「東アジアの大気汚染研究において、富士山頂はベストな環境だ」 – 早稲田大・大河内博教授
【academist挑戦中】富士山頂の測候所から、大気汚染物質の広がりの謎にせまる!
富士山で大気を採取し、東アジアの大気汚染の現状にせまる研究を進める早稲田大学理工学術院の大河内博教授。現在、富士山頂での継続研究を目指して、クラウドファンディングに挑戦している。なぜ富士山頂という厳しい環境で測定を行うのだろうか。今、世界の大気汚染はどのような状態にあるのだろうか。地球の診断士「アースドクター」として研究に邁進する大河内教授に、大気環境科学の重要性について詳しく伺った。また本インタビューの風景は、研究者と一緒に最先端研究について考える「academist Live」で視聴することができる。
——今、どのような研究を行っているのでしょうか。大河内先生の研究内容を教えてください。
富士山の山頂に「富士山測候所」という観測所があります。観測所の横に2001年まで設置されていた「富士山レーダー」をご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。この観測所で大気を採取し、その化学性状を調べることで、大気汚染物質が地球規模でどのように動いているのかを、ここ10年ほど継続的に調べています。大気汚染物質と言っても無機物質から有機物質まで多種多様ありますので、そういったものを総合的に評価し、環境問題の解決につなげようと研究を進めています。また、富士山頂では7〜8月にしか観測が行えないため、同時に富士山麓で通年観測を行っています。
——富士山頂では、具体的にどのような大気汚染物質を観測しているのでしょうか。
まずは酸性雨問題の現状を知るために、二酸化硫黄や硝酸といった酸性物質にフォーカスを当てて研究をしています。中国大陸から空気が運ばれているときに,二酸化硫黄や硫酸塩の濃度が高くなり、このときに富士山頂で雲が発生すると、硫酸イオンを高濃度に含んだ酸性の雲水が発生することがわかりました。このように酸性化した雲は、やがて地上に酸性雨として降ってきます。私たちは富士山だけで観測していますが、同じようなことは日本全国で起きているのではないかと考えています。富士山頂では夏季しか測れないため、1年を通してどのような変化があるか、ということを断言するのは難しいのですが、最近は雲水の酸性度は弱まってきているような傾向があります。富士山麓で行っている通年観測の結果においても、硫酸塩、硝酸塩の濃度が明らかに減っていることがわかります。
——それは良い傾向ですね。どのような理由で濃度変化がおきているのでしょうか。
観測を行っている富士山麓の標高は1300mほどですので、日本国内の大気汚染物質の影響を強く受けます。自動車の排ガス規制などにより、近年、窒素酸化物濃度が下がってきていることを反映して、硝酸塩濃度も減少傾向にあるのではないかと考えています。
一方で、富士山頂の大気は「自由対流圏」という、周囲の地上の影響をあまり受けない大気です。上空大気の流れを見ると、アジア大陸からの流れがあるときに、二酸化硫黄や硫酸の濃度が上がり、酸性化することがわかります。特に、中国北部から韓国を通るような道筋だと、その傾向が顕著です。今、硝酸や硫酸の濃度が下がっているというのは、これらを作る窒素酸化物や二酸化硫黄のアジア大陸からの排出が減っていることをあらわしている、と考えることができます。
——それ以外には、どのような物質を測定しているのでしょうか。
PM2.5に含まれる「多環芳香族炭化水素」という有害な有機物質の濃度も測っています。これらの物質のなかには発がん性を持っているものも多数存在します。また、難分解性の有機物質も測定しています。これらが地球全体に広がっており、雲に取り込まれることで、雨として落ちてくるのです。さらに、ヒ素やセレン、カドミウムといった重金属も測定しています。中国などでは現在も石炭が燃料として使われています。中国からの大気が届くと、これらの重金属の濃度が非常に上がることが確認できています。
——今日お持ちいただいた、この機械で雲水を採取されているのですね。
はい、富士山頂で実際に設置している雲水の採取器です。細線に雲水が付着してだんだん水滴が大きくなり、細線を伝って落ちてきます。その水を、チューブを通じてボトルで回収します。1〜2時間ごとにボトルを交換することで、経時的な変化を見ることができます。交換作業自体は非常に単純なのですが、富士山頂で行うとなると結構大変です。風速20m/sをこえるような強風ですので、風上を向いていると息ができないほどですし、夜中でもボトル交換を行いますので、寝る間もありません。
——まさに、フィールドワークの大変なところですね。現在挑戦中のクラウドファンディングでは、継続的な観測が重要だとおっしゃっています。経年観測を行うことで、どのようなことがわかるのでしょうか?
