石垣島で線虫C. エレガンスの姉妹種を発見! – 新たなモデル生物がもたらす可能性
多様な線虫の世界
線虫という美しい生き物をご存知でしょうか? 細長く透き通ったちいさな動物で、土壌、水辺、深海など地球上のあらゆる場所で見つけることができます。線虫は地球上でもっとも成功した生物グループのひとつと言われ、未記載の種を含めると種の総数は昆虫よりも多いと考えられています。
線虫は多くの場合、独立して生息する自由生活性ですが、動物や植物に寄生して病気を引き起こす寄生性のライフスタイルをもつ種も多く存在します。ヒトの腸管に寄生する回虫や蟯虫、刺身で感染するアニサキス、イヌの心臓に寄生するフィラリア、農作物に被害をもたらすネコブ線虫、松枯れの原因となるマツノザイセンチュウなどが、寄生種として有名です。
大きさも多様で、1mm程度のものから、回虫のように30cmを超えるもの、さらには鯨に寄生する種では十数mに及ぶ体サイズを持つものもいます。線虫は千~数千細胞からなる比較的シンプルな多細胞動物ですが、このように多様なライフスタイルや形態をもつことが大きな魅力のひとつです。
モデル生物としての線虫C. elegans
このような線虫の多様性は、実はライフサイエンスの研究者でも知っている人が少なく、多くの研究者にとって線虫=モデル生物のC. elegans(Caenorhabditis elegans; C. エレガンス)です。C. elegansは培養が容易、世代時間が短い、体が透明といったラボでの扱いやすさから、医学・生命科学分野で幅広くモデル生物として使用され、さまざまな重要な発見を導いてきました。
実際、C. elegansを用いた研究に対し、過去3つのノーベル賞が授与されています(2002年:プログラム細胞死、2006年:RNA干渉 、2008年: 蛍光タンパク質の研究)。世界で初めて全ゲノムが解読された動物もC. elegansでした。このように優秀なモデル生物の’唯一’の弱点は「姉妹種」が不在で、比較進化学的な解析が困難なことでした。
「Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution」とはアメリカの生物学者Theodosius Dobzhanskyの有名な言葉です。これまでは系統的に比較的近縁なCaenorhabditis briggsaeやCaenorhabditis remaneiといった線虫がC. elegansの比較研究モデルとして使われてきましたが、C. elegansとこれらの線虫は、遺伝的にヒトとネズミほどの隔たりがあり、C. elegansで研究されたさまざまな興味深い生物現象について、十分な進化学的な理解を得ることが難しい状況にありました。
驚くべきC. elegansの姉妹種、C. inopinataの発見
このような状況のなか、C. elegansの研究者コミュニティー(これは大きなコミュニティーで、隔年のC. elegans international meetingには数千人が参加します)は賞金を設定してC. elegansの姉妹種を探し求めていました。
私たちは沖縄県石垣島で、このように長らく求められてきたC. elegansの姉妹種を発見し、Caenorhabditis inopinata(セノラブディティス・イノピナータ:C. イノピナータ)と名付けました。これはこれまでC. elegans研究の制限要因となっていた姉妹種不在問題を解消する極めて重要な発見です。
この新しい線虫は、C. elegansと共通点はあるものの、興味深い相違点が数多くありました。まず、体サイズがC. elegansと比較して2倍以上大きいこと、さらに、C. elegansが雌雄同体であるのに対し、C. inopinataは雌雄異体の生殖システムを持っていました。また、C. elegansの生活スタイルは自由生活性で土壌や腐った果実などでバクテリアを餌として生育するのに対して、C. inopinataは生きたイチジク(オオバイヌビワ)の実(花嚢)で生活をしていました。
イチジクとイチジクコバチは密接な共生関係にあることは広く知られています。C. inopinataはこの共生関係を利用してイチジクの実から実へイチジクコバチを利用して移動していることがわかりました。これらの相違は姉妹種としては驚くべき違いです(種名のinopinataはラテン語で驚きという意味です)。
C. inopinataがもたらす研究の無限のひろがり
私たちの研究グループは、この違いが何に起因するかを明らかにするため、C. inopinataの全ゲノムを解読し、C. elegansとの比較解析を行いました。その結果、C. inopinataは姉妹種らしくC. elegansによく似た遺伝子構成を有している一方で、特徴的な違いも持っていることがわかりました。
たとえば、ダイナミックなゲノム進化をもたらすトランスポゾンがC. inopinataには数多くあり、その転移を制御する可能性のあるergo-1 small RNAパスウェイがC. inopinataで失われていました。また、特定のイチジク種の実(花嚢)という極めて限られた生息領域を反映して、環境変化を感知する受容体(7TM-GPCR)が減少しているなどの、重要なゲノム進化が明らかになりました。
私たちの研究グループが行ったゲノム解読は極めて高精度で、解読された遺伝子配列はすべて染色体レベル(2n=12)にまとめることができています。このことは、完全ゲノムが利用可能なC. elegansとC. inopinataがゲノム進化研究で比類ないプラットフォームとして利用できることを示しています。
C. elegans以外の線虫ではRNA干渉(RNAi)による遺伝子機能破壊や遺伝子導入などが難しいことが知られていますが、私たちはこれらの遺伝学的解析ツールをC. inopinataで確立することができました。また、C. elegansのさまざまなタンパク質に対して特異的抗体が作成されていますが、これらの多くの抗体がC. inopinataのタンパク質にも利用できる可能性を示しました。
このことは、C. elegansの研究で蓄積されてきた、さまざまな研究リソースがC. inopinataで利用可能なことを示しており、比較研究が無限に広がる可能性を示唆するものです。私たちは、C. inopinataが新たなモデル生物として今後広く利用され、C. elegansと併用して研究を進められることで、さまざまな分野で生命現象の理解がさらに深まることを期待しています。
新しいモデル生物
私たちはここに紹介したC. inopinata以外にも、モデル生物が持たない”特殊能力”をもつ線虫を新たなラボモデルとして確立することを目指して研究を行っています。たとえば、動物寄生性線虫のStrongyloides属線虫は、寄生性、単為生殖と有性生殖の入れ替え、染色体削減といった、特殊で興味深い能力を持っています。
私たちはこれらの線虫のゲノムを高精度で解読し、遺伝子操作の手法の開発を進め、C. elegansでの知見をうまく組み合わせることで寄生性や単為生殖のメカニズムの理解を目指しています。そのほかにも、巨大な線虫や無水状態、無酸素下で生存可能な線虫など、線虫の多様性はこれまでのモデル生物では理解しえなかった生命原理を明らかにすることにつながっていくはずです。
参考文献
この記事を書いた人
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宮崎大学医学部寄生虫学分野准教授
京都大学大学院卒、森林総合研究所主任研究員、英国サンガー研究所研究員等を経て現職。寄生虫、特に線虫のゲノム解読、多様性、進化に興味がある。