科学史という研究分野をご存知だろうか。言葉をそのまま解釈すると、科学と歴史を組み合わせた学問というように捉えることができる。しかしながら、科学という言葉には多様な意味が含まれており、また歴史を調べるにしてもいつからいつまでの出来事をどのように分析するのか等、考える余地が多すぎるように思える。実際のところ、科学史研究はどのように進められているのだろうか。今回、国立科学博物館・有賀暢迪研究員に、科学史研究の基本的な考えかたや、実際の研究テーマに関してお話を伺った。

ーー科学史とは、何を明らかにするための学問なのでしょうか。

読んで字のごとく、科学の歴史を明らかにすることを目的としています。ただ、「科学」という言葉で何を指すかは、人によって違うのではないでしょうか。たとえば、教科書や論文に書かれているような知識そのものを「科学」と捉えることができます。この場合、科学的知見が得られて定着するまでのプロセスが研究対象になります。また、少し違う方向から考えてみると、研究手法の変遷を追うことも科学史で取り扱うテーマのひとつです。さらに視点を広げると、研究者や研究機関の歴史というのもありますし、科学が私たちの社会や生活にどのような影響を与えてきたのかということも、研究テーマになり得ます。

ーー幅広い研究テーマが考えられそうですね。研究領域を整理するのも大変そうです。

一番わかりやすいのは、各学問の歴史をたどる見方です。物理学の歴史なのか、生物学の歴史なのかということで、研究領域を分類することができます。また、各々の研究者の着目する時代や地域で分類することもあります。日本の明治時代についての研究なのか、あるいはルネサンス期のヨーロッパについての研究なのかといった分けかたですね。科学と歴史が掛け合わされることになるので、科学史の研究領域は恐ろしく広いのですが、広い割には学問分野としてマイナーなのが残念です。科学史に触れる機会があまりないというのが、理由のひとつではないかと思います。

ーー有賀さんが科学史に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。

大学時代に、科学史の講義を運良く聴けたことが直接のきっかけです。ただ、思い返してみると、高校時代から教科書に書かれている内容がどんな経緯で分かったのだろうかということは不思議に感じていました。もともと科学史研究に向いている疑問の持ち方をしていたのかもしれません。私自身の研究としては、科学の理論や概念に関するものが多いです。

ーー具体的に取り組んだ研究テーマについて教えてください。

大学院時代は、古典力学の歴史を研究していました。たとえば、18世紀のヨーロッパで登場した「最小作用の原理」がどのように提唱されたかというプロセスを追った研究です。原理の説明は省きますが、先行研究ではモーペルテュイという人物が原理のアイデアを最初に述べて、オイラーという有名な数学者が定式化をしたと言われていました。ですが、よくよく調べてみると、最小作用の原理を二人で作ったのではなくて、二つの最小作用の原理が別々に考えられたという解釈のほうが正しいのではないかということが見えてきました。

ーーそれはどのような資料から判断されているのでしょうか。

二人の書いた本・論文や、二人がやり取りした手紙です。オイラーの場合は、幸いなことに全集というのがあって、そこに全て公開されているんですよ。事実関係を一つひとつ確認していくうちに、先行研究で見落とされている点があることに気が付きました。それは、二人の手紙のやり取りの中で、彼らの話が噛み合っていないということです。それで私は、モーペルテュイのアイデアを基にオイラーが定式化をしたとは言えないだろうと考えるようになりました。

ーー噛み合っていないというのは……?

具体的には、二人が「作用」と呼んでいたものが違いました。二人とも、「ある種の量が最小になる」という言い方をしているのですが、この量の理解あるいは定義が違っていました。二人は最初、お互いの使っている言葉の意味が違うことに気付いておらず、またそれに気付いた後も自分に都合の良いように相手を解釈していたというのが、私の主張です。

ーーなるほど。そういった手紙や論文は何語で書かれているのでしょうか。

この研究の例だと、基本的にはフランス語です。ラテン語も少しありますね。あとは、その当時の数学というのも、言語の一種に数えてよいかもしれません。どの言語を読めるかということが、研究テーマの選択には非常に影響します。

ーーそれだけのものを読めるようになるのは、かなり大変ですね。

大学院の指導教員のおかげで、この時代の力学文献を読む訓練を受けていたので、原文で読むことができています。科学史を研究するとなると、翻訳されたものだけで済ませるわけにいきませんからね。原文が、自然科学でいうところの「生データ」に当たるわけです。

ーー「生データ」が実験で得られたデータではなく、文献になるということですね。

そうです。ちなみに、科学史では参考文献に2種類あって、データとなるその時代の文献を一次文献、それに基づいて書かれた専門書や研究論文を二次文献と呼んだりしています。一次文献は、私の場合は印刷・出版されたテクストであることが多いですが、一般には手書きのものも含まれます。そういう史料を読むには、また別のスキルが必要ですね。

ーー研究者人口も少なく、研究テーマもスキルも多様となると、論文を審査できる人は限られるのではないでしょうか。

細かい内容までは立ち入るのが難しいというのが正直なところです。私見ですが、論文の審査基準としては、著者の主張が史料をもとに論理の飛躍なく説明できているかどうかという点が一番重要になると思います。もちろん、分野の近いレフェリーの場合には、この文献も参照するべきだというコメントが付くこともあります。「研究」と言うからには、単に一次文献を読んだというだけではやはり駄目で、先行研究と比べてどんな新しい知見が得られたのか、どんな新しい解釈を提示しているのかということが言えないといけません。

