「私たちの身近なスケールに近い現象にも、未解決問題はたくさんあるんです」と話すのは、慶應義塾大学・白石直人研究員。統計力学を専門とする若手物理学者だ。高校時代は、ミクロな世界を追求することであらゆる自然現象が理解できると考えていたが、必ずしもそうではないことを知り、統計力学のおもしろさに目覚めたという。今回、統計力学の基本的な考えかたと、白石研究員が院生時代に発表した研究成果、統計力学の他分野への応用可能性についてお話を伺った。

 

——白石さんの専門である「統計力学」とは、どのような分野なのでしょうか。

統計力学は、ミクロな要素とマクロな(大きいスケールの)現象をつなぎ合わせる役割を持った分野です。物理学者と聞くと、ものすごく大きな宇宙やものすごく小さな素粒子、極限環境で起きる現象のように「超」のつく世界を研究していると思われているかもしれませんが、実はそれだけではありません。身近なスケールで起きている現象にも、解明されていない現象がたくさんあるんです。

——たとえば、どのような現象があるのでしょうか。

熱湯と冷水を混ぜると、ぬるま湯になります。これはだれでも知っている経験的な事実ですが、ゆるま湯を見せられて、それがどれくらいの温度の熱湯と冷水を混ぜてできたのかと問われたら、わからないですよね。

——そうですね。

このように、偏った状態が均一な状態に向かうこと、一度均一な状態になったら元々どういう状態だったかという情報を完全に失ってしまうことは、熱力学の基礎にある事実です。これは熱湯と冷水を混ぜたことがある人ならだれでも知っている、昔から経験的に知られていた事実でもあります。しかし、逆の変化はなぜ起きないのか、なぜ混ぜる前の情報は完全に失われてしまうのかということは、実はまだ十分には理解されていません。

——混ぜてしまったら元の状態が分からなくなるというのは、当たり前の事実に聞こえますが、一体何が物理学で理解できていない部分なのでしょうか。

水は非常にたくさんの水分子からできています。そして個々の水分子の運動は、ミクロの世界を記述する量子力学のシュレディンガー方程式に従います。したがって、水分子の集団のシュレディンガー方程式だけ知っていれば、水全体の性質、たとえば混ぜる前の状態の情報が完全に失われる理由も原理的にはわかるはずです。しかし実際には、水分子の性質はよくわかっていますが、そこからマクロな水の振る舞いを導くことはできていません。

——超高性能のコンピュータで、膨大な数のシュレーディンガー方程式を解くことができれば、解決するのでしょうか。

実は、そうでもないんです。なぜかというと、熱湯と冷水からぬるま湯ができるような現象は、水特有のものではないからです。この現象は、高温の酸素と低温の酸素を混ぜて室温の酸素ができたり、熱した鉄板を冷たい鉄板に置くと両方同じ温度になったりするように、構成する分子の種類によらずに成り立ちます。つまり、こうしたマクロな現象を統一的に説明しようと思ったときには、分子の種類をはじめとするミクロな情報のすべてがあったとしてもそれだけでは十分ではなく、むしろ大半のミクロな情報は捨てて、その現象に対して本質的な要素だけをうまく拾い上げることが重要になるのです。

——マクロな現象を理解しようと思ったときに、対象を細かく分解して調べる方法だけでは、限界があると。おもしろいですね。白石さんは、なぜ統計力学を専門に選ばれたのでしょうか。

僕も高校生のころは、ミクロな世界を記述する理論がわかれば、マクロな世界を含めたすべての自然現象を理解できるだろうと考えていました。でも、熱湯と冷水の問題のように、経験的に明らかな事実が未だに完全には説明できていないことを知って、驚きました。量子力学と熱力学というよく知られた考えかたが、実はまだ互いにつながった理解ができておらず、単純な現象を説明することすらできない。ここにもどかしさを感じて、きちんと理解したいと思ったんです。そこで、ミクロな要素とマクロな現象をつなぐ統計力学に興味を持ちました。

——白石さんは院生時代に、熱エンジンの効率に関する研究成果を発表されて、ネット上で話題になりました。こちらも統計力学に基づいた研究だと思うのですが、研究の概要について教えていただけますか。

たとえば蒸気機関車は、熱エネルギーを仕事に変換することで走行します。熱エネルギーがすべて仕事になれば理想的なのですが、それは原理的に不可能で、一部は環境に捨てないといけないことが証明されています。19世紀前半に熱エンジンの研究をしていたカルノーは、熱をどのくらい仕事に変換できるかを示す「熱効率」の上限を決める定理を明らかにしました。

——100の熱エネルギーに対して、最大60が仕事になるよ!というようなことを導き出せる定理ということですね。この場合、熱効率が最大60%になると。

そうですね。ここで「最大」とありますが、カルノーは最大効率が実現可能であることを示す際に、スピードを無限に遅くした場合には最大効率が実現できるという議論をしています。時速1km程度でノロノロ走行すれば、最大効率に近い状況になるというわけです。でもそれでは全然実用的ではないですし、ある程度スピードを出している状態で最大効率を実現したいじゃないですか。

——たしかに、そうですね。

しかしカルノーは、スピードを無限に遅くする以外の方法で最大効率が実現し得るのかについては特に論じませんでした。そして、スピードは極めて基本的な量でありながら熱力学ではうまく取り扱うことができず、効率とスピードの関係がどうなっているのかは長らく未解決問題として残されていました。21世紀に入ってから、熱力学やそのほかマクロな系に対する現象論的枠組を用いて考察する範囲内では、最大効率を実現しながらもある程度スピードが出せるような熱エンジンが存在したとしても、特に矛盾をきたさないということが指摘されました。

