【連載】「政策のための科学」とは何か?

「政策のための科学」で用いられるエビデンスは必ずしも定量的なデータに限らない。近年、「科学技術への公共的関与(public engagement)」というコンセプトのもと、新しい科学技術政策が形成される初期の段階から一般市民を含む多様なステークホルダーが参画・関与し、そこでの議論の結果を定性的なエビデンスとして政策に生かそうとする取り組みがはじまっている。

SciREX事業では、大阪大学を代表拠点として、研究開発の早い段階から科学技術がもたらす社会的な課題を予見し、政策立案に生かす仕組みの開発が進められている。連載第3回となる今回は、科学技術への公共的関与や定性的なエビデンスがなぜ必要とされるか、また、どういうプロセスであればそうした公共的関与を実現できるかについて、科学技術社会論が専門の大阪大学・平川秀幸教授にお話を伺った。

多様なステークホルダーを巻き込む「公共的関与」

——平川先生はSciREXの拠点間連携プロジェクト「新しい科学技術課題検討のための政策立案システムの構築」の代表者としてプロジェクトを主導されてきました。まずはじめにこのプロジェクトはどういった背景で立ち上がったものか教えてください。

近年、科学技術と社会との接点がますます増えており、科学技術の発展は社会の変化と切り離せなくなっています。科学技術の発展によってもたらされる社会の変化は必ずしも良いものとは限りません。科学技術の成果をできるだけ社会にとってポジティブなものにすべく、研究開発の早い段階からさまざまなステークホルダーの意見を集約し、反映させようという機運が高まっています。

ヨーロッパでは日本の科学技術基本計画に相当する「Horizon2020」という研究助成プログラムが動いており、そのなかで「責任ある研究・イノベーション(RRI)」というコンセプトが掲げられています。これは特定の研究が発展すると社会にどのようなインパクトがあるかというシナリオを、研究開発の早い段階から、人文社会科学的な観点、技術・サイエンスの観点から考え、さらには、研究の発展によって影響を受けうるステークホルダーや一般の人びとにも関わってもらって検討していくというアプローチです。ひとつの事象も見る人次第でプラスかマイナスかは異なります。多角的な観点から科学技術の発展に伴う課題を検討し、政策や研究開発に反映させ、責任ある研究とイノベーションを推進していくことが、RRIの目的です。

こうした一般の市民やステークホルダーが研究開発や政策に関われるようにする取り組みは「公共的関与」と呼ばれています。2000年代になると、日本でも私が専門としている科学技術社会論を中心に、公共的関与に関する取り組みを研究している研究者が増え、それを促進するためのプログラムに研究費がつくという動きが出てきました。

私たちのプロジェクトの背景や目的で、もうひとつ大事なのが「倫理的・法的・社会的な問題(ELSI)」への取り組みです。1990年に米国を中心にはじまったヒトゲノム計画で始められたもので、ゲノム研究が発展したことで生ずるかもしれない倫理的・法的・社会的な問題に関する研究に研究費全体の3〜5%を充てるという方針が取られました。日本でもゲノムサイエンスなど生命科学や医学研究についてはELSIに関する研究が進められてきました。また人工知能(AI)に関しても、近年盛んにELSIの検討が進んでいます。

ただし、AIと生命科学以外の分野ではなかなか進んでおらず、実際の政策や研究開発のプログラムとELSIに関する取り組みとのあいだにはギャップがあるのが現状です。

こうしたなかで、ELSIについて「公共的関与」という形で多様なステークホルダーを巻き込んで検討するプロセスを備えた政策立案を推進する仕組みの開発が必要だと考えたことが、このプロジェクトの出発点となっています。

——軌道修正ができる早い段階で多様なステークホルダーを巻き込むことで、よりよい研究開発の方向性を政策に反映させていこうということですね。具体的にどのように研究活動を進めていくのですか。

たとえば新しい政策的な課題設定や、研究助成機関における研究開発プログラムの立案、あるいは個々の研究開発計画の立案をする段階で、関連する科学技術分野や人文社会科学の研究者だけでなく、ステークホルダーや一般の市民に対してもヒヤリングを行なったり、ワークショップを開いたりすることで、政策の実施や研究開発、成果の実用化にともなう可能性のあるELSI的な問題について多角的に議論し、意見や知見を集めます。たとえば医学研究であれば、現場の医者や患者やその家族、患者団体などのみなさんに参加してもらって一緒に問題を考えます。

