日本における男性の育児休業

「積極的に子育てに関わる男性」を意味する「イクメン」という言葉が流行語となってから早数年が経ち、現在ではすっかり定着したような印象を受けます。かつては、「男は仕事、女は家庭」という夫婦の性別に基づいた分業が当たり前のものとして受け入れられていたものの、今日では人々の生き方が性別によって決められるべきではないという考え方が広まってきているといえるでしょう。そうした時代背景が、イクメンブームへとつながるきっかけになったものと推察されます。

しかしながら、このブームとは裏腹に、日本の男性による育児休業の取得率は依然として低迷した状態が続いています。こうした事実は、彼らの価値観が依然として保守的なままであることを反映しているのでしょうか。

実はいくつかの調査結果は、近年では男性ひとりひとりはむしろ育児休業に対して好ましい考え方を抱いていることを示しています。つまり、男性個々人の多くは取得を望んでいるにもかかわらず、彼らの願望は実際の育児休業取得にはほとんど結びついていないと考えられるのです。男性個々人の価値観は変化しているにもかかわらず、なぜ取得率の向上へと結びついていないのかは、これまで十分に理解されていませんでした。

多元的無知

伝統や社会的慣習などの社会規範は、私たちの信念や行動に大きな影響を及ぼします。そうした社会規範は固定的なものではなく、時代とともに“更新”されていきます。しかし、いくつかの社会規範は、人々から支持されなくなった後でさえ、集団や社会を支配し続けることがあります。社会心理学者たちは、そうした社会規範の維持・再生産の背景には「多元的無知」が潜んでいると指摘してきました。

多元的無知とは、多くの人々がある特定の価値観や意見を受け入れていないものの、“自分以外の他者はそれを受け入れているのだろう”と誤って思い込んでいる状況を指します。かつて、白人系アメリカ人から黒人系アメリカ人に対して向けられていた差別意識は、1960年代から70年代には弱まっていたものの、白人系アメリカ人の多くは“他の白人系アメリカ人の多くは好ましく思っていないのだろう”と誤って認識していたことが示唆されています。すなわち、当時のアメリカ社会では、依然として人種差別が根強く維持されているかのように人々の目に映ってしまっていたのです。

日本において男性による育児休業の取得率が伸び悩んでいる背景にも、多元的無知のメカニズムが潜んでおり、性役割分業が多くの人々が望まない形で維持されているのではないかと私たちは考えました。その仮説を検証するために、20代から40代の既婚男性で、職場に男性でも育児休業を取得できる制度があると認知している人々を対象に、Web調査を実施しました。

男性の育児休暇における多元的無知

他者信念の誤った忖度とその影響

男性の育児休業に対する態度を測定したところ、多くの男性は肯定的な態度を抱いている一方で、自分よりも他者の方が男性の育児休業に対して否定的だと推測していることが明らかになりました。この「男性の育児休業に対する他者信念の誤った忖度」が行動意図に及ぼす影響について検証するため、男性の育児休業に対する「回答者自身の信念」と「他の男性の信念に対する予測」に基づき、回答者を4つのグループに分類しました (“自分も他の男性も育児休業を肯定的に捉えている”と回答した人々 [自他ポジティブ群]、“自分は肯定的だが、他の男性は否定的だろう”と回答した人々 [多元的無知群]、“自分は否定的だが、他の男性は肯定的だろう”と回答した人々 [自ネガ他ポジ群]、“自分も他の男性も育児休業を否定的に捉えている”と回答した人々 [自他ネガティブ群])。

“自ネガ他ポジ群”は他の群と比較して該当する人数が少なかったため、分析からは除外して、残りの3群で“取得願望の強さ(どの程度取得したいか)”と、“実際に子供が生まれたときの取得意図(実際にどの程度取得しようと思うか)”を比較しました。

その結果、自他ネガティブ群は“取得願望の強さ”も“実際の取得意図”も3群で最も低いことが示されました。そして、“取得願望の強さ”には自他ポジティブ群と多元的無知群とで有意な差がなかったものの、“実際の取得意図”は多元的無知群の方が有意に低いという結果が得られました。さらに、多元的無知群の“取得願望の強さ”と“実際の取得意図”との乖離は、3群のなかで最も大きいことが明らかになりました。つまり、取得願望は高いにもかかわらず、他者が育児休業に否定的だと思い込むことで取得を控えてしまう傾向があるのです。

グループごとの取得意図の差異

以上の結果は、他者信念の誤った忖度が、“取得を望んでいるものの、取得はしない”という選択へと導いてしまう可能性を示唆しています。

本研究が持つインプリケーション(実践的意義)

日本における男性の育児休業問題が多元的無知に特徴づけられるという本研究結果は、問題解決へとつながる糸口を提供してくれます。多元的無知を解消するためには、それが個人や集団に与える影響について教育をすることや、“どれくらいの割合の人々が実際にはその社会規範を受け入れているのか”に関する客観的情報をフィードバックすることの有効性が示唆されています。

これまで、男性による育児休業の取得率向上に向けた取り組みとして「男性自身の育児休業に対する意識の啓発」が有効なのだと信じられてきました。本研究知見を踏まえれば、むしろ、企業内のセミナーや研修など(あるいは、academist JournalのようなWebメディアやニュース、新聞などによる報道)を通じて、他者信念に対する歪んだ認識を是正することの方が、現状を打破する鍵を握っているかもしれません。

参考文献
Miyajima, T., & Yamaguchi, H. (2017). I Want to but I Won’t: Pluralistic Ignorance Inhibits Intentions to Take Paternity Leave in Japan. Front. Psychol. 8:1508. doi: 10.3389/fpsyg.2017.01508

この記事を書いた人

宮島健, 山口裕幸
宮島健, 山口裕幸

宮島 健(みやじま たける、写真左)

九州大学大学院人間環境学府博士後期課程

集団や組織に関わる研究 (集団内の人々の相互作用や集団間関係など)に取り組んでいます。現在は特に、“ホンネ”では人々に受け入れられていないはずの社会規範や文化の維持・再生産に関与する「多元的無知」のメカニズムを集団力学の観点から検討しています。日常生活の中で浮かんだ疑問から研究がスタートすることが多く、得られた研究成果を現場に還元させられるような実践的意義の高い研究を目指しています。


山口 裕幸(やまぐち ひろゆき、写真右)

九州大学大学院人間環境学研究院心理学講座・教授

社会心理学、特にグループ・ダイナミックスや組織行動に関する研究に携わっています。個人の心理や行動と、集団や組織あるいは社会において見られる現象との相互作用関係に焦点を当てて研究を進めて来ています。近年、チームワークや共有メンタルモデル、集団知性、集団モチベーションなど、メンバー間の相互作用によって創発される集団全体の心理学的特性が、集団の課題遂行過程において果たす機能を明らかにするための実証的研究に取り組んでいます。