クラシック音楽からロック音楽、コンサートから駅メロまで、音楽は日常のなかにあふれている。しかし、そもそも人はなぜ「音楽」をするのだろうか? この根本的な問いに文化人類学の立場から研究しているのは、東京大学・総合文化研究科・博士課程1年の土田まどか氏だ。土田氏は、音のない手話の世界における「音楽」を探ることがこの問いを解き明かすヒントになると考え、インドネシアのバリ島にある「ろう者の村」でフィールドワークを行う予定である。本記事では、現在進行中の研究について詳細を伺った。

——はじめに、なぜ音楽について研究しようと思ったのか教えてください。

私は学部まで東京藝術大学で音楽学を勉強していたのですが、自分の根本的な問いとして「人はなぜ『音楽』をするのか」という疑問があります。そもそも音楽がいろいろなかたちで、世界中のどこにでも存在することを不思議に思っていました。

音楽で食欲が満たされたり、寒さをしのげたりするわけではないのに、あらゆるかたちで人は音楽を楽しんでいます。もしかすると、音楽というものは衣食住と同じくらい人間にとって重要で、人間らしい部分であるとも思えるのです。

——音楽といっても多岐にわたりますよね。

たしかに音楽にもさまざまなジャンルがありますが、それらを個別に捉えるのではなく、全体像を俯瞰して捉えたいと思っています。そこで重要となるキーワードは、「音と言葉の連続性」です。音と言葉を連続的なものと考え、そのあいだを広く「音楽」として捉えています。

——音と言葉の連続性について、具体的に教えてもらえますか。

一方の極には、直接は意味を伝えない「楽(がく)の極」があると考えます。たとえば、クラシック音楽の器楽はこちらの極に近いでしょう。これらの音楽は言葉で意味を伝えるわけではなく、音の響きやリズムで成り立っていますよね。

——とすると、もう一方は「言葉」の極ですか。

そうですね。意味を伝える「言葉」の極です。こちらの極に近いのは、歌や言葉遊びでしょう。一般的には言葉遊びは音楽と思われていないかもしれませんが、たとえば、コンビニエンスストア「セブンイレブン」の「セブン、イレブン、いい気分♪」というキャッチコピーは、言葉で意味を伝えつつ、言葉自体にもリズムがあって音楽的といえると思うのです。「楽」の極と「言葉」の極はグラデーションをもってつながっていて、そこに広がる人間のクリエイティビティ全体を広く「音楽」として捉えていきたいのです。

——なるほど。ではなぜ、土田さんは「ろう者」に注目しているのでしょうか。

きっかけは、2016年に公開された『LISTEN リッスン』という映画です。これはろう者にとっての音楽を表現したドキュメンタリー映画なのですが、ずっと無音で、ろう者のパフォーマーたちが何やらやっているという内容です。でも、彼らはそれを「音楽」として打ち出していました。

そこに、自分の問いと結びつく部分があったといいますか、音楽学という学問が、音の聞こえない人、あるいは手話を使う人たちを無視してきたのではないかと感じました。「音楽ってなんだろう」とか「人はなぜ『音楽』というものをするんだろう」と考えていくと、音が私たちとは違う人たち、あるいは私たちとは違う言葉のモダリティをとる人たちの経験がヒントになるんじゃないかな、と。

——どういった点がヒントになるのでしょうか。

まず、「聞こえない」という経験が教えてくれることは、音楽というものは実は音だけじゃないということです。たとえばコンサート会場に行ったら、煌々とした照明とか、熱気とか、もしかすると匂いとか、アーティストが出てくる臨場感とか、音以外にも色んな感覚で体験していますよね。

ただ、振動なら音楽を楽しめるとか、音の情報を視覚的な光の情報に変換したら楽しめるとか、単純にそういうわけでもないみたいなんです。ろう者にとっての音楽の経験を考えるときに、単純に音楽の多感覚性、つまり複数の感覚で成り立っている、ということを明らかにするだけでは不十分なんです。

——音以外の情報に変換したからといって、必ずしも「音楽」とは捉えられないということでしょうか。

たとえば、聞こえる人が、音の高さやリズムを手の高さで表現したり身体を動かしてリズムに乗ったりと身体を使って音を表現して、ろう者に音楽を伝えようとするケースがあります。でもそれだと、もちろん楽しい人もいると思うんですけれど、ピンとこないというろう者の人たちも少なからずいるんです。それは、私たちが携帯電話のバイブレーションに音楽を感じるかということと、おそらく同じような感覚だと思います。

——たしかに、携帯電話のバイブレーションは音楽とは感じません。では、ろう者にとっての音楽とはどのようなものなのでしょう?