またこのプロセスでは、当然ながら人文社会科学の研究者によるELSIの検討が重要な役割を果たします。自ら行うELSIについての研究の成果を、公共的関与の対話の場にインプットするというだけでなく、対話の場で浮かび上がってくる問題を分析・考察し、またその成果を対話にフィードバックするという役割があります。

さらに研究者には、単に研究成果を論文にまとめてそのまま政策実務者に渡すというだけではなく、政策や研究開発にともなってどのような問題がありうるか、その問題を考えるにはどういうプロセスでどういう人たちを巻き込めばいいかを政策実務者と一緒に議論し、その都度パートナーとして関わっていくコンサルティング的な役割を担うことも求められるでしょう。

公共的関与を実装するワークショップの開発

——研究者が多様な分野の研究者やステークホルダーのハブとなって対話の場をコーディネートしていくのですね。平川先生は、公共的関与の実践の一環として政策実務者や一般の方との「政策立案ワークショップ」を開催されてきました。具体的な例として、2017〜2018年度に開催した宇宙に関するワークショップの詳細を教えていただけますか。

このワークショップではまず、宇宙探査(宇宙科学探査、有人宇宙活動)に関わる宇宙政策を担っている省庁の担当者やJAXAの研究者を中心に集まっていただき、今の国際宇宙ステーションの計画が終わる2024年以降、10年間程度の日本の宇宙探査に関する宇宙政策について考えました。

宇宙探査は今後、地球の周辺だけではなく月面探索・開発、さらには火星探索へと発展していくことが考えられます。これに対して日本は、技術面のみで関わっていくのか、あるいは生身の人間を送る有人宇宙活動を行う方向で貢献するのかといった複数のオプションが考えられ、それぞれさまざまな課題が考えられます。たとえば、まだまだ先のことでしょうけれども、民間企業が月面の開発を行うような時代になれば、社員を月まで輸送するロケットの安全性をどのくらいの水準にするかや、月面に赴任した社員にかける保険の金額も変わってきます。それらの問題を検討するには保険業界や法律業界も巻き込んだ議論をしていくことになるでしょう。ワークショップでは科学技術的観点、政治外交的観点、安全保障的観点、経済的観点、そしてELSIとしてどんな問題があるかについてみんなで探っていきました。

——ワークショップを通して何か発見はありましたか。

第2回のワークショップで、「一般の国民に何か聞きたいことはありますか」と政策実務者の方に投げかけました。すると、「先手を打って有識者の意見を聞いているので、改めて聞かなくても大丈夫」と答えた方がいました。しかし、実際に議論してみると、たとえば先ほど述べた保険のことなど、自分たちだけでは決められない事案があることに気づくといったことがありました。

政策立案の現場では、公共的関与の取り組みを行う必要はないという感覚がまだ根強いようです。ワークショップに参加することが、そうした感覚を見直す機会になりうる可能性となることが垣間見えました。

——当初想定したものとはまったく違った知見がそこで生まれたのですね。一般の方とのワークショップはどういった様子でしたか?

一般向けのワークショップは福岡と大阪の2か所で実施しました。先に行なっていた政策実務者とのワークショップのなかで国民に聞いてみたいことを募り、そこで出た質問を、「なぜ宇宙探査するの?」、「日本は宇宙先進国であって欲しい?」、「宇宙に人を送りたい?」という3つの問いに集約しました。一般向けのワークショップでは、これらの問いについて議論するために必要な情報や背景知識を、テキストとイラストを組み合わせて、できるだけコンパクトにまとめた「対話ツール」を開発し、利用しました。当日は、このツールを用いながら各テーブルにファシリテーターを配置して議論していきました。

対話ツールを用いることで、宇宙探査に関する政策についてある程度ファクトに基づいた議論ができるようになります。とはいえ、そこで得られた意見を政策にフィードバックするには、何段階かに分けたワークショップの開催や、政策としての含意を引き出すためのある程度の分析が必要です。ひとまず今回は、専門外の人びとに、よりファクトベースで議論をしてもらううえで対話ツールが有効だということを、社会実験として検証した形です。

対話ツール形式の一部(「政策立案ワークショップ(宇宙)の記録」より)

——これまではワークショップや対話ツールの開発をされてきましたが、今後さらに公共的関与を高めるような政策立案システムを構築するにはどういったことが必要になりますか。

各ワークショップの議論の結果を電子化してアーカイブ化し、さらに公開していくことが今後は必要だと考えています。政策決定に直接的に結びつかなくても、政策プロセスおよび個々の研究プロセスをどういう方向で進めていくかを検討する際の基礎資料として利用することができるためです。

