理論物理学者として数々の実績を残す傍ら、著書「超ひも理論をパパに習ってみた」や「超弦理論知覚化プロジェクト」、「TED×OsakaUでの講演」など、さまざまなアウトリーチ活動も手がけている大阪大学・橋本幸士教授。大学時代まで「物理学者という仕事があることを知らなかった」という橋本教授は、なぜ物理学を志し、超弦理論の分野を選んだのだろうか。超弦理論の基本的なアイデアやその歴史を振りかえりながら、橋本教授の研究者像に迫る。

ーー超弦理論の研究者と聞くと、幼いころから物理学の本を読んでいたイメージがあるのですが、実際はどうだったのでしょうか。

小学生のころから物理学者に憧れていたというようなことは、実はまったくないんですよね。そもそも物理学者という仕事があることすら知りませんでしたから(笑)。子どものころは、物のカタチのように、もっと具体的なことに興味を持っていました。

ーー物のカタチですか……?

レゴがすごい好きで、身のまわりの物体をレゴで再現しようとしていました。カタチがシンプルであれば比較的作りやすいのですが、たとえばレゴで人間を作ろうと考えると、そもそも表面が柔らかい人間をどう再現するのか、完成したとしてもどのように動かすのか、ということまで考えなくてはなりません。ここまでやろうとすると大変ですが、当時はそういうことに情熱を燃やしていましたね。あとは、日本地図を非常に精密に書くというプロジェクトを一人で発動させたりしていました(笑)。小さい島を含めてすべて書いていましたよ。やはりカタチに興味を持っていたのでしょうね。

ーーなるほど。好きな科目はありましたか?

中高生になると、数学が好きになりました。積分で体積を導出するというように、さまざまなカタチを数学で論理的に理解できるということが、すごくおもしろかったんですね。自分の興味に合うのは数学だと思って、大学では数学を勉強しようと思っていたのですが、いざ入学して勉強をはじめてみると、予想していた数学とは全然違ったんです。教科書には、理学系出身の方ならお馴染みの「イプシロン・デルタ論法」のように複雑なことがたくさん書いてあるのですが、あまり興味を持てませんでした。

ーー物理学に興味が移ったのは、どのようなタイミングだったのでしょうか。

大学2年生の時に、霊長類研究所を見学する合宿イベントがあったのですが、引率してくれた先生が素粒子物理学の専門家で、夜に学生を集めて物理学の魅力をとうとうと語りはじめたんです。そのときにはじめて、世の中のカタチを数学で解き明かせる分野があることを知り、物理にシフトすることにしました。物理学のなかでも数学よりだった分野が、素粒子物理学の分野だったんです。

ーー橋本先生は特に、超弦理論を専門とされています。超弦理論とは、どのような理論なのでしょうか。

物質の構成材料である原子は、中心の原子核とその周りの電子たちで構成されていて、原子核を構成する陽子と中性子はこれ以上分解できない「素粒子」だと信じられてきました。しかし、1960年代に加速器実験が進展すると、陽子や中性子に似た新粒子がたくさん発見されました。そこで、陽子や中性子は素粒子ではないだろうと考えられるようになったんです。そのときに、物質の最小単位は粒子ではなくて「ひも」であると仮定する南部陽一郎のアイデアが登場して、超弦理論の研究が幕を開けました。

ーー物質を細かくし続けると最終的に「ひも」になるというのは、不思議な気がします。なぜ「ひも」に置き換えようと考えるのでしょうか。

ひもは長さを持つため、振動したり巻きついたりすることができます。振動は、節が1つの振動、節が2つの振動などというように、エネルギーの異なるさまざまな定在波に分類できるんですね。エネルギーは質量に相当することがアインシュタインの理論から言われていますので、ひもの振動の違いや巻き付き方の違いによって、異なる質量を持つ粒子たちを説明できるというわけです。

ーーひとつの「ひも」であらゆる素粒子の性質を理解してしまおうと。

そういうことです。ただし当初は、弦理論が数学的に無矛盾にならないためには、空間の次元を25次元にしなければならないなどの問題が指摘されて、一度は下火になりました。

ーー25次元とは、まったく想像できない世界です……。

ところが1980年代に、「超弦理論の第一革命」が起こりました。基礎物理学における大きな夢に、自然界を支配している4つの力である、強い力、電磁気力、弱い力、重力をひとつの理論で説明するということがありまして、すでに重力以外の3つはゲージ場の量子論という枠組みで説明できているのですが、重力を統合することは未だにできていません。しかしこのとき、超弦理論のひとつのバージョンから、4つの力を統一的に説明できる可能性が見えてきたんです。

ーー基礎物理学の夢に一歩近づいたということですね。ちなみに、ここで提唱された超弦理論は空間の次元は何次元になるのでしょうか。

9次元で、ある程度は現実的な解釈がされるようになりました。ただし残念ながら、理論が一定の範囲内でしか使えなかったため、次第に盛り上がりは薄れていきました。その後も研究は進んでいき、1995年になると「超弦理論の第二革命」がスタートします。私はこのタイミングで大学院に入ったので、教授も学生も関係なくみんなで一緒に勉強をはじめることになりました。

ーー第二革命から20年で、最もインパクトのある発見があれば教えてください。

第一革命のころに比べると、理論で扱える範囲が広がったということも重要なのですが、一番の発見は、「ホログラフィ原理」です。たとえば、写真のネガそのものは二次元なのに、実際には立体的に見ることができますよね。それと同じような考えかたを素粒子物理学に適用できることが、超弦理論から予言されたんです。

