今回、連載「研究キャリアの生かし方」に登場していただく方は、大手広告代理店の博報堂にてコピーライターとして活躍されている豊田丈典博士です。豊田博士の大学院時代の専門は、地球惑星科学。幼少期から宇宙に強い関心を抱いていた豊田博士は、火星の地層に関する実験的な研究に取り組み、博士号を取得されています。

そんな豊田博士ですが、一見、地球惑星科学とまったく関係ないように思える広告業界に進むことを決意したのはなぜなのでしょうか。また、博士課程で学んだことは、コピーライターとしての仕事にどのように生かされているのでしょうか。

豊田丈典博士プロフィール
地球惑星科学を専攻し博士(理学)を取得後、2012年に博報堂へ入社。現在はコピーライターとして、マーケティング・コミュニケーション戦略立案から戦術実行までを担う。

幼少期の宇宙への憧れを追い続け、火星の表面の研究へ

——大学院時代のご専門である地球惑星科学に関心を持たれたきっかけについてお伺いできますか。

もともと小学生のころから、『ガンダム』や『スターウォーズ』など、宇宙を題材にした映像作品の世界観が好きだったんです。また、研究者として楽しそうに活躍していた祖父の影響もあって、研究者という職業に憧れを抱きながら大学に進学しました。

そして大学の授業で惑星探査に関する実習を行った際、分光器を用いて何千キロも離れている天体を観測することで、陸上にいながら星を目でみたり望遠鏡でみたりするよりももっと詳細な情報がわかることにおもしろさを感じ、惑星探査に関する研究ができる研究室へ進むことを決意しました。

——研究室に入ってからはどのようなことを研究されていましたか。

最初は月や水星の探査用観測機の開発を手伝っていましたが、月や水星のような大気のない惑星よりも、大気があってもう少し地球の環境に近い、ダイナミックな現象がある惑星も見てみたいと思うようになり、修士の途中で火星の研究ができる研究室に異動しました。

——研究室が変わるとテーマも大きく変わると思います。火星についてはどのようなことに注目して研究に取り組まれていたのですか。

惑星表面の温度変化のしやすさの定量指標である「熱慣性」に着目し、火星の地層や地形の成り立ちを明らかにする研究をしていました。火星表面のほとんどは、酸化鉄を含む粒子の層です。これらの粒子層は、同じ日照時間でも、粒子サイズが小さければ温まりやすく、粒子サイズが大きければ温まりにくいという性質をもっています。したがって、火星表面の熱慣性を調べることで、その場所にある粒子の大きさを推測することが可能になります。

たとえば、隕石衝突時にできたクレーター周辺の熱慣性は一様になっていません。隕石の衝突により掘り起こされた部分と、最初から地表にあった部分では粒子のサイズが異なるためです。私の修士論文の研究では、火星のある山の表面にある模様がどうやってできたかということを、可視光画像や熱慣性の値から検証しました。

——博士課程ではその延長上にある研究を進められていったという形でしょうか。

はい。修士論文になった研究を進める過程で、理論的にあり得ない熱慣性値を示している地形が存在していることが気になっていたので、博士論文の研究では、その原因解明に向けて、粒子の熱慣性が測定できる実験機器を開発したり、実際にさまざまな形や大きさの粒子を集めて火星と同じ大気圧下で熱慣性を測定したりすることで、検証を進めました。

結果として、地層を構成する粒子の形状が、異常な熱慣性値に影響していることがわかりました。火山性のゴツゴツした粒子の場合、粒子同士の接点が小さくなってしまうため、下層の粒子に熱が伝わりづらく、表面の粒子だけ一気に熱くなってしまうという現象が起こります。これが、地層表面全体でみたときに、異常な熱慣性の値となって表れていたということです。それまでは「風化して、小さくなった粒子で形成された古い地形」と思われていた火星の地表面が、実は「火山性のゴツゴツした粒子から成る新しい層」だという可能性もある、という議論ができるようになったことがこの研究の成果です。

「火星」から、広告業界へのキャリアチェンジ

——そして博士号取得後、博報堂へ入社されました。いわゆる新卒採用に向けての就職活動だったと思うのですが、広告業界に注目された経緯について教えていただけますか。

私は大学院生時代、研究の傍らアウトリーチ活動にも積極的に取り組んでいました。惑星科学という分野自体が、多額の研究費用を必要とすることもあり、外部への広報活動に積極的でした。また、どうせ研究するなら、その結果をみんなとシェアして、喜んでもらいたいとも思っていました。こうした活動を進めていくうち、研究にはある程度達成感を感じていたこともあり、博士号を取得した後は、価値のある物事を人に勧め、世の中に広めていくような仕事がしたいと考えるようになりました。広告業界に興味を持つようになったのは、それが理由です。

もうひとつ検討していた分野は、ヒューマンリソースや人材組織戦略に関わる仕事です。惑星探査はものすごい人数のステークホルダーが関わる業界でありながら、組織運営のプロではない研究者自身によって組織運営がなされています。こうした状況を見ていて、プロフェッショナルな組織運営技術というものに興味を持ったんです。

