【連載:数理生物学の生命観】
#1 研究者と芸術家の共通点を探る
#2 花をモデルにしたグラフィック作品を制作する芸術家の視点から
#3 生命を扱うアーティストが提示する「感得者を含むモデル」の可能性
#4 現象と数理モデルの双方向性がもたらす美しさ
#5 生命システムの数理 – 現象の背後にある普遍性を目指して
#6 「モデリング」で芸術と科学を再融合する

数理生物学と呼ばれる分野では、さまざまな生命現象を数学を駆使して理解しようとします。数学は単に冷徹かつ客観的に現象を写しとるための手段という側面の印象が強いですが、現状を自らの感性で解釈し表現するという側面も併せ持ちます。科学者の素養を身に着ける博士課程に在籍しながら芸術活動を行う切江と堀部は、日の目をあまり見てこなかった数学的に生命を「表現する」という視点から数理生物学を捉え、その裏側にある「生命観」を考察するべく、数理生物学会でシンポジウムを開催しました。このシンポジウムでは研究者と芸術家を2名ずつ招いて対等な立場でそれぞれの生命の「表現」について発表していただきました。本連載では、それぞれの発表内容についてご紹介していきます。第1回となる今回は、シンポジウムの概要と目的についてまとめます。

シンポジウム「数理生物学の生命観」について

「数理生物学」とは、数学や物理学の理論を駆使して生命現象や生態系の研究を行う分野です。 数理生物学の研究者は関心のある現象に対する「数理モデル」(物事の関係を数式やアルゴリズムで表現したもの)をつくり、モデルの解析を通じて生物の振る舞いに対する理解を深めることを目的としています。最近ではいわゆる「新型コロナウイルス」対策チームに疫学における数理モデルの専門家が参加したことでこの用語を知った方も多いことでしょう。

とはいえ、読者のなかには「数理」と聞いて論理の結晶のようなよそよそしい印象を持ったり、生命という捉えどころのない対象をそのような「無味乾燥としたもの」で扱えるのかいぶかしがる方も少なくないのではないかと思います。しかしモデル化とは盲目的に「ありのままの現実」を写しとるものではありません。実際には現実に起こっていることを観察し、捨象し、表現するといった、極めて創造的な側面を持ちます。その意味において生物学の数理モデルには科学的なモデルとしての実用性のみならず、独自の「生命観」あるいは「美学」のようなものが宿っているのかもしれません。

2019年9月に開催された数理生物学会で、私たちは「数理生物学の生命観」と題したシンポジウムを行いました。このシンポジウムでは、「生命の表現者」としての数理生物学者という観点から、数理系生物学者と美術作家が登壇し、生命にまつわる探求を行う者としての自らの視点を紹介しました。

数理系生物学者と美術作家が同じ議題について語ることは一見してちぐはぐな組み合わせに見えるかもしれません。しかし私たちは本質的にこの両者は非常に近縁な存在だと考えています。この記事ではシンポジウムの内容をまとめ、数理系生物学者と美術作家がそれぞれどのように生命を捉え、表現しているのかをお伝えしたいと考えています。

この記事で紹介するのは登壇者各個人の見解であり、「生命をどのように捉えるべきか」というような問いに対して決まった答えが出てくるものではありません。しかし、一見無機質に思われがちな数理生物学の営みが、芸術にも通底する豊かな文化的活動であることを感じ取っていただければ幸いです(オリジナルの講演内容からは一部改変・修正があることをご了承ください)。

数理モデルとは世界の描写である

一見すると表現者という言葉と数理生物学者という言葉はなかなか結び付きづらいです。そこで本記事では両者を近づける努力をしてみたいと思います。最初に数理モデルとは何かについて考えます。下図は、ロトカ・ヴォルテラのモデルという古典的な数理モデルです。

ロトカ・ヴォルテラのモデル(出典:Wikipedia「ロトカ・ヴォルテラの方程式」より引用)

おおまかに説明すると、食べる者(捕食者)、食べられる者(被食者)がいたときに、ある条件下でそれらの個体数が周期的に増減することを表現するモデルです。この具体例を見ていくつか気付くことがあります。まずはそれが、観察に基づいて作られているものだということです。加えて、単に現実をありのままに映しているだけではなく、そこにはさまざまな先行研究に基づく仮定や、研究者による対象の切り取り方の判断が含まれています。

このように、数理モデルとは「研究者が対象の世界を描写したもの」であると考えられます。このことは「被食者」や「捕食者」のような言葉遣いを取っても明らかだと思います。実際には「〇〇ザメ」や「✕✕ガニ」のような個別の生き物がいることを、「捕食者」や「被食者」という形に抽象化しているのです。これはいわば、絵画表現として敢えて対象の形を崩す(デフォルメ)ことに似ていると言えないでしょうか。

つまり数理生物学というのは、モデルという表現手段を使って「描写する」ことだと、この記事では考えてみたいと思います。もちろん何でも考えられるわけではありません。たとえばひとつの判断基準として、「良い描写は良い予測をもたらす」というようなことが経験的に共有されているわけです。

