10ケルビン(マイナス263℃)の極低温環境に存在する星間分子

宇宙における星誕生の場である星間分子雲は、おもに水素(H2)を主成分とするガスと、星間塵と呼ばれる直径1マイクロメートルにも満たない固体微粒子で構成されます。これまでに発見されている星間分子の総数は150種を超えますが、それら星間分子のなかには、H2や、水(H2O)、二酸化炭素(CO2)など、気相では生成が難しく、おもに星間塵表面で生成するものが含まれます。

極低温(10ケルビン)の星間塵は化学反応の緩衝材として働き、反応の余剰エネルギーを逃がすことができます。そのため、気相反応ではおこりえない単純付加反応(たとえば、気相でOH + H → H2Oという反応は、余剰エネルギーの逃げ場がないために生成物のH2Oが安定して存在できません)が起こるなど、星間塵は星間分子雲での分子生成にとても重要な役割を担っています。

星間塵表面で生成したH2OやCO2などの分子は、星間塵表面で固体として存在することが赤外天文観測で確認されている一方で、電波天文観測によって、ガスとして気相にも存在することが確認されています。それらの分子が気相でガスとして観測されるためには、星間塵表面で生成後に何らかのメカニズムで気相に放出(脱離)される必要があります。

一般的には、星の形成過程で周囲の温度が上昇し、それとともに星間塵上に固体として存在する分子がガスとして気相に放出されると考えられていました。しかし、星誕生前の星間分子雲内部は10ケルビンという極低温ですので、そうした熱的な脱離プロセスはおこりえません。そのため、塵表面で生成した分子がどのようにして気相に放出され、ガスとして存在可能になったのかは、天文学上の謎でした。

反応熱がガス化のカギ:Chemical desorption

化学反応には、反応物と生成物のエネルギーの差によって、エネルギーを放出する発熱反応と、外部からエネルギーを吸収する吸熱反応の2種類がありますが、星間分子雲内部はきわめて温度が低いため、吸熱反応は進行しません。そのため、発熱反応のみおこりえます。

発熱反応の反応熱は反応によって大小さまざまですが、一般的にその大きさは分子の塵表面への物理吸着エネルギー、あるいは水素結合エネルギー(<0.5 eV)よりもはるかに大きいことがほとんどです。そのため、星間塵表面で生成した分子は、反応の余剰エネルギーの一部が使われて塵表面との結合が切断され、気相へ放出されるのではないか、と理論的に予想されました。これが、Chemical desorption(反応熱を用いた脱離)の原理です。しかし、これまで我々のグループだけでなく、世界各国の研究グループが星間塵表面における分子生成に関する実験を数多くおこなってきましたが、 その際にChemical desorptionが起きたという明確な証拠は得られていませんでした。

Chemical desorptionのイメージ図

硫化水素のChemical desorption

我々は今回、硫黄を含む代表的な星間分子、硫化水素(H2S)のChemical desorptionに関する研究をおこないました。具体的には、星間分子雲の超高真空・極低温環境を実験室内で再現し、星間塵の表面物質として知られる低温(10K)のアモルファスH2O氷上でH2Sと水素(H)原子を反応させ、Chemical desorptionによってH2Sが氷表面から脱離するか調べました。この反応は以下の2種の素過程で構成されますが、反応物と生成物がともにH2Sという特徴があります。

H2S + H → SH + H2 (1)
SH + H  → H2S (2)

反応(1)(2)ともに発熱反応で、とくに反応(2)、つまりH2S生成反応の反応熱(3.8 eV)は、H2Sの氷表面への吸着エネルギー(0.1 eV程度)を大きく上回りますので、Chemical desorptionによる脱離が期待できます。

もし反応後に生成物が脱離しなければ、氷表面上のH2S量に変化はみられないはずです。しかし実際に反応後の氷表面を赤外分光法で分析すると、H2S量が明らかに減少することがわかりました。そして、H2Sがその他のSを含む分子(H2S2やHS2など)に変化した形跡は見られませんでした。

H2Sの赤外吸収スペクトルとその時間変化

これらの結果をもって、H2Sは反応(1)(2)により氷表面からChemical desorptionしたと結論できました。2時間の反応終了後には、初期量の60%にまで減少しました。これは世界で初めてChemical desorptionを実験的かつ定量的に観測した例となりました。

H2S量の時間変化

星間分子雲でのH2SのChemical desorptionと今後の展望

H2S量の減少量の時間変化、および星間分子雲における水素原子フラックスから、Chemical desorptionによる脱離効率を見積もることができます。すると星間分子雲内部で起こりうる別の非熱的なH2Sの脱離メカニズムである、紫外線照射による脱離効率に比べて、2桁ほど大きいことがわかりました。これはChemical desorptionが氷星間塵からのH2Sの主要な脱離メカニズムだという強力な証拠となります。

さらに、星間分子雲ではH2Sはおもに星間塵上で生成されますが、これまでの赤外線天文観測では、 H2Sはガスとしてのみ発見され、固体H2Sは発見されていません。このことは、星間塵表面で反応(2)生成したH2Sの大部分が、その直後にChemical desorptionによって脱離したためだと解釈することもできます。

今回の我々の研究では、H2SのみのChemical desorptionを対象とし、想像した以上の成果を挙げることができました。しかし、H2S以外にも星間塵からの脱離にChemical desorptionを必要とする分子が多く存在します。メタノール(CH3OH)がその代表的な分子のひとつです。星間分子のなかで“もっとも単純な複雑有機分子”と呼ばれているCH3OHは、星間分子雲における分子進化に重要な役割を担うとされています。

H2Sと同様にCH3OHなどさまざまな分子の脱離プロセスを実験的かつ定量的に明らかにすることは、星間分子雲における星形成の初期条件を決定するために不可欠です。また、どれくらいの反応熱がどのようにして脱離のために用いられるのか、脱離するために必要な条件は存在するのかなど、Chemical desorptionに関する理論的な解釈もまだ不十分です。そのような状況で、今回の研究がそうした関連研究の扉を開けるきっかけとなることを強く期待します。

今回の実験に用いた超高真空反応装置

参考文献
Oba et al., “An infrared measurement of chemical desorption from interstellar ice analogues”, Nature Astronomy, 2018, DOI:10.1038/s41550-018-0380-9

この記事を書いた人

大場康弘
大場康弘
北海道大学 低温科学研究所 助教、2007年、岡山大学自然科学研究科修了、博士(理学)。ネバダ大学リノ校博士研究員、北海道大学低温科学研究所博士研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)、北海道大学低温科学研究所特任助教を経て2015年より現職。専門は宇宙地球化学。