデミアの)外の世界も見てみようと考え、博士を積極的に採用する外資系企業のインターンに応募・参加したことがきっかけで、世の中には面白い会社がたくさんあることを知り、世界が広がった」(松岡氏)

ADLへ入社したばかりのころは、コンサルティングという業態上どうしても長時間労働になりがちで、クライアントの意思決定に関わるいちプロフェッショナルとして厳しいフィードバックを受ける毎日であったが、やりがいのある大きな案件に関われることも多く、仕事自体は楽しかったという。

アナリストからマネージャーになると、コンサルタントとしての働き方も変化した。他人を活躍させるために自分の能力を使うというマネジメントの難しさを痛感することとなる。「自分のプレイヤーとしての能力に自信があればあるほど、部下のダメなところが気になってしまう。しかし部下の自主性を重んじなければ、大きな仕事や難しい仕事は達成できない。女性のロールモデルがいないこともマネージャーという職の難しさにつながった」と、女性ならではの悩みを抱えていたことも明かした。そして、QunaSysへ入社してからは、量子技術という専門性が高く自分自身がプレイヤーになれない領域だからこそ、マネジメントをよりスムーズに行えるようになったとする。

「量子の領域は、熱意やスキルがある若者と知恵と行動力のある経験者をつなぐ、次世代の技術の翻訳者・媒介者としての役割に期待されているところが大きい。コンサルタントとして技術と経営をつないできた自分のような人間がこの役割を担い、モメンタムを作っていく意義はあると思う。さらにモメンタムを大きくしていくためには、多様なバックグラウンドを持った人が参画して社会を動かしていくことが必要」(松岡氏)

自分の大切に思うことを大切にできる仕組みを

自身のキャリアを振り返ってみると、「どの段階でも女性だからといって差別されることはあまりなかった」という松岡氏。「本気でやることをやっていれば、どんな人でも真剣に話を聞いてくれ、信頼して仕事を任せてもらえた」と語る。一方で、マネジメントを手掛けている際には、仕事に対する男女の意識の差を実感することも多かったという。

「男性は自己評価が高く、勝負に勝つことがモチベーションになる人が多い。この場合、挑戦の機会を作ってあげるほうが伸びやすい。一方、女性は自己評価が低めで、役に立ちたいというモチベーションの人が多い。この場合は、共感・インボルブメントのプロセスが重要となる。いきなり大きなことに挑戦する場を用意するとかえって萎縮してしまうので、段階的に挑戦機会を作るほうが伸びやすい」としたうえで、こうした男女間での傾向の違いには社会的要因がある可能性についても触れた。

そして、松岡氏は、男女問わず、自分の価値観ややりたいこと、何が実現されていれば自分はコンフォタブルに感じるかをまずは理解し、他人の考えを尊重することの重要性について語る。

「よくある勘違いが、長時間労働=不幸せという考え方。私自身、コンサルタント時代は忙しかったが楽しく働けていた。私が一番価値を感じることは、自分でやりたいと思うことに時間とお金を使えるというフレキシビリティで、これも1つの価値観でしかない。世の中にはさまざまな価値観の人がいるということを理解し、自分の価値観を相手に強要しないことが大切。そのためには、バリバリと働きたい人、家族を大事にしたい人……さまざまな価値観を持った人が、自分の大切に思うことを大切にできるような仕組みを社会に実装していくという視点が必要」(松岡氏)

量子技術分野を盛り上げるために

セッションでは質疑応答の時間も設けられており、量子技術分野の若手研究者も交え、活発な議論が行われた。

「ジェンダー平等」というタイトルではあったが、その実現のためには、ダイバーシティという1つ上のレイヤーについても合わせて考えていくことが必要だ。2名の登壇者が指摘していたように、異なる価値観を認めあいつつ、個人の意思や行動を尊重できる環境を整備していくことの重要性がうかがえる会となった。特に、量子技術という新しい領域においては、多様なバックグラウンドを持つ人々が参画できる仕組みを構築していきやすいといえる。同領域における昨今の勢いをより大きなものにしていくためにも、ダイバーシティの推進に本気で取り組む姿勢が問われている。

(文:周藤 瞳美)

[PR]提供:理化学研究所 量子コンピュータ研究センター(RQC)推進室

この記事を書いた人

周藤 瞳美
周藤 瞳美
フリーランスライター/編集者。お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。修士(理学)。出版社でIT関連の書籍編集に携わった後、Webニュース媒体の編集記者として取材・執筆・編集業務に従事。2017年に独立。現在は、テクノロジー、ビジネス分野を中心に取材・執筆活動を行う。アカデミストでは、academist/academist Journalの運営や広報業務等をサポート。学生時代の専門は、計算化学、量子化学。 https://www.suto-hitomi.com/