数理生物学者と美術作家の「近さ」

次に数理生物学者と美術作家の間の距離について考えてみましょう。お見せしているこの2つの図は、それぞれ美術作家と数理生物学者の著作から取ってきた写真です。左側がダーシー・トムソン(数理生物学者)で、右側がカール・ブロスフェルト(写真家)の著作から取ってきたものです。

左:「ミルククラウン」の写真(出典:D’arcy Wentworth Thompson 著 ”On Growth and Form” (Dover Publication, 1992)より。写真は Harold E. Edgertonによる)、右:(出典:Karl Blossfeldt の作品 “Adiantum pedatum” (1928)

右側のダーシー・トムソンの図は、水滴を水面に垂らすことで生じる王冠状の構造(ミルククラウン)を写したものです。ダーシー・トムソンはこの構造そのものを解析したわけではありません。彼はこの構造にヒドラ(小さな動物の一種)の発生に関するインスピレーションを与えられたと、著書 ”On Growth and Form” (1919) に書いています。いわばポエティックな想像を働かせて、アナロジーに従って生命現象に取り組もうとしていることが伺えます。

一方、ブロスフェルトのほうはどうでしょうか。機械的な視点、あるいは客観に徹しようとしている感覚を覚える人が少なくないのではないしょうか。古い科学論文から引用したといったら信じてしまいそうな程、冷たい感じがします。作家はエモーショナルで、数理生物学者は冷静な視点を持っている、というふうに考えがちですが、実はそれは必ずも正しくないということです。

もうひとつ例を出したいと思います。

引用:パウルクレー著『造形思考 上』、訳:土方定一、菊森英夫、坂崎乙郎(ちくま学芸文庫、2016年)

図はパウル・クレーという画家の描いたイラストです。いずれも植物の葉を描いたものですが、抽象化されています。クレーはこの図を例示して葉脈と輪郭のフォルムの関係について考察しています。

(前略)…フォルムを形成し、フォルムを組成する自然のエネルギーを合法測的に知ることは、自由な、ないしは合成されたフォルムの造形の基本として役立つ。

引用:パウルクレー著『造形思考 上』、訳:土方定一、菊森英夫、坂崎乙郎(ちくま学芸文庫、2016年)

ここには生物のかたちに潜在するある種の「法則」を抽出し、自身の表現の基本に据えようとする思いのようなものが読み取れるように思います。それは対象を司る法則を形式化し、より洗練されたリアリティに近づこうという志向です。

対象物はその内面に関するわたしたちの知識を通じて、その現象以上のものにひろがる。つまり、物は、その外面が認めさせる以上のものであるということを知ればいい。

引用:パウルクレー著『造形思考 上』、訳:土方定一、菊森英夫、坂崎乙郎(ちくま学芸文庫、2016年)

引用した文は先ほどの引用と同じ『造形思考』のなかで「自然研究の方法」と題された章に現れる文章です。彼は単なる〈物理光学的な〉精密な観察だけでは〈わたしたちの全的な要求にもはや合致しない〉と述べています(山カッコ内はいずれも上記書籍より)。

厳密な解釈は専門家に委ねますが、〈わたしたちの知識を通じて〉という個所はとても示唆的です。ある知識体系を基に現象の見えない「本質」を表現しようとする点に「モデル化」と通じる部分を感じます。これを、数理生物学者のそれとは少し違う、美術作家による「モデル化」と考えることはできないでしょうか。すると、作家と数理生物学者の立場は、次第に曖昧になり、互いに混じりあうものになっていくのではないかと感じられます。

このシンポジウムでは、数理生物学の生命観、もしくは「美学」について考えるために、生物や生命現象を観察対象としている数理系生物学者と美術作家を、それぞれ2名ずつお呼びしました。生命現象の普遍性について研究を行う畠山氏と、フィールドでの生態学的データを駆使した研究を行う山道氏には数理系生物学者として理論生物物理の観点から、生命科学のバックグラウンドを持ち金魚の逆育種や人工知能を題材に制作を行う石橋氏と、 花の形態測定と植物画を組み合わせた精巧な図版を作成する村山氏には美術作家としての立場からお話しいただきました。

次回からは、彼らの講演内容についてそれぞれ紹介していきます。

この記事を書いた人

切江志龍, 堀部和也
切江志龍
東京大学農学生命科学研究科博士課程在籍。主に植物フェノタイピングと形態モデリングの研究を行っています。生物・生命にまつわる芸術や文化史にも興味を持ち、修士課程からは画家モネの描いたスイレンの園芸史について調査しています。

堀部和也
大阪大学大学院理学研究科博士課程。主に大脳皮質の形づくりについてコンピュータシミュレーションを用いた研究を行っている。仮想生物の進化をコンピュータ上で再現し、生まれてくる新奇な個体の観察が日課。生物・生命の理論モデルからそれらを対象とする芸術にも関心を持ち、ハッカソンで出会ったアーティストと一緒に制作を行っている。