私が注目しているのは、ろう者も手話という「言葉」を使うということです。彼らが繰り出している芸術表現として、「手話ポエム」があります。特に、ろうコミュニティが大きな規模で存在する日本やアメリカなどにおいては、芸術ジャンルとして確立しています。直接音を使っているわけではありませんが、むしろ音楽というものの本質といいますか、我々が音楽として行っていることに近いのではないか、と直感的に思いました。さらに、もしかしたら、手話での日常会話から言葉遊びのようなクリエイティブな表現も見いだせるかもしれません。

手話の世界におけるクリエイティブ表現としての「音楽」を理解していくことで、音のある世界との共通性や違いが見えてくるのではないか、そして、音声の世界と手話の世界で共通して響き合う部分があれば、それがおそらく、もともとの「人はなぜ『音楽』をするのか」という問いに結びついているのではないかと思うんです。

——どのようにして調べていくのでしょうか。

フィールドワーク(現地調査)です。文化人類学では、ある地域で1年や2年ほど生活して、その地域の言葉を使ってインタビューをしたり観察をしたり、という質的な調査によって研究を進めていきます。

——フィールドワークでは、どこに行くのですか。

インドネシアのバリ島にある「ろう者の村」に行く予定です。全人口3000人のうち約40人がろう者と、日本よりも圧倒的に高い割合でろう者の方が暮らしています。

——ろう者が大多数というわけでもないんですね。なぜ、その村に行くのですか?

大多数ではないのですが、ろう者の割合が高いため、音の聞こえる人も9割以上が手話ができるといわれています。つまり、手話という言葉が村全体に根付いているのです。日本では手話ポエムを見たときに「ダンスじゃない?」と思ってしまう聴者もいるのですが、手話がわかる人が見ると、言葉の意味とリズムが同時に入ってくる、「セブン、イレブン、いい気分♪」の例のような感覚に似ているのではないかと思います。彼らの手話の経験を、一緒に生活して彼らの言葉で調査をすることで、じっくりと捉えて考えていきたいと思っています。

——なるほど。一方で、アンケートをとって統計を出して……というような定量評価もできそうに思うのですが。

もちろん統計のような量的調査も重要な手法だと思います。ですが、数値化をしてしまうことで、取りこぼしてしまう部分も出てくると思うのです。たとえばアンケートで、「音楽は集団の団結力を高めると思いますか」という質問に「思う・思わない」を1~4の数字で答えてもらうこともできるかもしれません。しかし、この場合Aさんは80%ぐらいの気持ちで4を選び、Bさんは50%くらいの気持ちで4を選ぶかもしれません。それらを同じ数値にしてしまうことは、抽象的なことを量的に調査することの限界とも言えると思います。

——抽象的なことを抽象的なまま理解していく、ということに文化人類学の意味があるのですね。

「人はなぜ『音楽』をするのか」という問いは、とても抽象的な問いです。なので、質的に調査をすることで、その全体像を解き明かしたいと思っています。

——「なぜ『音楽』をするのか」という問いに対して他のアプローチから解き明かそうとする研究もあると思います。文化人類学のアプローチはそれらとどう違うのでしょうか。

人を対象として、言葉でじっくりコミュニケーションを取る点が他のアプローチと違うと思います。たとえば、脳科学的なアプローチや、「歌うネアンデルタール人」のような進化論的なアプローチがあります。また、動物の歌を広い意味で「音楽」として捉えて解き明かそうとする研究もありますよね。動物の歌の研究も非常に興味深いのですが、動物には質問をすることができません。つまり、動物には「それって音楽だと思うんだけど、どうなの?」と聞けない。でも人間同士だと実際に話を聞いたり、一緒に参加したりしながら、理解を深めていくことができます。これこそが、文化人類学の意義であり魅力であり、他の分野の研究と補い合える部分だと、私は考えています。

土田まどか氏プロフィール
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学分野博士課程1年。
日本学術振興会特別研究員DC1。
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。在学中安宅賞受賞。
修士課程より東京大学総合文化研究科に入学し、「ろう者と音楽」をテーマにひろく音楽と言語の関係性について言語人類学・音楽人類学・音楽民族学の観点から研究している。

http://insei.anthro.c.u-tokyo.ac.jp/inseilist_m/tsuchida-madoka

この記事を書いた人

谷口卓也
谷口卓也
早稲田大学先進理工学研究科先進理工学専攻 一貫制博士課程4年。2017年度より日本学術振興会特別研究員(DC2)。早稲田大学リーディング理工学博士プログラムに所属し、「エナジー・ネクスト」をテーマとして、外部刺激で動く新しい材料の開発を目指して研究しています。