ーー具体的な事例があれば、教えていただけますでしょうか。

以前、ブルックヘブンで、宇宙のはじまりであるビックバン直後の状態を再現する実験が行われました。ビックバン直後は4兆℃の超高温状態で、陽子や中性子を構成している素粒子「クォーク」とそれらをつなぎとめている素粒子「グルーオン」がバラバラに存在している「クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)」状態であると考えられています。この実験では、QGPを実現することができただけではなく、QGPがサラサラであることが明らかになりました。しかし、なぜサラサラになるのかということは、クォークとグルーオンの振る舞いを説明する「量子色力学」で説明することは難しく、スーパーコンピュータを使っても現時点では説明できません。

一方で、「量子重力理論」を使うことで、さらさらのQGPができることが予言できました。もともとまったく異なる理論なのに実は同じであるという等価性を使って、難しい計算を解くことができたということです。ホログラフィ原理から得られた「4次元の量子色力学=5次元の量子重力理論」という等価性を使って、実際の物理現象を説明することができたこの研究成果は、超弦理論の予言であるとも言われています。

ーーQGP以外の物理系に適応することもできるのでしょうか。

高温超伝導物質の研究に、重力の計算が使われることもあります。強い相互作用をしている系は一般的に計算が難しくなるので、そこに重力の考えかたを輸出するということですね。

ーーホログラフィ原理は、超弦理論の正しさを示す証拠になるように思いますが、やはり「ひも」自体が見えたとなると、よりインパクトがあるように思います。今後、実験的に「ひも」を観測することはできるのでしょうか。

それはだれにもわかりません(笑)。明日わかるかもしれないし、100年後になるかもしれません。ただ現在の加速器実験の延長線上に、うようよ動いている「ひも」が見つかるということは、直接的には想定が難しいです。なぜかというと、「ひも」の特徴的な性質が観測されるエネルギースケールが1015TeVと、ものすごく大きいんです。

ーー現在の加速器実験のエネルギースケールはどれくらいなのでしょうか。

だいたい10TeVくらいです。まさに桁違いですよね。もちろん理論模型にはさまざまあり、そのなかにはもうすぐ「ひも」の振動が見えるという予想もあるので、ありえないと断定することはできないのですが。

ーー今後、どのような実験データから「ひも」の証拠を確かめることができるのでしょうか。

ビックバン直後には、「ひも」が存在するエネルギースケールがあったはずなので、当時放射された電磁波や重力波の観測が進むことによって、間接的な証拠が出てくるのではないかと思います。そうすると、当時の重力の様子がわかってくるはずです。

ーー超弦理論で考えられる9次元の世界を、私たちの見えるカタチに落としこむことはできるのでしょうか。

実はまさに、そこに取り組んでいるところです。あるアート関係の方に、超弦理論の研究者の頭のなかがどうなっているのか見たいと声をかけていただいたことがきっかけで、現在「超弦理論知覚化プロジェクト」が動いています。私たちは、高次元空間の数式を毎日のように取り扱うので高次元を見ることができるのですが、それを一般の方々に伝えることは簡単ではありません。このプロジェクトを通じて、高次元がすぐそこに潜んでいるということを、特に若い世代に伝えていきたいと思っています。

ーーアーティスト × 物理学者 というのは、素晴らしいコラボレーションですね。他にも異分野との共同プロジェクトは動いているのでしょうか。

まだ詳しくは言えないのですが、人工知能の研究も進めています。アウトリーチ活動で知り合った人工知能の研究者と飲んでいたときに、人工知能と高次元に共通項があるのではないかという話になりまして、お互いまったく違う分野ではあるのですが、プロジェクトを始動させました。このアイデアが論文になるかどうかはわかりませんが、それはそれでとてもおもしろいので、何かしら形にしていければ良いなと思っています。

ーー最後に、研究者として達成したい目標について、教えてください。

理論物理を研究していると「ああ、これは美しい関係だな」というように、自分の中に深く染み入るときがあるんです。アインシュタインも、自分自身が編み出した一般相対性理論を美しいと思ったはずなのですが、なぜ美しいと感じたかというところまでは、よくわかっていないと思うんですよね。美しいと思わせる理論には、何かしらの構造があるはず。「ひも」の正体に迫るとともに、そういうことも明らかにしていければなと思っています。

(はしもと・こうじ)大阪大学教授 プロフィール
1973年生まれ、大阪育ち。2000年京都大学大学院理学研究科修了。理学博士(京都大学)。カリフォルニア大学サンタバーバラ校理論物理学研究所、東京大学、理化学研究所などを経て2012年より現職。専門は理論物理学、弦理論。超弦理論と場の理論の数理を用いて、素粒子論を中心にさまざまな物理学の現象と数理構造を対象にした研究を行う。著書に『Dブレーン − 超弦理論の高次元物体が描く世界像』(東京大学出版会)、『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』(講談社サイエンティフィク)、『マンガ 超ひも理論をパパに習ってみた』(大阪大学出版会)など。大阪大学湯川記念室委員長、大阪大学理論科学研究拠点拠点長。『小説すばる』で連載、雑誌『パリティ』編集委員。アーティストとのコラボレーションを含め、様々なアウトリーチを行う。HPはこちら

この記事を書いた人

柴藤 亮介
柴藤 亮介
アカデミスト株式会社代表取締役。2013年3月に首都大学東京博士後期課程を単位取得退学。研究アイデアや魅力を共有することで、資金や人材、情報を集め、研究が発展する世界観を実現するために、2014年4月に日本初の学術系クラウドファンディングサイト「academist」をリリースした。大学院時代は、原子核理論研究室に在籍して、極低温原子気体を用いた量子多体問題の研究に取り組んだ。