「無知の知」とメタ認知

私たちは日々生活しているなかで、自身にとって未知の人や物に出会います。そして私たちは、未知の物事を経験したことがないという事実を認識し、その認識に基づいて、自身の行動を変えることができます。たとえば、パーティーや学会で、初めて会う人に対して挨拶する際に、「その人と過去に会ったことがない」という事実に対する確信の程度によって、相手の心を傷つけないように挨拶の仕方を変えることがあるでしょう。このように、自身の認知過程を、主観的に捉えて内省的に評価する能力は「メタ認知」と呼ばれます。

メタ認知のはたらきのおかげで私たちは自身の意思決定に対して確信を持つことができます。しかし、特に古代ギリシアの哲学者ソクラテスが唱えた「無知の知」の概念と相通ずる、自身にとって未知の出来事に関するメタ認知に関しては、どのような脳のはたらきによって実現されているのか、まったくわかっていませんでした。このように、自分自身が経験したことのない出来事に対して評価を行う心のはたらきは、抽象的で概念的な思考を行うために重要です。

筆者らは、過去の研究においてすでに、ヒトと生物学的に近しいマカクサルが、自らの記憶に対して確信している程度を、客観的かつ行動学的に評価する方法を確立していました。そこで、この研究では、サルが未経験の出来事について確信度判断を行う際の脳のはたらきを、脳機能イメージング(磁気共鳴機能画像法)と薬学的不活性化実験によって調べました。

サルの「無知の知」をいかにして調べるか

筆者たちの研究では、サルに対して記憶課題を課し、さらに記憶課題における自身の回答に対してどれくらい自信があるか、確信度の判断を行うように要求しました。確信度の評定が、記憶に基づいて適切に行われているか、言語を持たないサルにおいて裏付けるために、賭けパラダイムを用いました。サルは4枚の図形を見て記憶し(記銘)、記憶した図形のリストをもとに再認記憶課題を行いました(想起)。この記憶課題においては、もし、呈示された図形が記銘時に記憶した図形のなかに含まれない未知のものである場合、「見ていない」と回答することが求められます。この際、正解・不正解のフィードバックや報酬はいっさい与えられませんでした。

つづいて、マカクサルは再認記憶課題の自らの回答に対し自信があるかどうかの確信度を判断しました。確信度判断は、正解だった場合に多量の報酬がもらえるが不正解だった場合には報酬はまったくもらえない高リスク選択肢と、正解あるいは不正解にかかわらず少量の報酬がもらえる低リスク選択肢のどちらかを選ぶ「賭け」の形式で行われました。もしサルが、自身の確信度に基づいて、適切にこの「賭け」を行うことができれば、記憶課題に正解していた時に、不正解だった時に比べて、より高頻度で高リスク選択肢を選び、最終的にもらえる報酬の総量を最適化できると予想されます。この研究では、自身の記憶課題の成績に基づいて、どの程度の割合の試行で、最適な「賭け」を行うことが出来たかを、ファイ係数と呼ばれる指標で評価しました。このファイ係数がゼロよりも大きければ大きいほど、メタ認知判断成績が良いことを意味します。全てのサル個体において、メタ認知判断成績(ファイ係数)がゼロよりも有意に大きいことから、サルが、確信度判断を、自らの記憶に対する自信に基づいて適切に行っていることが裏付けられました。

メタ認知課題
マカクサルは記憶の記銘、保持、想起からなる再認記憶課題を行い(記憶処理)、その回答に対する確信度を判断した(メタ認知)。

前頭葉の先端部「前頭極」が未経験の出来事に対するメタ認知判断を担うことを発見

次に筆者らは、この課題を遂行している際のサルの脳活動を磁気共鳴機能画像法によって計測しました。この手法は、脳の全体の活動を同時かつ非侵襲的に観測することができるためヒトを対象とした研究において広く用いられています。記憶想起に関わる脳活動を、全脳のボクセル(画像素子)において計算し、メタ認知判断成績との相関係数を計算し、脳のどの領域の活動が、メタ認知判断成績を予測するのか調べました。

すると、前頭葉の先端部にあたる前頭極(細胞構築学的分類における10野)と呼ばれる領域の脳活動のみが、未経験の出来事に対するメタ認知判断成績を予測することがわかりました。また、この領域の活動は、過去に経験した出来事に対するメタ認知判断成績を予測しないほか、未経験の出来事を正しく未経験だと判断する記憶課題成績とも相関していませんでした。一方で、筆者らの過去の研究の知見のとおり、背側前頭葉領域(9野)の活動は過去に経験した出来事に対するメタ認知判断成績を、海馬の活動は記憶課題成績を予測することが確かめられました。