広告業界へ進む決め手となったのは、友人からの勧めで受けた博報堂のインターンシップでした。モノを売るときの考え方に触れたこともおもしろかったですし、単純に博報堂社員の人柄にも魅力を感じました。先に博報堂へ入社していた同じ学会の同期にヒアリングをした際に言われた「理系の発想が重宝される風土がある」という言葉も印象に残っています。

「再現性を持って物事を伝える」経験が、ビジネスでも生きる

——入社後に重宝された「理系の発想」とは、具体的に何だったと思いますか。

入社当初は、求められている「理系の発想」とはフレームとしての「 ロジカルシンキング」の事だと思っていたのですが、実務を経て感じているのは、特に「合意形成のプロセス」においてこそ「論理」が生きるということです。クリエイティブなものをビジネスの世界に流通させるためには、文化圏の違う人との合意形成が必要になります。そのときに必要となるのが、それぞれの考えを論理的に言語化する事です。「これは売れるだろう」という個人の感覚を他人と共有するためには、論理的に考えられることが強みになると思っています。

あるいはビジネスの世界にも、「研究」で行う作業に近い仕事もあります。たとえば、製品のパッケージデザインがターゲットに対して有効であることを立証する際には、どのようにユーザー調査を行えばよいか、先入観なく判断してもらうためにはどうしたらよいかといった調査設計をする仕事があります。こういった仕事は、仮説をたてたうえで、それを証明するためにどんな事実が必要かを考える、研究のデザインと同じプロセスが有効です。こうした過程は、「理系的」なものの考え方や見方だと思います。

——クリエイティビティな要素が強いと思われがちな広告ですが、その広告を実現していくためには論理が必要、ということですね。

はい。どんなにキャッチコピーが良いものであったとしても、ビジネスの世界に流通させていくためには、文化圏の違う人たちにも共有できる形で、その「良さ」を言語化する必要があります。これは、自分の研究内容を論文にまとめるという作業とよく似ています。論文の執筆は、論理的に人を説得できるようになるためのトレーニングであるともいえます。「科学」というものが、自分以外の人に対して再現性を持って物事を伝える体系であるとすると、科学研究に取り組んだ経験は、文化圏の違う人たちに対して、訴求したい製品のポイントを言語化して共有していくというコピーライターの仕事にも生きてくると感じています。

博士は”Good Learner”であることをアピールせよ

——コピーライターとして仕事をしていく際に、研究経験が生きているなと感じるシーンはほかにありますか?

当然ですが、コピーライターに博士号が必要だとは思いません。ただ、博士課程で研究のトレーニングを積んだことが、コピーライターとしての個性になっているとは感じています。研究者が自分の研究に取り組む際には、研究に関する世の中のありとあらゆる情報をインプットして、自分の研究テーマの位置づけや強み・弱みとなる部分を把握したうえで議論を進めていきますよね。ビジネスの世界でもこれをやりきることができると、ものすごくアドバンテージになるんです。大量の情報をインプットしたうえで、自分なりの仮説を含めて構造化し、アウトプットしていくという研究の手続きが身体に染み付いていることが、自分の強みになっていると実感しています。新しい分野の勉強をすることも苦にならないですしね。

——最後に、民間企業への就職を検討されている博士やポスドクの方へメッセージをお願いします。

民間企業への就職活動においては、博士人材が「知識」を売りにしてしまうとミスマッチが起きやすくなってしまうと考えています。博士の強みは、知識ではなく、知恵。「Learningスキル」をアピールしたほうが良いでしょう。ビジネスの世界、少なくとも日本企業では、”Good Researcher”であることよりも、”Good Learner”であることのほうが、重宝されます。技術の発展により変化のスピードが激しい今の時代に適応していくためには、社会人になっても”Learning”し続けていくことが求められるためです。

社会に早く出てOJTをしていくべきだという意見もありますが、それは結局Learningしにくい状況を生み出していると私は考えています。OJTでいろんな仕事に強制的に振り回されているうちに、真似事のようなことはできるようになるかもしれませんが、Learningをしていることにはならないため、スキルや知識が身に付きづらくなるのです。

仕事のスキルや知識を身に付けるためには、研究における文献調査と同様、自分が今興味を持っていることに対してきちんとサーベイし、情報を自分なりにインプット・整理して取捨選択し、体系的な理解をした方が良いと思います。科学研究というプロセスを経験してきた人は、こうしたLearningの手続きによって新しい物事を身につける訓練ができているはずです。ですので、博士人材のみなさんには、ぜひ自信をもって新しい分野に飛び込んでみてほしいと思います。

——どんな環境であれ、Learningし続けていくことで可能性は広がっていくのですね。貴重なお話をありがとうございました。

(取材:柴藤亮介、構成・文:道林千晶、撮影・編集:周藤瞳美)

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