茨城県つくば市に拠点を置く高エネルギー加速器研究機構(KEK)では、地下11mのトンネル内に設置された周長3kmほどのリングの内部で、高エネルギーの電子と陽電子を衝突させる「Belle 実験」を、1999年から2010年まで運転してきた。現在KEKでは、この実験で利用してきたKEKB加速器とBelle測定器のアップグレード作業を進めており、2017年度からその進化版ともいえる「Belle II実験」の稼働を目指している。これまでの実験とは何が異なり、どのような研究成果が期待されるのだろうか。今回、Belle II実験のプロジェクトマネージャーとして、国内外700名以上の研究者をまとめているKEK素粒子原子核研究所・後田裕教授にお話を伺った。

——素粒子物理学は、何を明らかにすることが目的なのでしょうか。

世の中のすべての現象を記述できる究極の理論を見つけることです。現在は「標準模型」と呼ばれる理論があり、この理論を使えばほとんどすべての実験結果を矛盾なく説明できるのですが、宇宙全体の物質エネルギーの大半を占めている暗黒物質や暗黒エネルギーのように、説明できない謎はたくさん残されています。ですので、標準模型を包含したその先の理論を構築していかなければなりません。ただ、標準模型で説明できない実験結果がなかなか出ないので、この理論のどこがダメなのか、はっきりわからないんです。

——標準模型では説明できない実験結果を出したい、と。

そうですね。最近ではポツポツではありますが、あやしげな実験結果は出ています。ほとんどの結果は、95%~99.7%程度は確からしいです。十分確かそうに思える数字でしょうが、 私たちは99.9999%確からしくないと認めないので、まだ「あやしげな兆候」としか呼びま せん。現在もいくつかの実験に関しては、世界中で追試が行われています。

——理論的な研究も進められているのでしょうか。

標準模型を超える理論には、いろいろなものがあります。理論グループが新しい理論を打ち出してきた場合は、まずは標準模型自体を再現できるかチェックされることになります。その後、現在追試で行われているような実験結果をすべて説明できるかどうかも問われてきます。

たとえば、巨大な象がいるとしましょう。象の鼻やお尻、尻尾のようなパーツだけを見ていても、それが何かはよくわかりません。全体を俯瞰することで、はじめて象であることがわかるわけですね。現在の素粒子物理学は、実験で象の各々のパーツを確認しながら、理論で全体像を理解しようとしている段階といえます。

——後田先生の研究テーマで、最も印象的な研究成果があれば教えてください。

私の研究でいうのであれば、博士論文のときの研究テーマでもあった「b → sγ」ですね。B中間子を構成するボトムクォーク(b)が、ストレンジクォーク(s)と光(γ)に崩壊するプロセスでは、標準模型を超えた寄与が入りやすいといわれていました。当時、周りの研究者は小林・益川理論に注目していたのですが、私はひねくれ者ですので、新しい物理を探すことにしたんです。

——実際には、どのような実験を行なったのでしょうか。

「b → sγ」が発生する確率を実験的に測定しました。標準模型では、ある値が予想されているので、実験結果がその値より大きかったり小さかったりすると、そこに新しい現象が起きているのではないかと考えるわけですね。当時も、標準模型からズレることを期待しながら実験をしたのですが、見事に理論値と誤差の範囲で一致しちゃったんです。標準模型、強いんですよ(笑)。

ーー値が一致したということは、新しい研究成果といえなくなってしまうのでしょうか。

そうではありません。新しい物理は見つからなかったのですが、新しい理論模型を構築する際の強い制限を与えることができました。つまり、私たちが測定した実験データを説明できる理論模型しか許されなくなったわけです。

——現在KEKで行われている、KEKB加速器とBelle測定器のアップグレードについて教えてください。

KEKB加速器では、電子の塊と陽電子の塊を衝突させているのですが、両者は実はそう簡単には当たらないんですね。今回、KEKB加速器からSuperKEKB加速器にアップグレードさせることで、衝突確率を40倍に上げることができる予定です。加速した粒子の衝突のしやすさを表すルミノシティの値は、世界一です。加速器では、最大約900億個の電子の塊と陽電子の塊が1秒間に約2.5億回交差して、その結果、B中間子と反B中間子が1秒間に約1000対生成されます。それらはすぐに崩壊してしまうので、その様子をBelle II測定器で記録します。

ーーとてつもない回数の反応が起きるのですね……。

加速器の性能が40倍になるとうれしい反面、私たちが観測したい反応だけではなく、観測したくない反応も増えてしまうデメリットがあります。観測したくない粒子まで測定器にかかってしまうんです。ですので、測定器のパワーアップも必要です。今回、測定器を構成している素子を空間的に細かく分けることで、バックグラウンドの粒子と私たちが観測したい粒子の入射データを分離するという工夫を施しました。また、観測時間の間隔を細かくすることによって、より効率的にデータが取れるようにもしています。Belle測定器からBelle II測定器へのアップグレードにより、主に空間的・時間的な微細化が進んだといえます。