前頭極の神経活動を薬理学的に不活性化すると、未知の出来事に対するメタ認知判断のみが適切に行えなくなる

筆者らは、未経験の出来事に対するメタ認知判断成績と相関して活動する前頭極(10野)の脳領域に、GABA-A受容体の作動薬であるムシモールを微量注入し、この領域のみの神経活動を可逆的に抑制しました。すると、抑制によって未経験の出来事に対するメタ認知判断成績のみが悪化することがわかりました。過去に経験した出来事に対するメタ認知判断成績や記憶課題の成績に変化は見られませんでした。また、同量の生理食塩水を微量注入する対照実験において、メタ認知判断・記憶課題いずれの成績も変化しないことが確かめられました。これらの実験により、前頭極(10野)が未経験の出来事に対するメタ認知判断のみを特異的に担い、「無知」だという自身の判断に対して、評価を下す役割を果たすことが明らかになりました。

前頭極が未知の出来事に対するメタ認知判断を司る
今回の研究で同定された前頭葉の先端部(前頭極;10野)に位置する未知の出来事に対するメタ認知判断の中枢。既知の出来事に対するメタ認知判断の中枢(9野)とは異なっていた。前頭極に同定した領域に対して薬理学的な不活性化を行った。

「無知の知」を生み出す脳の仕組み

筆者らの研究によって、未知の出来事に対するメタ認知判断の中枢(前頭極;10野)と過去に経験した出来事に対するメタ認知判断の中枢(9野)が異なることが、初めてわかりました。さらに脳機能イメージングの結果、未知の出来事に対するメタ認知判断の成績が良い時ほど、前頭極と海馬の脳活動が同期を強めることが見出されました。これらの結果は、前頭葉の神経ネットワークが、未知の事象と既知の事象を異なる情報伝達系に基づいて処理し、その両方が統合されて、「既知感・未知感」という意識体験を生み出していることを示唆しています。

前頭極はもっとも進化的に新しい脳領域のひとつであり、ヒトをはじめとした霊長類のみで発達しています。ヒトを対象とした脳機能イメージング研究の知見から、前頭葉の前側に近い領域ほど、抽象度の高い情報を処理し、もっとも先端にあたる前頭極は、課題の解決のために、他の前頭葉領域の認知過程を制御するという仮説が、近年提唱されています。筆者らは、過去の研究で、時間順序記憶課題遂行中のサルの神経ネットワークの挙動をもとに、課題遂行に必須の脳領域を予測する方法を初めて開発しましたが、そのネットワークも前頭極を最上位とした階層構造をかたちづくっているという点で、この仮説は支持されていました。

最近の研究により、前頭極は、新しいルールの習得や、実際に得ていない報酬に関する情報の処理など、さまざまな課題の遂行に関与することが示されてきました。しかし、前頭極がこれらの課題を達成するために、具体的にどのような役割を担っているのかは、よくわかっていませんでした。本研究は、前頭極のはたらきが、未知の環境に適応するための基礎となる能力である「無知の知」を生み出すのに貢献することを、初めて明らかにしました。前頭極の機能をさらに調べることで、「無知の知」の自覚に基づいて、自身の知らない情報を集めたり、新しいアイデアを着想したりする際にはたらく高度な思考がどのように生み出されるのか、解明されるのではないかと期待されます。

「無知の知」を生み出す神経ネットワーク
前頭極(10野)は、記憶想起を担う海馬と相互作用することで、未知の出来事への確信度判断を担っていることがわかった。さらに前頭極は、過去に経験した出来事への確信度判断を担う前頭葉領域(9野)とは異なっていた。

 

参考文献
Kentaro Miyamoto, Rieko Setsuie, Takahiro Osada, Yasushi Miyashita (2018) Reversible silencing of the frontopolar cortex selectively impairs metacognitive judgment on non-experience in primates.Neuron 97, 980-989. DOI: 10.1016/j.neuron.2017.12.040

この記事を書いた人

宮本健太郎, 長田貴宏
宮本健太郎, 長田貴宏
宮本 健太郎(Kentaro Miyamoto、写真左)
英国オックスフォード大学実験心理学部 博士研究員。2008年 東京大学教養学部生命・認知科学科卒業、2014年、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、同 博士研究員を経て、2017年より現職。霊長類(サル)やヒトの神経科学研究を通じて、これまで哲学や文学が対象としてきた人間の複雑な「こころ」のはたらきを、自然科学的に解明していきたいです。
最近ではほかに、記憶の確かさを判断する脳の仕組みの研究や、ヒトの眼の盲点が「見えない光」を受容して、瞳孔反射に影響を与えることを示す研究などを行っています。個人ホームページはこちらです。

長田 貴宏 (Takahiro Osada、写真右)
順天堂大学医学部生理学第一講座 助教。2007年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、東京大学大学院医学系研究科 助教などを経て、2014年より現職。高次認知機能から自律神経機能まで、脳の神経ネットワークが生み出すさまざまなはたらきの仕組みを、脳機能イメージングの手法を軸にして解明していきたいです。