重度のストレスで萎縮するのは感覚系の脳部位?!
ストレスと精神疾患の深くて微妙な関係
読者の皆さんのなかには、ストレスで精神的に辛い思いをしたという方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? ストレスを受けて心の病にかかるという文脈は多くの方に理解しやすく、これをきっかけとして精神科を受診するという方もたくさんいます。
ストレスによる精神疾患としては心的外傷後ストレス性障害(以下、PTSD)が知られていますが、ストレスがあれば必ず罹患するというものでもないようです。震災のような甚大なストレスの現場においても、PTSDの罹患率は20%程度です。
ストレスと関係なく発症する精神疾患もありますが、その反面、精神科における他の多くの疾患はストレスで悪化します。PTSDという病気は、特にストレスとの関係が深い精神疾患として見なされていますが、PTSDの症状があると判断されてもそれがストレスによるものであるという証明は非常に難しい。このことは私たち精神科医師にとって非常に頭の痛い問題なのです。ストレスと因果関係のある病変部位がわかれば、診断・治療に役立つのではないか? という思いで本研究は企画されています。
動物モデルでの実験
これまでのPTSDの臨床画像研究においては、前部帯状回・海馬・扁桃体などの脳萎縮が報告されてきました。横断的なメタアナリシス研究もされていますが、上記に述べたストレスとの因果関係を明確にすることはやはり難しいといえます。
動物実験では恐怖学習関連の実験がこれまで数多くされており、PTSDの症状とその結果はかなり類似しています。PTSDのモデルストレスについてもいくつか提唱されていますが、Single prolonged stress(以下SPS)というモデルを今回は重度のストレスとして採用しています。PTSD患者においては、ストレスホルモンであるグルココルチコイドの分泌が抑制されるという報告があり、今回は行動面の報告とストレスホルモンの動態の双方が類似している点がこのモデルの強みです。
私たちはこの動物モデルを用い、人間の臨床研究と同じ方法(すなわち脳MRI撮影)で解析するという研究を企画しました。動物で得られた結果を人の研究にフィードバックしやすいと考えたからです。また、ストレスを負荷するという操作によって得られる直接の結果であることを今回は重視していますが、動物実験であれば生活環境・遺伝的素因などを揃えることができますので、それが可能だと考えたのも理由です。
解析の手法は、「voxel based morphometry」というものです。これはMRI画像における脳全体を細かなボクセル(2次元画像におけるピクセルあるいはドット)単位(本研究では0.137 × 0.137 × 0.137mm3)ごとに統計解析し、脳体積の減少や増加を解析する検定手法です。画像解像度からは100万回以上の検定回数となりますので検出力は決して高いとはいえません。しかし、全脳を網羅的に統計処理できるので研究バイアスが入る余地が少ない手法といえます。
ただし、非常に精細な画像が要求されるため、動物の撮影では体動によるノイズなどのため撮像クオリティの面で解析困難なことがあります。今回は灌流固定して頭蓋骨ごと脳を摘出して撮影するというプロトコールを用いています。また、検出された部位に対して顕微鏡解析でストレスの影響を確認するような実験を企画しました。
実験の結果
50日齢・雄性のSprague DawleyラットにSPSを負荷し、負荷後7日後に灌流固定し脳を頭蓋骨ごと摘出しました。対照(Sham)は軽微なストレスとしてエーテル麻酔のみ負荷し、同様の処置を行います。横置き型MRI(Agilent社製、横置き型マグネット、7.04T、ボア径310mm)を用いて、SPS群(n=18)Sham群(n=17)について頭部MRI撮影を行いました。
Voxel based morphometryを用いた画像解析の結果として、右視覚野および両側視床における脳萎縮が判明しました。
私たちはストレスとの因果関係によってもたらされた結果であることを重視しています。追加実験として実験で判明した萎縮部位において、得られた結果がストレス以外の実験内操作によって得られたものではないことを検証したいと考え、ストレス後に活性化することが知られているミクログリアについて解析しました。手法としては活性化ミクログリアのマーカーであるIba-1に対する抗体を用いて蛍光免疫組織化学を行っています(SPS:n=5, Sham: n=6)。
染色されたIba-1陽性細胞の数・細胞の大きさの平均値を比較したところ、視覚野では双方とも有意に増大し、視床では細胞の大きさのみですが有意に増大していました。結論としてこれらの領域レベルで、ミクログリアが活性化しておりストレスの影響があったことが確認されたといえます。
結果はストレスより痛みに似ている
これまでの動物実験の研究からは、恐怖学習による行動変化とPTSDの症状は類似していると考えられてきました。臨床研究でも海馬・扁桃体・前部帯状回など恐怖学習と関連した脳萎縮の報告があり、実のところ今回の研究でも、これらに相当する部位での脳萎縮が重度のストレスによって生じると私たちは予想していました。結果からは、これらの部位では有意な脳萎縮を検出できず、視覚野・視床など感覚系の脳部位で萎縮を検出していますが、これは予想外の結果ということになります。すなわち新発見でもありますが、果たしてこの発見が妥当なのかどうかは今後の研究を含めて議論される必要があります。
また、私たちの研究は精神的ストレスを用いた研究でありますが、PTSDよりもむしろ疼痛に類似した結果になってしまっていると考えています。ストレス性精神疾患での患者の視覚野の脳萎縮の報告は少ないですがゼロではありません。一方で視床についてはストレス性精神疾患での萎縮の報告はほぼありません。逆に、視床の萎縮が報告されている研究は何か? ということになると、ストレスに近いと考えられる分野のものでは疼痛関連の研究ということになります。重度の疼痛を伴う脊髄損傷患者を対象とした臨床研究では、視覚野の萎縮の報告もあります。脊髄損傷の患者さんを想定すれば、原因となった事故などはPTSDになってもおかしくないストレス体験と考えられますし、精神的ストレスと痛みは脳からすれば類似した刺激であるということはあり得るのかもしれません。また、「心の痛み」という言葉もありますが、まさにそのとおりの結果だと考えています。
視覚処理はストレス研究のフロンティア
私たちの研究で得られた視覚野や視床という部位はPTSDの研究としては予想外の結果であったことは前述しました。しかし、視点を変えるとPTSDには再体験という症状があり、しばしば「ストレスの場面が見える」という患者さんの訴えがあります。私たちはこれまでの恐怖学習理論ではこの見えるという現象の説明が極めて難しいと考えています。また、精神科医なら誰もがこの現象を知っていながら、見えるということに関連しそうな視覚野についてはPTSDの研究としては病因論的に議論されてこなかった領域なのです。
一方では、視覚野を介さない視覚処理経路(網膜〜中脳上丘〜扁桃体への経路)が恐怖反応に重要な役割を果たしているという報告があり、視覚野が萎縮した私たちの報告との関連を検証することは今後の魅力的な研究課題です。また、人間を対象とした研究では視覚タスクゲーム(テトリス)でPTSDを予防できたという報告もあります。今回報告された部位について実際の臨床研究で検証され、診断・治療が変化する可能性はあるのではないかと考えています。
参考文献
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