ーー最小作用の原理に関する研究成果は、原理が得られた過程を追うものだと思うのですが、研究手法の変遷を追うようなテーマがあれば教えてください。

今の職場に来てから取り組んでいるテーマのひとつに、研究現場に数値シミュレーションが導入された過程に関するものがあります。先ほどの話では、私の関心は研究者の頭の中にあったわけですが、こちらでは研究手法、あるいは研究スタイルを問題にしています。事例として取り上げたのは、台風の進路を予測する手法が日本国内で計算機導入前後にどのように発展したかという問題です。

ーーそれは面白そうですね。この研究はどのように進められたのでしょうか。

主に国内で出版された論文や総説を探して、一つずつ読みました。さすがにオイラー全集のような資料はありませんので。関連文献を10年分くらい集めて、それらを時系列に並べて整理し、分析するという作業を行いました。

ーーいつごろの出来事に着目されたのでしょうか。

1950年代です。コンピューター(電子計算機)を用いた気象予測はアメリカで1950年に始まったのですが、その方法そのままでは台風の進路予測にうまく使えなかったので、日本の気象学者がいろいろな手法を考えました。最初の頃はまだコンピューターが導入されていなかったので、研究者たちが理論的なモデルを作り、紙とペンによる計算で予測を行います。そうして得られた結果を、実際の台風の進路データと照らし合わせつつ、モデルや計算法を改良していくというプロセスが繰り返されました。

ーーコンピューターを使わずに予測しようとしたということですか。

いずれ日本でもコンピューターが導入されるだろうから、その時に使えるような手法を開発しようということですね。実際、この開発と並行して、コンピューターの利用も少しずつ始まってきます。そして1959年になると、気象庁にコンピューターが設置されて、計算機が本格的に使われる時代となりました。

ーーそこで一気に研究が進展することになるのですね。

それは間違いないですし、計算速度も信じられないほど向上しました。ただ、それによって科学の方法が根本的に変わったとまで言ってよいかは考える余地があると思っています。案外、やっていることは1950年代から変わっていないようにも見えるので……。もうひとつ大事だと思うのは、研究手法の変化を促すのは、あくまでも研究者たちの持つ問題意識だということです。実際に手を動かしている研究者たちが、日々試行錯誤をするなかでモデルや計算法が進化して、結果的に手法が変わっていく。台風の進路予測の話でもそうですが、コンピューターで計算速度を上げることはできても、研究そのものが自動的に進むわけではない。それが、この事例研究を通じて感じたことです。

ーー有賀さんが今後研究で成し遂げたいことについて、教えてください。

今日は18世紀のヨーロッパと戦後の日本の話をしたわけですが、この2つのあいだにはものすごく大きな距離を感じています。同じ「科学」とは言いつつ、雰囲気がまるで違うんですよね。18世紀から現代までに科学がどう展開して、人々の生活に大きな影響を及ぼすまでになったのかを理解していくことが、大きな目標です。そういう意味もあって、最近は特に日本の明治時代(19世紀後半)に関心があります。

ーー最後に、いまの自然科学研究者に対して何かメッセージがあれば。

現在からすると、昔の研究成果なんてたいしたことないと感じるかもしれませんが、その当時の環境を知らずして、一概にそう決めてしまうのも違うと思うんですよ。100年後の科学者たちに、100年前の科学は全然たいしたことなかったと言われたら悲しいじゃないですか(笑)。そういう意味でも、過去の違う時代や環境で過ごしていた研究者たちがどのように物事を考え、研究を進めていたのかに興味を持ってもらえたら嬉しいですね。

研究者プロフィール:有賀暢迪研究員
国立科学博物館理工学研究部研究員。京都大学博士(文学)。京都大学総合人間学部で物理学の基礎を学んだあと、大学院文学研究科に進んで科学史を専攻。大学の非常勤講師などを経て、2013年より現職。大学院では、18世紀のヨーロッパにおける力学の歴史とその時代背景を主に研究していた。3.11を機に、近現代の日本における科学/技術の歴史に強い関心を持つようになり、科学博物館では主に後者の領域で、調査研究・資料整理・展示制作を行っている。近年の著作としては、ヘリガ・カーオ著、有賀暢迪・稲葉肇ほか訳『20世紀物理学史:理論・実験・社会』(名古屋大学出版会、2015年)や、池田嘉郎ほか編『名著で読む世界史120』(山川出版社、2016年)におけるニュートン『プリンキピア』の紹介記事などがある。

この記事を書いた人

柴藤 亮介
柴藤 亮介
アカデミスト株式会社代表取締役。2013年3月に首都大学東京博士後期課程を単位取得退学。研究アイデアや魅力を共有することで、資金や人材、情報を集め、研究が発展する世界観を実現するために、2014年4月に日本初の学術系クラウドファンディングサイト「academist」をリリースした。大学院時代は、原子核理論研究室に在籍して、極低温原子気体を用いた量子多体問題の研究に取り組んだ。