精子の「成熟」プロセスは謎だらけだった

「子どもを持ちたい」と思いつつなかなか妊娠に至らないカップルは10組に1組とも5組に1組ともいわれ、そのうち約半数のケースでは男性側に原因があると考えられています。海外では、濃度やかたち、運動性などから高く評価された精子は、国境を越えて取引される「商品」にさえなってきています。

精子は精巣の中の精細管で作られますが、作られたばかりの精子は泳ぐことも卵子と融合することもできない、というと意外に思われるかもしれません。精巣はあくまで造精器官、すなわち精子の形づくりを担う器官であって、精子を成熟させる機能までは備わっていません。

精子の成熟は、精巣から送り出されたあとに起こります。精巣で作られたのち精子は精巣上体へ輸送されますが、この精巣上体こそが精子成熟の場です。精巣上体は高度にコイルした非常に長い1本の管で、ヒトの精巣上体を引き伸ばすと全長5メートルにもなります。精巣上体へ送られた精子は、その長い管の中で2週間という時間をかけてゆっくりと移動しながら「成熟」することでようやく受精能力を獲得します。

この精巣上体の中で精子がどのように成熟するのかについては、残念ながらこれまではほとんど何もわかっていませんでした。目に見えてわかりやすい精子の形態と比べて、成熟の度合いのような精子の「品質」を調べることはぐっと難しいのです。今回私たちは、この謎の多い精子成熟メカニズムの解明に挑戦し、その一端を世界で初めて明らかにしました。

精子は精巣の精細管で作られたあと、精巣上体へ送られて成熟する。

ルミクライン因子 – 精子の成熟をつかさどる鍵因子を同定

精巣上体のはたらきを理解するうえで重要な研究結果があります。今から40年以上前の1970年代の報告ですが、精巣と精巣上体とを連絡する精巣輸出管を結索すると精巣上体が萎縮してしまう、というものです。精巣上体が萎縮すると精子の成熟機能が失われてしまいます。この実験から「精巣上体が精子成熟機能を発揮するには、精巣から分泌された何らかの因子が必要である」という仮説が提案されました。

精巣から分泌され管を通って精巣上体に作用するので「ルミクライン(管を介した分泌の意)因子」と名づけられましたが、その実体はその後も不明なままでした。ルミクライン因子は精子の成熟機構を明らかにするうえで極めて重要な因子であるため、私たちはその同定に目標を定めました。

ルミクライン因子にはその情報の受け手が存在するはずです。おもしろいことに、精巣上体に発現しているROS1というたんぱく質を破壊すると、精巣輸出管を結索した場合と酷似した精巣上体の萎縮が起こります。ROS1は精巣上体に発現する受容体(鍵穴のようなもの)たんぱく質ですが、リガンド(鍵穴にぴったり合う鍵)はわかっていません。私たちはROS1のリガンドこそがルミクライン因子ではないかと考え、その探索を試みました。

まず精巣で作られるたんぱく質にROS1のリガンドになりそうなものがないか、遺伝子発現プロファイルを解析して候補をリストアップしました。これらリガンド候補のうちROS1と結合するものを試験管内で調べたところ、NELL2というたんぱく質がROS1に結合することがわかりました。しかし結合するといっても試験管の中の話で、体内でNELL2がROS1のリガンドとして機能している証明をする必要があります。

そこでNELL2を欠損するノックアウトマウスを作製して解析したところ、ROS1のノックアウトマウスと同様に、精巣上体に萎縮が認められ、精子が成熟できないため雄は不妊となることがわかりました。さらに、このノックアウトマウスの精巣にNELL2が再び発現するように遺伝子改変を施すと、雄の不妊は解消されました。これらの実験結果から、NELL2こそがROS1という鍵穴にぴったりはまる鍵=ルミクライン因子であることがわかりました。

ルミクライン因子に応答するたんぱく質分解酵素が精子成熟に不可欠

生殖研究40年来の課題であったルミクラインの謎が解けたところで、私たちは精子成熟のメカニズムにさらに迫ることにしました。NELL2を欠損させたマウスの精巣上体では萎縮の結果として精子成熟機能が異常になるため、正常なマウスと比較すればどんな遺伝子のはたらきがおかしくなっているのかを調べることができます。

