発生の異時性(ヘテロクロニー):臓器サイズの違いを生み出す時間の変化

現在、地球上に500種以上の霊長類が生息していますが、体や臓器のサイズは種によってまちまちです。進化の視点から臓器のサイズに注目してみると、大脳のサイズはヒトに向かって進化が進むにつれて拡大し続けてきた傾向にあり、結果としてヒトは霊長類で最大サイズの大脳をもつこととなりました。こうした臓器サイズという「空間的な変化」を引き起こすためには、臓器を形成する発生プログラムに「時間的な変化」を加えることが必要です。たとえば、臓器サイズを大きくしようとした場合、増量分のサイズに相当する細胞の数を増やす必要があります。そして、細胞の数を増やすためには、細胞が増殖する期間を延ばす必要があります。また、細胞増殖の期間を延ばすと、付随して細胞の分化や移動、成熟、組織構築といったタイミングにも調整が必要です。したがって、霊長類の進化の過程でより大きな脳組織を構築するには、発生期間の延伸が不可欠であり、細胞運命決定のタイミングにおいてもプログラムの変更が起こっていると考えられます。このように、発生に生じた種間の時間的な違いのことを「発生の異時性(ヘテロクロニー)」といいます。

哺乳動物の脳サイズの大型化という「空間的な変化」をもたらす一因として、脳の発生に費やされる「時間的な変化」が考えられる。

私たちはこれまでに霊長類のiPS細胞を作製し、神経発生の分化誘導に取り組んできました。私たちが開発した神経発生の分化誘導法(ダイレクト・ニューロスフェア形成)は、ニホンザル、チンパンジー、ヒトのiPS細胞に適用できることが分かっています。そのため、さまざまな霊長類のiPS細胞から同じ方法で神経発生の分化誘導を実施し、そのプロセスを比較解析することで、種ごとの神経発生の特徴と異時性を解明できると考えられます。今回の研究では、ヒトやチンパンジーよりも脳サイズが小さく、妊娠期間も短い(=発生が早く完了する)ニホンザルに着目し、iPS細胞の神経発生プロセスにおける細胞運命転換の解析を試みました。

ニホンザルはチンパンジーよりもニューロンを作り出すタイミングが早い

ダイレクト・ニューロスフェア形成では、神経発生を促す化合物を加えた培地中にiPS細胞を浮遊させ、7日間培養することで分化を誘導します。この浮遊培養によって神経幹細胞にまで分化したニューロスフェアは、その後さらに接着培養することによってニューロンやアストロサイトへと分化させることができます。

本研究では、iPS細胞から神経幹細胞を7日間の浮遊培養で誘導するダイレクト・ニューロスフェア形成培養と、スフェアの接着培養によるニューロンの誘導を行った。

今回の研究に先んじて、私たちはチンパンジーのiPS細胞でダイレクト・ニューロスフェア形成を行い、細胞運命転換の解析を行っていました。そして、チンパンジーではダイレクト・ニューロスフェア形成培養1日目から3日目の間に多能性から神経系へと細胞運命が切り替わり、培養3日目から5日目の間にニューロンを作り出す能力を得ることを明らかにしてきました。それでは、ニホンザルのiPS細胞から神経発生を誘導した場合の細胞運命転換のタイムスケジュールはどうなっているでしょうか。

子供と成体のニホンザルの皮膚細胞から作製したiPS細胞を使い、ニューロンを作り出すタイミングに注目したところ、ダイレクト・ニューロスフェア形成培養1日目ではほとんどニューロンを作りませんが、培養3日目になると5日目以降と遜色ないレベルでニューロンを作り出すようになっていました。このことから、ニホンザルではチンパンジーよりも早い培養1日目から3日目の間にニューロン産生能を獲得することが分かりました。

チンパンジーでニューロン産生が観察されるのは培養5日目以降だが、ニホンザルでは培養3日目からニューロン産生が観察された。

そこで、ニホンザルとチンパンジーのニューロン産生タイミングの異時性に着目し、ダイレクト・ニューロスフェア形成の遺伝子発現を調べてみたところ、意外なことに神経発生の進行に重要であることが知られている遺伝子の発現パターンは概ね類似しており、大きな違いは見られませんでした。

ニホンザルとチンパンジー/ヒトで発現パターンの違う遺伝子

ニホンザルとチンパンジーのダイレクト・ニューロスフェア形成で、神経発生を制御する主要な遺伝子の発現に大きな違いは見られませんでしたが、少数ながら発現パターンが違う遺伝子も見付かりました。

ニホンザルとチンパンジーで神経発生に重要な遺伝子の発現パターンは似ていたが、違った発現パターンを示す遺伝子も見付かった。

そのひとつが、レチノイン酸分解酵素のCYP26A1です。レチノイン酸は神経発生を誘導するシグナルのひとつで、CYP26A1はそのレチノイン酸を分解することで神経発生の開始を抑えます。ダイレクト・ニューロスフェア形成におけるCYP26A1の発現ピークを見てみると、ニホンザルで最も早く(培養1日目)、次いでチンパンジー(3日目)、ヒト(3-4日目)となっていました。つまり、CYP26A1という神経発生のブレーキが外れるタイミングが、ニホンザル、チンパンジー、ヒトの順に遅くなっているように見えます。また、多能性から神経系への運命決定に関わる別の遺伝子に、NPTX1があります。NPTX1はヒトとマウスで機能が違い、ヒトでは神経発生開始時に一過的に発現が上昇することで神経発生のスイッチを入れますが、マウスではこうした一過的な発現上昇や神経発生のスイッチ機能はなく、もっと後のニューロンが成熟する段階になってから機能します。興味深いことに、NPTX1の発現はチンパンジーではヒトと同じく分化初期(培養3日目)に一過的に上昇しますが、ニホンザルではこうした一過的な変動は起こらずに、マウスと同様の発現上昇し続けるパターンを示しました。

