“黒色炭素粒子”から「雨雲の過飽和度」を推定する! – 気候変化の要因となるエアロゾル濃度の予測に向けた挑戦
エアロゾルとは?
大気中に漂う塵(エアロゾル)は、太陽光を反射・吸収することで地表に降りそそぐ日射量を変え、また水蒸気から雲ができるときの凝結核として働きます。これらを通じてエアロゾルは気候に影響を及ぼしていますが、エアロゾルは人間活動などから放出される気候変化の要因物質のなかでも、大気中濃度の予測がとくに困難であるため、地球温暖化の将来予測に不確実性を生む最大の要因のひとつとも考えられています。
エアロゾル濃度の予測が困難であることの主な理由は、大気からエアロゾルを除去する役割を担う雨雲が、実際どの程度の効率でエアロゾルを補足しているのか正確にわかっていないためです。本研究では、雨雲がエアロゾルを補足する効率を決めている「雨雲の中の空気が過剰に水蒸気を含んでいる割合(雨雲の過飽和度)」を観測することに初めて成功しました。
大気からエアロゾルが除去される原理
エアロゾルが除去される原理を、空気清浄機になぞらえて解説します。空気清浄機によって部屋から単位時間に除去されるエアロゾルの個数(除去率)は、
部屋からのエアロゾル除去率 [個/時間]= 空気清浄機を通る空気の流量 [体積/時間]
× 空気のエアロゾル濃度 [個/体積]
× フィルターによる粒子補足効率 [-]
という計算式で表せます。フィルターの目が細かいほど粒子補足効率は高まります。一方、大気において空気清浄機の役割を担うのは雨雲です。雨雲によるエアロゾル除去率も上と同様に、
大気からのエアロゾル除去率 [個/時間]= 雨雲を通る空気の流量 [体積/時間]
× 空気のエアロゾル濃度 [個/体積]
× 水蒸気の凝縮による粒子補足効率 [-]
という計算式で表せます。ここでは細かい説明を省き結論を述べるにとどめますが、雨雲の中で粒子を補足するフィルターのはたらきを担うのは、水蒸気の凝縮過程です。雨雲の中の空気が相対湿度100%の状態よりも過剰に水蒸気を含み、その結果、エアロゾルへの水蒸気の凝縮が急速であるほど、エアロゾルの補足効率は高まります。
相対湿度100%の状態よりも過剰に水蒸気を含んでいる割合のことを「過飽和度(supersaturation)」と呼び、過飽和度は空気清浄機のフィルターの目の細かさに相当します。理論計算や観測にもとづく従来推定では、雲の中の相対湿度は最大でも101%程度(過飽和度 < ~1%)とされてきました。
雨雲の過飽和度という難問
ここでとても厄介なことに、上に述べた0%から約1%という過飽和度の推定不確実幅の範囲内で、水蒸気の凝縮による粒子補足効率はほぼ0からほぼ1まで変化してしまいます。つまり、0%から約1%という過飽和度の不確実幅は、粒子補足効率を決めるうえではあまりにも大きすぎるため、雨雲の過飽和度を1%よりもずっと小さな不確実幅で決めることができなければ、エアロゾルの除去率を予測することはできないのです。
しかしながら、雨雲の過飽和度が決まる物理過程は非常に複雑であるため、数値モデル計算により実際の過飽和度を演繹的に導出することは(専門家の多くは)困難と考えています。また、これまで雨雲の過飽和度を観測できるような手法は考案されていませんでした。
大気を浄化するフィルターの目の細かさを測ることは、エアロゾルの除去率の予測を可能にするために必要不可欠であるものの、それをどのように測ればよいのか誰もわからなかったのです。
雨雲の過飽和度が記された天からの手紙
物理学者の中谷宇吉郎(1900~1962年)は、雪の結晶の形は気温と水蒸気量に応じて決まるという経験則を見出し、雪の結晶に上空の気象情報が記録されている事実を「雪は天から送られた手紙である」という言葉で表しました。
これと類似して、私たちの研究によると、雨雲からの雨滴に含まれて落ちてくる小さな黒色炭素(すす)粒子もまた天から送られた手紙であり、その手紙からは、まさに私たちが知りたい「雨雲の過飽和度」を解読できることがわかったのです。
一般に、自然科学研究において、何か有用な情報をどこかの時点で記録し、移動中でもその情報を保存している観測可能な記憶媒体のことを「トレーサー」と呼ぶことがあります。雪の結晶は、上空の気象情報を記録しそれを保存したまま地表に届き、光学顕微鏡で観測できることからトレーサーといえるでしょう。
私たちは、大気中および降水中に含まれる黒色炭素粒子の測定技術を開発し、さらに黒色炭素粒子が水中で安定であり過飽和度を記録していることの発見を経て、ついに黒色炭素粒子をトレーサーとする雨雲の過飽和度の推定法を完成させました。トレーサーであるために必要な観測可能性、保存性、記録情報の復元可能性、という3条件をすべて肯定的に実証するのに約7年を費やしました。