ここでは特にたんぱく質分解酵素に着目しました。なぜかというと、精子が成熟するためには、精子の表面のたんぱく質が適切に分解されることが必須だからです。また、たんぱく質分解酵素のはたらきを抑える阻害剤が見つかれば、男性避妊薬への応用にもつながります。

NELL2ノックアウトマウスでは数十種類の遺伝子の発現が低下していましたが、その中にOVCH2というたんぱく質分解酵素を見出しました。OVCH2は精巣上体だけに発現している特別なたんぱく質分解酵素です。そこでOVCH2のノックアウトマウスを作製したところ、精子の成熟に異常をきたし、やはり雄性不妊となりました。

精子成熟に必須なたんぱく質OVCH2(紫)。スイッチ分子NELL2に応答して、精巣上体で成熟機構がオンになっていることがわかる。

精子表面には、精子が卵子と出会うために必要不可欠なADAM3というたんぱく質があるのですが、OVCH2を欠損した精子では、この精子表面のADAM3の分解に異常が認められました。すなわち、精子が成熟するために必須となる精子表面たんぱく質の分解に、分解酵素OVCH2が関わっていることを突き止めることができました。

精子成熟過程の理解からより広い生命現象の解明へ

今回の研究によって、まず精巣からルミクライン因子NELL2が分泌され、次に精巣上体のROS1がこれをキャッチして精子成熟機構を起動し、その結果発現してくるOVCH2が精子表面のADAM3に働きかけて精子を成熟させる、というスキームが見えてきました。これまで謎の多かった精巣上体による精子成熟機構の全体像が、ようやく分子レベルで見えてきました。

本研究により明らかになった精子成熟のメカニズム

これによって不妊症の診断や病因解明に、精子の成熟という「質」の観点が新たに加わりましたし、OVCH2をターゲットにした男性避妊薬開発への応用も期待されます。NELL2-ROS1-OVCH2と鍵となるたんぱく質のつながりがわかってきましたので、今後はこれらを起点とした生殖研究のさらなる進展が期待されます。

また、管を介した情報伝達機構である「ルミクライン」は、生殖に限らずさまざまな生命現象を制御する機構としてはたらいている可能性があります。今回私たちがルミクライン機構を明らかにしたことで、より広い生命現象の基本的理解につながることを期待しています。

参考文献

  • Kiyozumi D, Noda T, Yamaguchi R, Tobita T, Matsumura T, Shimada K, Kodani M, Kohda T, Fujihara Y, Ozawa M, Yu Z, Miklossy G, Bohren KM, Horie M, Okabe M, Matzuk MM, Ikawa M. NELL2-mediated lumicrine signaling through OVCH2 is required for male fertility. Science. 2020 Jun 5; 368(6495): 1132-1135. doi: 10.1126/science.aay5134.
  • Lord T, Oatley JM. Testicular-borne factors affect sperm fertility. Science. 2020 Jun 5; 368(6495): 1053-1054. doi: 10.1126/science.abc2732.
  • Moniem KA, Glover TD, Lubicz-Nawrocki CW. Effects of duct ligation and orchidectomy on histochemical reactions in the hamster epididymis. J Reprod Fertil. 1978 Sep; 54(1): 173-176. doi: 10.1530/jrf.0.0540173.

この記事を書いた人

淨住 大慈, 伊川 正人
淨住 大慈, 伊川 正人
淨住 大慈(きよずみ だいじ、画像左)
2001年、大阪大学大学院理学研究科博士課程修了。2019年より大阪大学微生物病研究所助教。生きものを支える分子メカニズムの精緻さには何年研究しても日々驚かされます。趣味は簡単な料理と読書、音楽鑑賞など。

伊川 正人(いかわ まさひと、画像右)
1997年、大阪大学大学院薬学研究科博士課程修了。2012年より大阪大学微生物病研究所教授。ゲノム編集マウスを使って、生殖、特に精子形成から精子機能・受精メカニズムの表現型を見るのが楽しみです。定年退職までに雄性生殖器官特異的遺伝子は全部、潰したいです!