ニホンザルとチンパンジーの遺伝子発現の違いは、ダイレクト・ニューロスフェア形成の間だけではなく、その後のニューロン産生能を検証するための接着培養においても見られました。神経幹細胞のニューロン産生で重要なシグナルに、NOTCHシグナルがあります。NOTCHシグナルの関連遺伝子(DLL1、HES5)の発現を見てみると、ニホンザルでもチンパンジーでもダイレクト・ニューロスフェア形成培養3日目では低く、5日目になって上昇します。ところが、ニホンザルでは培養3日目の細胞であっても、接着培養に移した後には培養5日目の細胞と同等にまで発現が上昇していました。同じ現象はチンパンジーでは認められず、ニホンザルではNOTCHシグナルの活性化が早期かつ自発的に起こることが分かりました。

霊長類の神経発生進化のプログラム解明に向けて

ニホンザル、チンパンジー、ヒトの脳はサイズが大きく違いますので、分化誘導培養でも何かしらの違いが表れることは予想していましたが、結果を見て驚いたことが2つあります。ひとつは、神経発生に重要な遺伝子の発現パターンに大きな違いが見られなかったことで、発生の基盤となるプログラム自体は種を超えて強固に保存されていることが伺えます。もうひとつは、わずか7日という短期間の分化誘導培養であってすらニューロン産生に違いが見られたことで、異時性というプログラムもまたそれぞれの種のゲノムに強固に組み込まれていると推察されます。ニホンザルとチンパンジーで発現パターンの異なる遺伝子は、神経発生に重要な種共通のシグナルの調節因子であったことから、メインプログラムを調節するサブプログラムの違いが神経発生の種差を生み出している実体なのかもしれません。

現在、チンパンジーとヒトの神経発生の違いについても、遺伝子発現の比較解析を行っているところです。また、今回の成果とほぼ同じタイミングで発表した別の論文では、チンパンジーとヒトのiPS細胞で遺伝子発現とエピゲノムを網羅的に比較し、ゲノムに挿入されたレトロウイルスの違いが両種の遺伝子発現の違いになっている可能性を示しています。他にも私たちはさまざまな霊長類でiPS細胞を作製することに成功しておりますので、霊長類の神経発生進化の解明が今後大きく進展すると期待しています。

今回の成果では、光栄なことに私たちの実験データが掲載ジャーナルの表紙を飾ることになりました。

仲井コレクションから選抜したニホンザルiPS細胞由来のニューロンの写真のひとつ。

筆者の一人である仲井はニューロンがとても好きで、分化誘導の度にニューロンの写真を何十枚と撮影しており、ディスカッションでは大量の細胞データを見るのが常でした。今回、その仲井コレクションの一端をジャーナル表紙という形で世に公表でき、大変嬉しく思います。また、この論文を投稿したとき、仲井は博士号を所得して既に筆者(今村)のラボを卒業していました。そのため、査読後の再投稿に向けた対応をオンラインで頻繁に議論しつつ、休日には出戻って追加実験に取り組んだりしていました。論文には1つひとつ付随した思い出があるものですが、今回の論文でまたひとつ、さまざまな思い出が詰まったアルバムが増えました。

参考文献

・Risako Nakai, Yusuke Hamazaki, Haruka Ito, Masanori Imamura (2022). Early neurogenic properties of iPSC-derived neurosphere formation in Japanese macaque monkeys. Differentiation, 128: 33-42.
・今村公紀、仲井理沙子 「ヒト脳進化研究としてのチンパンジーiPS細胞 – 「ヒトの知性」の解明を目指して、脳の形成プロセスを追う」(academist journal、2020年4月22日).
・今村公紀、仲井理沙子 『ニホンザルのiPS細胞の作製に成功!-「霊長類学」の新たな可能性』(academist journal、2018年10月23日)

この記事を書いた人

今村公紀, 仲井理沙子
今村公紀, 仲井理沙子
今村公紀(写真左)
京都大学ヒト行動進化研究センター 助教、博士(医学)。富山県高岡市出身。金沢大学理学部、奈良先端科学技術大学院大学、京都大学大学院医学研究科、三菱化学生命科学研究所にて学生時代を過ごした後、滋賀医科大学 特任助教、慶應義塾大学医学部 特任助教、理化学研究所 客員研究員、京都大学霊長類研究所 助教を経て、2022年より現職。

仲井理沙子(写真右)
理化学研究所バイオリソース研究センターiPS創薬基盤開発チーム 特別研究員、博士(理学)。京都府舞鶴市出身。富山大学理学部卒業。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て、京都大学大学院理学研究科修了。2022年より現職。

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