今、密かにスナックブームが起きている。その火付け役となったのが、芸人で全日本スナック連盟会長でもある玉袋筋太郎さん、そして、首都大学東京で法哲学を教える谷口功一教授だ。日本に約10万件もあるとされるスナック。その存在感とは裏腹にスナックに関する書物は極めて少ない。そんな現状に憤りを感じ、自身がスナック愛好家でもある谷口教授が名だたる研究者を集めてスナック研究会を立ち上げた。公共性とは何かを巡る重厚な研究書を著す一方で、スナックの研究も行う谷口教授とは、一体何者なのか? 新宿二丁目のゲイバーa day in the lifeで行われたトークイベント後、ハイボール片手にお話を伺った。


——まずはじめに、先生の専門の法哲学とはどのような学問であるのかお聞きしたいです。

法学部のなかには、憲法・民法・刑法などの実定法学と呼ばれる分野があり、ふつうはこれらを法学としてイメージしますが、これとは別に基礎法学という分野があり、法哲学はそのなかに含まれます。基礎法学のなかには、法哲学以外にも、法社会学・英米法・ドイツ法・フランス法・東洋法制史・西洋法制史などが含まれており、この点、法学部のなかには、社会学・外国法(地域研究)・歴史など「文学部が丸ごと法学部のなかにあるような形」にもなっているわけです。

この実定法と基礎法という区分に関して、私がいつも使う譬えは医学部の話で、医学部でも、臨床医学(外科・内科・精神科……)と基礎医学(解剖学・生化学・遺伝学……)の区分がありますが、法学部における基礎法学というのは、医学部における基礎と同じようなものを考えてもらえばわかりやすいかもしれません。実際に患者さんを治療・診療はしないけれども、それを支える基礎について研究する、ということですね。

「法哲学」そのものについてですが、もの凄く大雑把にいうと法哲学は「法とは何か」を問う《法概念論》と「正義とは何か」を問う《正議論》の2つの柱から成り立っています。わたし自身の研究は後者に関連する形で「公共性とは何か」ということを長年考えてきました。

——法や正義といった一見すると自明な概念を改めて吟味する学問が法哲学なのですね。先生が代表を務めるスナック研究会が各種メディアで話題になっていますね。

スナック研究は、あくまでも趣味の片手間でやっているもの(或いは飲み歩いているだけ)だと思っている人も少なからずいるようですが、わたし自身は毛頭そんなつもりはなく、これもまた、わたし自身の法哲学の研究プロジェクトのなかで大きな地位をキチンと占めるものです。

——そもそもスナックを研究しようと思ったきっかけは何だったのですか?

私の生まれ育った場所は大分県別府の繁華街で、幼少期からスナックは身近な存在でした。大学から上京してそのあとはずっと東京に住んでいたのですが、地方での学会の際にはスナックに行くことも多々ありました。ただ、地元のスナックに頻繁に通うようになったのは、東日本大震災を経験して帰宅難民の恐さを知ってからだと思います。そうしてスナック通いをするうちに、スナックの歴史などに興味を持って調べてみましたが、日本中にスナックはたくさんあるのにもかかわらず学術的に掘り下げられたことないことを知って驚き、一人でコツコツ調べ始めたのがきっかけです。また、水商売を侮るような風潮に一石を投じたいという思いもきっかけのひとつと言えるかもしれません。

——日々の生活のなかでのふとした疑問が研究に発展したのですね。先生がこれまで法哲学という分野でしてきた研究とスナックとはどういった関係にあるのでしょうか。

わたし自身が法哲学者になろうと思った際に、最も大きな影響を受けた井上達夫(東京大学教授・法哲学)の『共生の作法』(創文社)という本があるのですが、このスナック研究は、この本で示されていた「会話としての正義」というアイデアに対する私なりの応答でもあるのです。詳しいことは、スナックに関する次回の著作(単著)のなかで明らかにするつもりですので、今しばしお待ちください。

——次回の著作が待ちきれないので、予告編としてもう少し質問させてください(笑)。今回はスナック、以前出版された単著『ショッピングモールの法哲学——市場、共同体、そして徳』(白水社)においてもショッピングモールといった具体的な場所、そして「郊外」への関心が窺えます。

先に「公共性とは何か」ということについて考えてきたと言いましたが、2015年に白水社から刊行した『ショッピングモールの法哲学--市場、共同体、そして徳』という本のなかでも示したとおり、この「公共性」に関するわたしのなかの関心は、ある時期から郊外の大規模ショッピングモールをモチーフとした共同体論(コミュニティ重視)とリバタリアニズム(市場=経済的自由の重視)の相克といった、かなり具体的な事象を背景にしたものになってゆきました。

この郊外という場所性をもとに色々と研究してゆくなかで、2010年くらいから郊外、特に地方では移民の問題などが存在していることを知り、現在ではそのことについての研究も行っています。「郊外の多文化主義」という論文のなかで、そのことについて扱っています。この論文は、ニューズウィーク日本版でWeb上に転載されています。

