ゴリラ研究の第一人者である山極寿一博士。2014年10月からは京都大学の総長を務める。こちらの記事では、霊長類学の研究者としてフィールドワークの意義について語っていただいたが、今回は、長年ゴリラ研究に携わってきた山極総長ならではの「大学観」に迫る。

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大学は「ジャングル」、山極総長は「猛獣使い」?

——山極先生は2014年から京都大学の総長を務められています。総長としての仕事のなかには、長年のゴリラ研究の経験があるからこその視点で見ていらっしゃるところもあるのではないでしょうか。

僕は、大学というのはひとつのジャングルの生態系みたいなものだと思っています。その理由は、いろんな種がいるから。ジャングルは、陸上で一番生物多様性の高いところです。昆虫も、鳥も、植物も、哺乳類もいっぱいいる。そういう連中が、お互いのことをよく知り合わずに共存している。大学っていう場所もそうなんですよね。工学部の研究者と文学部の研究者って、たぶん1回も会ったことのない人のほうが多い。でも同じ大学に生きている教員として、あるいは研究者として、共存していますよね。どこかで間接的には関係を持っているわけです。

しかも、閉鎖的ではなくて、半解放系というところも大学はジャングルと似ています。大学は、人事異動があったり、学生たちが入学したり卒業したりと、人が出入りする場所です。ジャングルもそうなんですよね。渡り鳥が来たり、あるいは上流から魚が流れてきたり、いろんな生物が、流れては出て行く。そういうジャングルの動的な生態系を維持しようと思ったときに必要なものは2つある。ひとつは太陽光、もうひとつは水です。

——太陽光と水、ですか。

じゃあ大学にとって「水」と「光」にあたるものは何かといったら、「資金」と「世論」なんです。資金がなければ、アカンでしょ。そしてやっぱり社会が支えてくれなければアカン。構造的にいえば、ジャングルと一緒なんですよ。

それに、ジャングルというのは新しい種をいつも生み出している場所なんですよね。新しい種が出てこなければ、ジャングルは生物多様性を保てない。大学でも、新しい種を生み出すようなことをしていかなくちゃならないわけです。だから私は自分のことを「猛獣使い」と言っています。自分が猛獣なんじゃなくて、猛獣を生かすような活動をしていくということです。

ゴリラは霊長類のなかでは一番大きいかもしれないけど、哺乳類としてはそんなに大きいほうじゃない。ゾウやバッファローやオカピやカバ……他に大きい動物はいっぱいいる。そういう「俺が、俺が」と言っているような自己主張の強いやつがいっぱいがいてこそのジャングルです。大学でも、そうした人たちが切磋琢磨して、あるときは競い合い、あるときは手を取り合っていかないと、新しい種は生まれない。だから私のスローガンは「おもろいことをやりましょう」なんです。お互いにただ競合するんじゃなくて、「おもろいこと」が出てきたらそれを認め合いましょう、と言っています。

——山極先生のなかで「おもろいこと」とは何でしょうか。

「変なこと」「常識とは違うこと」です。京都大学では昨年から「京大変人講座」という公開講座をやっていますが、そういう「おもろいやつ」がいっぱいいるところが大学であってほしい。それがいつかは社会のためになることにつながるかもしれない。つながらないこともたくさんあるかもしれないけれど、そういうものを可能性として持っていなければ、大学は廃れてしまうと思います。そういう「おもろいこと」をやりましょうというのが、私の大学観です。

大学は社会に開かれた「窓」でなければならない

——ジャングルにとっての「水と光」のように、大学にとっては「資金と世論」が重要というお話がありました。

資金と世論は大事だと思いますよ。それは「窓」が機能してこそ生きる。大学というのはこれまで、神社仏閣と同じように「門」であると考えられてきました。たとえば東大には「赤門」があるし、入試難易度の高い大学は「狭き門」と言いますよね。大学のキャンパスに一旦入ったらそこは世間とは違う場所であるという感覚が今まであったわけだけど、そうじゃなくて、大学というのは社会に開かれた「窓」でなければならないと僕は言っているんです。

——「門」ではなく「窓」ですか。

そうです。学生は、どんどん社会に出ていけ、と。そこでいろんな経験を積んで、あとは大学に行き来しながら学問を積んでいったら良いんです。今の大学というのは、僕の学生時代とは随分違うと思うんですよ。僕の学生時代は、知識を得る手段は人と本だったんです。だから新しい知識を得るには、講義に出て先生から聞く必要があった。先輩や友達から聞かないといけなかった。あるいは図書館に行って、本を借りなくちゃいけなかった。

でも今の若者たちは、知識は人からも本からも得るものじゃないと思っている。インターネットにすべてがあるわけですから。いい加減な情報もいっぱいあるかもしれません。でも、手っ取り早く知識に接することができるし、知識から知識へどんどん飛ぶことができる。インターネットは無限の知識の宝庫だと、誰もが考えているわけです。

だから今、学生たちが大学にやってくる理由は、知識を得るためではないと僕は思っています。では一体何を得るために大学に来ているのでしょうか。それは、僕のフィールドワークと一緒なんですよ。つまり、そこでいろんなやつが考えていること、あるいは経験したことを、実感したいからなんです。

——大学というジャングルでフィールドワークをするために学生は大学に来る、と。

他人の考え方は、その人と一緒にいないと得られません。いくら本を読んでも、その著者の考え方はわからない。書いたものと喋ったものとは違うからです。書いたものというのは、読者本位です。本にはいろんな読み方があって、どう解釈しようが読者の勝手。でも喋ったことっていうのは、喋った人本位なんですよ。喋っている場合には、受け取られ方によっては喋ったほうが怒るわけですよね。「俺はそんなつもりで言ったんじゃない」と、言えるわけです。それが生の講義であり、生の実験なんです。それは、まさにフィールドワークです。大学はジャングルだと言っているのは、そういうわけです。

ジャングルの様子をビデオに撮ってしまうのと同じで、「文字」にしてしまうといくらでも勝手に解釈できてしまう。大学っていうのは、生きている場所。「文字」や「情報」に還元できないところを持っていなければ、大学として生きないと思うんです。だから対話が重要なんです。いろんな人が話をしながら、体験を共有しながら、五感で感じあっていく。そういう場所を直接的、あるいは間接的に用意するのが大学であるべきだと思っています。

(取材:柴藤亮介 撮影:大塚美穂 文・構成:周藤瞳美)

京都大学 山極寿一総長 プロフィール
1952年東京生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科修士課程修了、同大学院理学研究科博士後期課程研究指導認定、退学。京都大学理学博士。(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学院理学研究科助教授、教授を経て、現在京都大学総長。『家族進化論』『ゴリラ』(東京大学出版会)、『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)、『「サル化」する人間社会』(集英社)など、ゴリラや人類の進化に関する著書多数。

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