この推定法では、降水前の大気に存在する黒色炭素粒子(初期トレーサー)と、降水に含まれて雨雲から除去された黒色炭素粒子(除去トレーサー)の粒径分布を比較することで、粒径ごとの「除去効率」を求めます。それと同時に、降水前の大気に存在した黒色炭素粒子の「雲粒化に必要な過飽和度」を観測から決めておきます。トレーサーの粒径ごとに求めたこれらの相対除去効率と雲粒化に必要な過飽和度を比較することで、各トレーサー粒径をもつエアロゾル粒子が雲粒化したときの過飽和度を推定できます。
雨雲は大きく分けて、対流圏下層の水蒸気収束に伴う対流性のものと、対流圏中層の水蒸気収束に伴う層状性のものがありますが、本研究の手法はその前提条件から対流性の雨雲のみに適用が可能です。
本研究では、東京(夏季)と沖縄(春季)における計37回の降水イベントを観測し、過飽和度を推定しました。また、そのうち相対的に対流性の強い23回の降水イベントのみを抽出した過飽和度についても推定しました。その結果、全降水イベントの結果に比べて、相対的に対流性の強い降水イベントの結果では、トレーサー粒径に依存した系統差が小さく、より信頼性の高い推定ができていることが示唆されました。
また、上記23回の降水イベントの結果から、降水雲の過飽和度の平均±標準偏差は0.08±0.03%と導出されました。これまで、過飽和度の仮定値としては主に0.1%~1%の範囲の値が用いられてきましたが、今回の過飽和度の観測データからは、雨雲のフィルターの目は従来信じられていたよりもやや粗く(粒子補足効率が小さく)、かつ目の細かさの自然変動幅はかなり小さいということが示唆されました。
過飽和度が変わると大気のエアロゾル濃度はどれだけ変わりうるのか?
さらに、エアロゾルの粒径・混合状態・臨界過飽和度を精密に考慮した全球大気モデルを用いて、黒色炭素(すす)濃度の全球分布が「降水雲中の過飽和度の仮定値」にどの程度影響されるのかを調べる感度実験を行いました。
その結果、今回の観測データの平均±標準偏差(0.08±0.03%)の範囲内の小さな過飽和度の変化により、発生源から遠方(たとえば北極圏)の黒色炭素濃度は2~3倍も変わることがわかりました。このことから、正確なエアロゾルの全球モデリングのためには、雨雲の過飽和度を正確に決めることが重要であることがわかりました。
今後、数値シミュレーションによる演繹的な予測が困難である雨雲の過飽和度について、本研究で得たような直接観測データを仮定値として採用すれば、全球大気モデルによるエアロゾルの予測性能を大幅に向上できるかもしれません。
参考文献
- Mori, T., Moteki, N., Ohata, S., Koike, M., Goto-Azuma, K., Miyazaki, Y., & Kondo, Y. “Improved technique for measuring the size distribution of black carbon particles in liquid water” Aerosol Science and Technology, 50(3), 242-254. (2016)
- Ohata, S., Moteki, N., Mori, T., Koike, M., & Kondo, Y. “A key process controlling the wet removal of aerosols: new observational evidence” Scientific reports, 6, 34113. (2016)
- Moteki, N., Mori, T., Matsui, H., Ohata, S. “Observational constraint of in-cloud supersaturation for simulations of aerosol rainout in atmospheric models” npj Climate and Atmospheric Science, 2(6), (2019) doi: 10.1038/s41612-019-0063-y.
この記事を書いた人
- 東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻・助教。群馬県出身。東京工業大学理学部化学科を経て、東京大学大学院地球惑星科学専攻修了。博士(理学)。専門はエアロゾルや雲を中心とした大気物質科学、微粒子の光測定技術の開発、粒子による電磁波の散乱。日本気象学会 2013年度 山本・正野論文賞受賞。