——概して言うと、経済的自由を重視するリバタリアニズムが「郊外」のコミュニティの荒廃を促し、それへのアンチテーゼとしてコミュニティを重視する共同体論が興隆してくるという図式があると思います。ただ、先生は「公民的徳性civic virtue」と呼ばれるものを有した市民の「参加」を重視する、いわば肩肘が張った共同体論にもやや懐疑的な姿勢をとっている点が興味深いです。こうした懐疑が今回のスナック研究にもどこかつながっているのではないかと思います。

おおむね、それで合っています。敢えて言うとしたら「公民的徳性」の発揮みたいなのは、昼の活動に限定して考えられがちだけれども我々は夜も生きているわけで、夜の話は? と考えたらスナックがあった、ということです。

——先生の研究はスナックという対象もさることながら、その方法も特徴的なように思えます。一般的には法哲学の研究はどういった方法でなされるのでしょうか?

昔、ある有名な法哲学者が言った言葉に「法哲学は法哲学者の数だけ存在する」というものがあるのですが、実際このとおりで、法哲学の研究は、それほどノーマライズ(規格化)されたものではなく、各人の手法によって大きく異なっていると思います。基本的に文献を読み込んで解釈をしているという点では他の人文諸科学と変わりありませんが、先に説明したとおり法学の一分野ですから、もちろん実定法学の知識も動員して考察をしていく点が、似たような(隣接)分野である政治哲学や、哲学そのものとの違いと言えるかもしれません。

——先生の研究スタイルは幅広い文献を渉猟することに加えて、今述べたどれからもはみ出たスタイルをとっているように思えます。

私のいずれの研究においても、法哲学者としてはまったく典型的ではないのですが、実踏調査をかなりしたうえで、それを帰納的に理論のほうへと落とし込んでゆく手法を採っており、これがわたし自身の研究のひとつの特徴なのかな、とも思うところです。

これは実のところスナック研究とも大いに関係のある話で、たとえば移民のことなどについて調査に行く際、もちろん、自治体の役所や多文化共生センターなどにも行くのですが、そこでは得られないような生の情報を得るためにこそ、自腹でその土地のスナックへ行き、実際ほんとうのところはどうなっているのかといったことを、呑んだり歌ったりしながら教えてもらうわけです。やっていることは新聞や週刊誌の事件記者と同じです。

現地のスナックで聞く話は、非常に興味深い話も多く、また書くと現地のひとたちに迷惑のかかる話なども少なからずあり、実際には書けない話もありますが、そういうことを知らないままに書くのと知っていて(差し障りのあることは)書かないのとでは大違いで、書き上がったものの奥行きも、おのずと違ってくるだろうと思っています。なぜ、こういうことに関心を持って、こういう手法を採っているかというと、それは自分が楽しいから、面白いからという点に尽きます。研究というのは、そういうものでしょう。

——「面白いから、楽しいから研究する」、当たり前のことのように思いますが再度言われるとハッとしてしまいます。先生ご自身のスナック研究の集大成として近々単著が出ますね。これまでの研究の一区切りになると思いますが、その後の研究の展望がもしあれば最後にお聞きしたいです。

さきほどもお話ししたとおり、共著論文集だった『日本の夜の公共圏』(白水社)とは別に、わたし自身の単著としてのスナックに関する本を現在執筆中です。すでに出版社も決まっており、できれば年内、遅くとも今年度内には何とか出版の目処をつけたいと思っています。このなかでは、さきに話したようなわたし自身の法哲学研究者としての大きな宿題(井上達夫の「会話としての正義」への応答)を果たせればと思っています。また、この本以外にも、スナックに関しては、続けて本を書き継いでゆきたいと思っており、すでに幾つかの案も持っていて幾つかの出版社の方とも話をしているところです。

わたしは法哲学者であると共に、このスナック研究という分野においては founding father(創業者)になれたと思っているので、今後はその創業者利益をめいっぱい活用して、さらに面白い研究をしてゆければと思っています。研究者の人生は意外に長いですが、楽しくなければ研究じゃないし、続かないというのが私の持論です。

谷口功一(たにぐち・こういち)首都大学東京教授 プロフィール

1973年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て現職。専門は法哲学。スナック研究会代表。著書に『ショッピングモールの法哲学』(白水社)、『公共性の法哲学』(共著、ナカニシヤ出版)、編著に『日本の夜の公共圏:スナック研究序説』(白水社)。

この記事を書いた人

荒井俊
荒井俊
東京大学大学院学際情報学府修士課程。学部では1年次から哲学の原書テクストを精読するゼミに参加し鍛えられ、ベルクソン哲学で卒論を執筆。現在は人文社会科学がどこから来てどこへ向かうのかについて関心があり、特にそれと社会との交差点であるメディアに照準を定めて研究を進めている。