流氷の海に住む魚はなぜ凍死しない? – 宇宙実験で解き明かす
南極や北極の流氷で覆われた海は、海水温が-2℃以下になっています。こんな極限的な寒冷環境のなかでも、魚をはじめさまざまな変温動物が生息しています。彼らは、なぜ凍死することなく生き延びることができるのでしょうか。この興味深い生命の秘密を解き明かすために、私たちは地上から400kmの高さを周回する国際宇宙ステーション(International Space Station; ISS)の中で、氷結晶の成長実験を行いました。海に住む魚の生存戦略を、宇宙実験でどう解き明かすのかを紹介しましょう。
生体の凍結を抑制する特殊なタンパク質
流氷の下に住む魚の血液には、凍結を防ぐ機能を持つ特殊なタンパク質(凍結抑制タンパク質)が含まれています。このタンパク質は、氷の表面に吸着することで氷結晶の成長を抑制し、魚の凍結を防ぐと考えられています。しかし、実際に氷の結晶成長をどのように制御しているのかは、未だ多くの謎が残されています。近年、このタンパク質の持つ機能が医療や食品の分野での活用が期待されるようになり、この謎の解明が待望されています。
実験の場としての宇宙空間
このタンパク質が氷の結晶成長を制御する謎を解明する第一歩は、氷の結晶成長速度を精密に測定することです。これは結晶成長の基本ともいうべき測定ですが意外と難しく、特に地上で実験を行うと簡単にはいきません。そのわけは、成長する結晶の周囲には重力による熱対流などの流れが発生するため、その影響で成長速度も変動してしまうからです。これを避けるためには、ISSの内部で実現する無重力環境を利用することが最も効果的です。今回の実験では、不純物としてごく微量の凍結抑制タンパク質を加えた水中で、氷のベーサル面(底面)の成長速度を測定しました。
ISSのなかで実験を行うためには宇宙実験装置の開発が必要です。この実験のために北海道大学とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が協力し、光の干渉を使うことで氷の成長速度を精密に測定できるIce Crystal 2と呼ばれる装置を完成させました。この装置は2013年夏に種子島宇宙センターから打ち上げられ、ISSの日本実験棟「きぼう」に設置されました。実験は地上から送信する信号による遠隔操作だけで行うことができます。宇宙飛行士の活動に伴う重力のわずかな変動も避けるため、実験は宇宙飛行士が寝静まった深夜に行いました。こうして、約6ヶ月間にわたり全部で124回の結晶成長実験を繰り返し、このうち22回で氷の成長速度の精密測定に成功しました。宇宙にある装置を地上から遠隔制御する困難さを考えると、この成功確率は十分に高いものと言えます。
宇宙実験ならでは……
宇宙実験では、不純物として加えた凍結抑制タンパク質の効果で、氷のベーサル面の成長速度が純水中に較べて3~5倍も速くなること、さらにはその成長速度が周期的に変動することがわかりました。不純物は氷の表面に吸着して成長を抑制すると考えるのが普通ですが、宇宙実験の結果は完全にこれに反しています。さらに、成長速度の周期変動もこれまでに報告されたことがありません。宇宙実験では重力による熱対流などの乱れはありませんので、これは氷の成長に対する凍結抑制タンパク質の本質的な効果が現れた結果であり、まさに宇宙実験ならではと言える成果です。
凍死を避けるしくみは驚くほど巧妙
凍結抑制タンパク質は、成長速度が速い結晶面に吸着してその成長を抑制するために、全体として氷の結晶成長が抑えられると考えられてきました。一方、宇宙実験で明らかになった氷のベーサル面の成長促進は、凍結抑制機能とは一見矛盾するように見えます。しかし、このタンパク質を含む魚は、私たちの想像を超えるもっと複雑なしくみでその凍結を抑制していることを、この結果は教えてくれます。
それは、「多面体の結晶が成長するときに、結晶外形は最終的に最も成長の遅い面で囲まれる」という、結晶成長のよく知られた基本原理に関連します。氷点下にある魚の血液を採取して顕微鏡で観察すると、12個の三角形の形をした結晶面(ピラミッド面)で囲まれた氷の微結晶を多数見つけることができます。しかし、この微結晶はただ存在するだけで、それ以上には成長しないため血液全体が凍ることはありません。血液の中で氷結晶が生成された直後では、結晶の外形はもっとさまざまな結晶面で囲まれているはずです。ところが、氷のベーサル面は成長が促進されるため、だんだん小さくなりやがて消失してしまいます。これに対して、ピラミッド面とプリズム面では凍結抑制タンパク質が吸着しやすく、ベーサル面とは逆に成長が抑制されます。特に、ピラミッド面には成長を完全に停止させるほど、タンパク質が最も強く吸着することが知られています。こうして、氷微結晶が成長速度の最も遅いピラミッド面のみで囲まれ、最終的に12面体の結晶外形に達するとそれ以上の成長が停止するのです。宇宙実験で観察された氷のベーサル面の成長促進は、このタンパク質の凍結抑制機能を発現するための必然なのです。流氷下に住む魚は、結晶成長の基本原理と矛盾することなく、巧妙な戦略で凍結の危機を逃れているのです。
機能を活用する
凍結抑制タンパク質は、氷結晶の成長を抑制して水を不凍状態に保つことができる機能を持つため、生体臓器の移植、食品の冷凍保存、熱エネルギーの蓄積などに活用が期待されています。これらのタンパク質が単に成長抑制だけではなく、成長促進や周期変動を起こす機能も持つことが明らかになり、新たな応用の展開も期待されます。また、生体内で起きるさまざまな結晶成長の原理を理解して、新材料の創製に結びつけることを目指すバイオ・クリスタリゼーションと密接に関連することも大いに期待されます。
参考文献
Oscillations and accelerations of ice crystal growth rates in microgravity in presence of antifreeze glycoprotein impurity in supercooled water, Y. Furukawa, K. Nagashima, S. Nakatsubo, I. Yoshizaki, H. Tamaru, T. Shimaoka, T. Sone, E. Yokoyama, S. Zepeda, T. Terasawa, H. Asakawa, K. Murata, G. Sazaki, Scientific Reports, 7: 43157 (2017).
doi:10.1038/srep43157
この記事を書いた人
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古川義純 (写真左)
北海道大学名誉教授。2016年の退職まで長年にわたり北海道大学低温科学研究所に所属し、雪の結晶をはじめとして、さまざまな環境・条件での氷の結晶成長の研究に取り組んできました。国際宇宙ステーションでの氷の結晶成長実験は、その一環として計画したもので、2008年と2014年の二度にわたり実施しました。宇宙実験の実現には、多くの困難を粘り強く解決する強い意志と周到な準備が不可欠です。このような宇宙実験を2度にわたり成功に導けたことは、研究者として大いに誇れることと自負しています。
長嶋剣 (写真右)
北海道大学低温科学研究所 助教。2011年より現職。専門は結晶成長過程のその場観察。今回の宇宙実験ではデータ解析を担当しました。現在は、雲や雪などの氷表面で起こる化学反応が大気汚染に与える影響を調べるため、その現場である氷表面のその場観察をはじめたところです。
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