——ということは、最大の効率を実現しながらスピードを出せる、夢のようなエンジンがあるということでしょうか。

いや、そういうことではないです。ここでわかったことは、マクロな系に対する既存の枠組を使っている範囲では、夢のようなエンジンが「不可能であることを示せない」というだけで、夢のようなエンジンの作りかたを具体的に示したわけではありません。実際、この事実が指摘されたのち、具体的なモデルで計算する研究は多数行われましたが、どのモデルでも最大効率にするとスピードがゼロになってしまうという結果になりました。つまり、不可能であることの証明はないが、できなさそうであることの状況証拠が積みあがっていたという感じです。そして今回我々は、マクロな熱機関の振る舞いをミクロなダイナミクスに分解して考えることで、このような熱エンジンが何をしても実現できないことを一般的に示しました。エネルギーを無駄なく利用したい要望と、短時間で多くのエネルギーを得たい要望は、残念ながら両立できないということです。

——なるほど。「あちらを立てれば、こちらが立たず」の関係になるわけですね。今回の成果で白石さんが最もおもしろいと感じられる部分は、どのようなところになるのでしょうか。

やはり、結果そのものです。100年以上前から知られている熱力学に、非平衡統計力学の手法を用いて普遍的な知見を新しく加えられたことは、大変意義深いことだと思っています。

——今回の研究成果は物理学に関する内容でしたが、物理学以外でも統計力学が使われることもあるのでしょうか。

統計力学のマインドは、物理学以外でも有意義だと思います。たとえば、「生きているもの」を特徴づけるというのは、ひとつの興味深い問題だと思います。私たち人間を含めた生きものは、ミクロに見ればタンパクの集まりにすぎないわけですが、マクロに見るとスーパーで買う肉とは明らかに違いますよね。生きものは反応したり増殖したりしますが、実験室で作ることはできません。バクテリアのレベルでさえ、まだ成功していないです。でも一度死んでしまうと、決して生き返ることはなく、スーパーの肉と同じ状況になってしまいます。

——両者にどのような違いがあるのでしょうか。

この問題は難しくて、物理学的にはどのようにアプローチをすれば良いのかすらわからない状況だと思います。ここで見せたかったのは、統計力学がどのようなマインドで問いを立てるかということです。ミクロの立場ではまったく同じように見えるのに、マクロで見ると片方は生きていて、片方はタンパクの塊に過ぎない。ミクロな構成要素とマクロな現象のつながりを理解したいというのが、統計力学の哲学だと言っていいでしょう。

——他の事例はありますか。

同じ生物学でいうと、細胞内のエネルギーを仕事に変換する分子に「分子モーター」と呼ばれるものがあるのですが、これは先ほどお話した熱エンジンに近い発想で議論できたりします。あと、これは最近本で読んだのですが、進化医学という分野では、腸内細菌を生態系として見たり、がんを多種多様ながん細胞の競争と淘汰の過程として見たりするそうです。これはあくまでも僕個人の見方ですが、こうした方向の研究とは統計力学は相性がよさそうな気がします。一般に、ミクロなものがたくさん集まるとどのように振る舞うのかという視点で考えれば、他にも生物だけではなく、宇宙や経済など、幅広いトピックに統計力学の考えかたを適応することはできると思います。

——さまざまな分野の話題に精通されていますが、白石さんのなかで研究テーマにするかどうかの基準がありましたら、教えてください。

難しいところですが、自分に解けそうな問題かどうかですかね。気になることを見つけたら、まずは簡単な例題を作って試したり、既に明らかにされている結論を改めて自分で追ってみたりします。ここまではただの勉強なので、研究者はその先を考えなくてはなりません。この段階で、「この部分はどうもおかしい」「ここはもうすこし深く調べられそうだ」という着想がどれくらい浮かぶのか、浮かんだとしてそれが自分に解決できるのか、という点を、見極めることが重要だと思います。とはいうものの、問いの立てかたのコツや、着想を得るための方法論があれば、私も知りたいですね(笑)。研究経験を積んだ教授たちには、いつも驚かされてばかりですので。そのレベルに到達するためにも、幅広い知識を身につけながら、これからも研究成果を出し続けていきたいと思います。

研究者プロフィール:白石直人(しらいし・なおと)研究員

2012年3月東京大学理学部物理学科卒、2017年3月東京大学大学院にて博士号取得、現在は日本学術振興会特別研究員PDとして慶應義塾大学に所属。専門は非平衡統計力学。これまでに一高記念賞、日本物理学会若手奨励賞等を受賞。またアウトリーチ活動も幅広く行っており、最近ではテレビ朝日シリーズ「仮面ライダービルド」(2017年9月~2018年8月予定)の物理学アドバイザーも務める。

この記事を書いた人

柴藤 亮介
柴藤 亮介
アカデミスト株式会社代表取締役。2013年3月に首都大学東京博士後期課程を単位取得退学。研究アイデアや魅力を共有することで、資金や人材、情報を集め、研究が発展する世界観を実現するために、2014年4月に日本初の学術系クラウドファンディングサイト「academist」をリリースした。大学院時代は、原子核理論研究室に在籍して、極低温原子気体を用いた量子多体問題の研究に取り組んだ。