このアーカイブを利用すれば、国民がどういうことを期待していて、何を恐れているか、またそれがいかに立場に応じて異なり、ときに衝突するか、どこに共通点がありうるかを知り、研究者として、政策実務者として、どのような問題を考えねばならないか、どのように解決すべきかを検討する重要な手がかりとなりえます。そのためにはある種の定点観測として継続的に同じ形式で調査すれば、科学技術に対する人びとの態度の変化とその背景にある社会的な要因や変化を知ることにもつながります。

またこのアーカイヴは、人びとの対話をつなぐ役割も果たしうると思います。ある場所であるときに行われた対話の記録を、別の人達が参照し、それをもとに新たな対話をすることもできます。

未来の「政策のための科学」を担う人材の育成

——平川先生は大阪大学と京都大学を拠点とした「公共圏における科学技術・教育研究拠点(STIPS)」の主要メンバーでもあり、人材育成にも取り組まれています。これはどのようなプログラムでしょうか。

STIPSは、学生たちがELSIや公共的関与について理解し、科学技術の問題についてELSIの観点から洞察したり、ファシリテーションやワークショップなど公共的関与の実践にも関わったりすることで、科学技術と社会を「つなぐ人」になることを目指したプログラムです。実際につなぐ仕事をしている実践者の方を招いて、その方たちの話を通して、さまざまな形で社会と科学技術をつなぐ仕事があることを学生に知ってもらう授業も行なっています。

「つなぐ人」ということで掲げている人材像には2つあります。ひとつはファシリテーターなど独立した立場で、異なる分野や立場の人たちを「つなぐ」ことを専門にした職業人として活躍できる人材。もうひとつはそれぞれ自分の軸足となる専門分野を持ったうえで、他の領域とつなげられるスキルや見識を持っている人材です。卒業生は研究者となる人や民間企業に行く人などさまざまですが、基本的には専門となる分野を持ったうえで、他の分野とつなげたり、つなぐことを専門とした人たちとコラボレーションしたりと、生物学でいうレセプター(受容体)のような役割を担って欲しいと思っています。

——STIPSが掲げるような人材が育成されて社会に出ると、科学技術と社会のあり方について成熟した議論が起こりやすくなる社会になりそうです。最後に、STIPSの対象となる若手研究者や大学院生の方に一言メッセージをお願いします。

トランスディシプリンな領域に飛び込むことはリスクでもありますが、「来たらおもしろいよ」と伝えたいです。以前、「政策実務者にとってよいパートナーとなる研究者とは、すぐ答えを出す人ではなく、一緒に悩んでくれる人だ」という話を現場の方から聞いたことがあります。実務の現場で問題となっていることにドンピシャで答えをくれるような研究がないからという理由もあると思いますが、だからといってそこでおしまいにするのではなく、どういった専門分野を持った人やステークホルダーの意見を聞く必要があるかを政策実務者ともに考え、ともに政策をつくっていくプロセスとして「政策のための科学」はあるのだと思います。

「政策のための科学」は単に論文を読んで終わりではなく、社会のステークホルダーや政策実務者といった普段は接しない現場の方との議論に参加し、「動きながら考え、考えながら動く」ものです。受講した学生からも、授業で習ったことの生きた実例に触れて思わぬ発見があったという声があるなど、かなり満足してくれているようです。もしこうした活動に興味を持った方がいたら、ぜひSTIPSに来てみてください。

大阪大学・平川秀幸教授 プロフィール
大阪大学 COデザインセンター 教授
専門は、科学技術社会論。SciREX事業の拠点間連携プロジェクト「新しい科学技術課題検討のための政策立案システムの構築」など、科学技術が関わる公共的意思決定における専門性と民主政の相互作用について研究するとともに、ワークショップなど実際の政策立案システムの開発も行う。著書に『科学は誰のものか―社会の側から問い直す』(NHK出版)、共著に『ポスト3・11の科学と政治』(ナカニシヤ出版)などがある。

[PR] 提供:政策研究大学院大学 科学技術イノベーション政策研究センター(SciREXセンター)

この記事を書いた人

荒井俊
荒井俊
東京大学大学院学際情報学府修士課程。学部では1年次から哲学の原書テクストを精読するゼミに参加し鍛えられ、ベルクソン哲学で卒論を執筆。現在は人文社会科学がどこから来てどこへ向かうのかについて関心があり、特にそれと社会との交差点であるメディアに照準を定めて研究を進めている。