大気汚染の現状を把握するにあたり、まずは「地球規模における通常の空気質(バックグラウンド大気)」を調べる必要があります。そのうえで、 大気汚染物質の濃度が大きく変化する現象や、大気の流れる方向などのデータと合わせることで、大気汚染の現状を捉えることができるのです。そのために経年観測は欠かせません。これまでの研究によって、夏場でも越境汚染がおきていることはわかってきました。しかし、越境汚染の影響が強くあらわれるのは冬から春先です。この時期に富士山頂ではどのような大気汚染物質の濃度変化がおきているのか、ということは全然わかっていないのです。その謎をぜひ解明したいと思っています。
——経年観測を行うためには、どのようなハードルがあるのでしょうか?
私が所属するNPO法人「富士山測候所を活用する会」でも議論を続けていますが、「電源」と「無人化」が大きなハードルです。夏場は、商用電源を我々で管理して使っているのですが、基本的に通電できるのは7〜8月だけです。それ以降は商用電源が使えないので、バッテリーを充電して使うしかありません。国立環境研究所では、夏の間にバッテリーを100個ほど山頂まであげて、冬のあいだはそれを使うことで1日1回、二酸化炭素濃度を無人で測定しています。こういったことができればいいのですが、大気汚染物質の化学分析を行うとなると、もっと大きな電力が必要になりますし、無人で観測し続けられる機器もありません。理想をいうと、雲水を自動で採取し、分析までその場でできるような機器を開発したいのですが、まだまだクリアするべきハードルは多く、革新的な技術開発が必要となっています。
——富士山は、研究対象としてだけでなく、風景としても髄一の美しさがありますよね。
そうですね、富士山の研究は2006年からはじめて今年で10年ちょっとになります。合計で50回ほどは登っていますね。また、富士山麓には2週間に1回は行きますが、やはり富士山はとても綺麗です。私は雲をぼーっと眺めるのが好きなのですが、同じ風景は一度もありません。夏の富士山麓は避暑地としても非常に過ごしやすいですし、オススメです。
——先生は、富士山だけでなく、丹沢や福島でも研究を行われていますね。どのような研究なのでしょうか。
丹沢山塊では、東丹沢を中心に、渓流水のサンプリングおよび分析を主に行っています。森林は、大気汚染物質を捕捉して空気をきれいにする、というはたらきがあります。そして、捕捉された大気汚染物質は、雨とともに土壌に浸透し、やがて川に流れ出てきます。そのため、渓流水に含まれるイオンや微量金属の測定を行うことで、“森林の健康診断”を行うことができるのです。この研究も10年くらい継続し、約40か所で行っています。
——福島県での研究についても教えてください。
浪江町の里山で放射性物質の動態調査を進めています。福島第一原子力発電所事故が起き、放射性物質が放出された結果、今、浪江町の森林は放射性物質を捕捉している状態にあります。現在、人が住む場所や畑などから除染が進められていますが、森林は手付かずの状態です。しかし、住民が帰って来るためには里山の除染も必要です。放射性物質が森林内にどれだけ溜まっているのか、そしてどのように移動するのかを調査した上で、森林生態系に悪影響を与えないように除染できる技術開発にまでつなげていきたい、と思い、研究しています。
——まさに地球の診断士「アースドクター」ですね。最後に、現在挑戦中のクラウドファンディングについての意気込みをお願いします!
クラウドファンディング開始から今まで、多くの人にご支援いただくことができました。ありがとうございます。これまで10年間、富士山研究を続けてきましたが、継続しないとわからないことがたくさんあります。今年の7〜8月にも富士山頂でサンプルを回収しましたが、研究資金の不足から、いまだ分析ができていない状況にあります。プロジェクト成功のために、ひきつづきご支援のほどよろしくお願いします!
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大河内教授のプロジェクト「富士山頂の測候所から、大気汚染物質の広がりの謎にせまる!」、支援期間は残りわずかです。ぜひ応援をお願いします!
研究者プロフィール
1969年生まれ。早稲田大学理工学部資源工学科卒業。博士(工学)。神奈川大学、東京都立科学技術大学(現首都大学東京)を経て現職。専門は大気・水圏環境化学。著書に『越境大気汚染の物理と化学』(共著、成山堂書店)、『地球・環境・資源 地球と人類の共生をめざして』(共著、共立出版)、『東日本大震災と環境汚染』(共著、早稲田大学出版部)などがある。
この記事を書いた人
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アカデミスト株式会社プロジェクトプランナー。医療情報専門webサイト編集者。
京都大学大学院薬学研究科博士前記課程修了。修士(薬学)。科学雑誌出版社でサイエンスライターとして雑誌編集に携わった後、現職。現在は、医療AI、オンコロジー領域を中心に取材・執筆活動を行う。