——研究者が観測したくないと考えたデータが、新粒子発見につながるという可能性はないのでしょうか。

必要ではないデータにもいろいろな種類があるのですが、その可能性は否定できません。私が捨てようとしたデータを、別の人が宝の山だと考えることはあります。ただ、そんなに重要なデータはないだろうとほとんどの人が思っているので、そのアプローチは人気がないんですよね(笑)。

——SuperKEKB/Belle II実験は、これまでの実験とは何が違うのでしょうか。

基本的には、Belle実験と同じです。一番の目的は、電子と陽電子を衝突させることによりB中間子と反B中間子のペアを作ることで、それと同時に、チャームクォークと反チャームクォーク、τプラスとτマイナスなどの組み合わせも観測します。ただ、Belle実験に比べると、べらぼうな量のデータが取れることになります。Belle II実験では、単位時間に取れるデータが40倍になるので、早い話がこれまで40年かかっていた測定が1年で終わるわけですよ。私が苦労して取得した博士論文のデータも、一瞬で取れてしまうということです。

——後田先生が注目している物理現象があれば、教えてください。

「b → sγ」は大好きですので、注目しています。あとは、B中間子が電子と陽電子などに崩壊する「b → sl+l」という現象にも、標準模型を超えた新しい物理の寄与があるのではないかと注目されており、私自身も興味を持っています。

実験がスタートすると、実験グループは崩壊現象などを観測して、理論グループが標準模型から導いた値と比較します。測定値が理論値とズレていると「これは新発見だ!」と盛り上がるわけですが、理論グループの再計算の結果、新発見ではないことが明らかになったりもします。この辺りに関しては、「これはどう考えても標準模型とは一致しない結果だ!」と確信が持てるまで、ひとつひとつの結果を積み上げていくしかないですね。

——Belle II実験は、世界24か国、総勢700名以上が関わるビッグプロジェクトということですが、どのように進められているのでしょうか。

基本的には、加速器の運転はホスト国で、加速器の建設と測定器の建設と運転は各国で分担して行うことになります。Belle II実験の場合では、加速器の資金は日本が出して、測定器に関しては各国と議論しながら決めていく形です。日本としては各国からたくさん資金を集めたいところですが、小さな国から何十億も集めるのは難しいので、そこは臨機応変に対応しています。また、どの国がどの測定器を作るのかということは、各国の得意分野を考慮したうえで決めることがほとんどです。

——各国で得意分野が違うのですね。ちなみに、外国の加速器実験に日本が参入するうえでの得意分野は、どのようなところにあるのでしょうか。

日本の得意分野は、加速器の建設で必要となる超伝導電磁石です。これまでノウハウを蓄積してきたので、他国よりも強い技術を持っています。

——継続的に研究を進めていくには、現在クラウドファンディングで資金を募られている高校生対象の研究体験プログラム「Belle Plus」の取り組みも重要になるように思います。最後に、Belle Plus の魅力について教えてください。

一番の魅力は、私たちがいつも使っている装置に触れられることではないでしょうか。私も Belle Plus 立ち上げ時から2年間は、スタッフを担当していたのですが、当時はBelle測定器で一緒に実験をしていましたよ。実験データをもとに、研究者と一緒にあれこれ考える機会はなかなかないので、貴重な経験になるのではないかと思います。結果がわかりきっている実験は、おもしろくありませんからね。今年参加する高校生にも、上手くいく経験と上手くいかない経験をたくさん積んでもらって、自分の力でものごとを考え抜く機会を提供できればと思います。

後田裕(うしろだ・ゆたか)教授プロフィール
1972年広島生まれ。2001年3月京都大学大学院理学研究科 物理学・宇宙物理学専攻 単位取得の上退学、4月高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 助手、7月博士(理学)取得。素粒子原子核研究所 助教、准教授を経て、2011年より教授。総合研究大学院大学 高エネルギー加速器科学研究科 素粒子原子核専攻 教授。東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 教授。Belle II実験のプロジェクトマネージャーとして国内外700名を超える研究者をまとめる。

この記事を書いた人

柴藤 亮介
柴藤 亮介
アカデミスト株式会社代表取締役。2013年3月に首都大学東京博士後期課程を単位取得退学。研究アイデアや魅力を共有することで、資金や人材、情報を集め、研究が発展する世界観を実現するために、2014年4月に日本初の学術系クラウドファンディングサイト「academist」をリリースした。大学院時代は、原子核理論研究室に在籍して、極低温原子気体を用いた量子多体問題の研究に取り組んだ。