私たちの「予測する」という能力

プロ野球選手は時速100km以上で飛んでくる小さなボールをバットで捉え、ホームランを打つことができます。私たちは混み合った雑踏のなかでも他人とぶつかることなく進んでいくことができます。このように人間は、行動を迅速かつ正確に行うために“予測をする”という能力があります。これから起こることに対しての何らかの予測があってこそ、短時間に正確な行動を生じさせることができるのです。私たちは次に何が起きるのかを常に予測しながら行動しているのです。

では、この予測という能力を詳しく調べることはできるのでしょうか? 予測は行動の調節を行っており、その調節は頭の中、すなわち脳で起きています。人間が予測している最中の脳を調べること——これが予測の研究です。

脳活動から予測を探る

脳の活動は、脳の継続的かつ電気的な波である「脳波」として観察することができます。脳波は、頭皮上に電極を装着し脳波計で増幅すると脳の電気活動として記録でき、1920年代に人間の脳波が初めて記録されてから、人間の脳活動を捉える有効な方法として今でも多くの研究で用いられています。脳波計の性能向上により、脳波を測定するために頭全体に何十個もの電極を装着することで(100個以上の電極を装着可能)、頭皮上の電位分布を緻密に描くことができます。

現在では、脳の血流量の変化から脳活動を視覚化する機能的磁気共鳴画像法(fMRI)というツールもあり、脳のどの部分が活動したのかを鮮明に「見える化」できるようになりました。しかし、fMRIではひとつのデータの測定に数秒かかり、いつ脳が活動したのか、たとえば写真を見る直前の脳活動や音を聞いて何秒後に脳が活動したのかを正確に記録することができません。一方、脳波はミリ秒単位で脳活動を視覚化できるため、脳活動の時間的な変化を観察するときにはfMRIよりも脳波の方が優れているのです。

脳波とfMRI
1) 高密度脳波電極キャップの写真。このような電極キャップを被り、脳波を測定する。現在の脳波計は、デスクトップ型のパソコンに組み込まれているものが多い。脳活動の時間的な変化を観察するときには、脳波測定が有用である。2) 3テスラ MRI装置の写真。MRI装置は通常の臨床で用いられているものを実験にも使用している。機能的な脳の画像を撮るためのプロトコルが組み込まれている。脳のどこが活動するのかを観察するときには、fMRIが有用である。

予測の脳波「SPN」の抽出

予測の脳活動は行動として現れる少し前に発生し、そのあいだに複数の脳波が出現しています。脳は予測と同時に行動の準備も行っているため、発見された脳波が予測と関係しているのか、それとも行動の準備に関係しているのか判別できないという課題がありました。

この問題の解決方法として、1980年代後半にオランダのティルバーグ大学の研究グループが、「時間評価課題」というユニークな実験課題を開発しました。

この課題では、実験参加者に「指定された秒数(例:4秒)が経過したと思ったらボタンを押す」という指示をし、ボタン押しの3秒後にボタン押しが指定された秒数より早すぎたか、遅すぎたか、正答だったかの結果を知らせるのです。実験参加者はその結果が出るまでの3秒間に、自分の時間カウント(4秒間)が合っていたか間違っていたかを予測し期待しながら待っています。

この研究グループは、待ち時間中に脳波の低周波成分の振幅が予測に伴って増大することを発見しました。そして、その脳波は”Stimulus-Preceding Negativity (SPN)”(刺激先行陰性電位)と名付けられました。

時間評価課題とSPN。時間評価課題とSPN時間評価課題を用いた場合、ボタン押しと結果の提示の間にSPNが出現する(黒の点線丸囲み内)。このモデル脳波波形(ピンク色)では、4秒間を数えて、ボタンを押し、その前にはボタン押し運動関連の電位が現れ、その後SPNが生じ(黒の点線丸囲み内) 、結果の提示後にはまた別の脳波が出現している。

SPNから人が何を予測しているかがわかる

脳波には、脳の情報処理を反映する脳波(P3)や単語認知や意味処理に関連した脳波(N400)などさまざまな種類があります。これらの脳波は刺激の後の短時間(数百ミリ秒)内にピークを持って大きく出現します。

それらと比較するとSPNはゆっくりと(数秒間)出現します。そのためSPNの脳波を調べるためには、1秒間に数百個のデータを多くの電極から何度も繰り返し収集する必要があり、SPNの測定データは膨大なデータ量となるのです。このようなことから、SPNは測定と分析に非常に多くの労力と時間がかかるため、明らかにされていない点が多くありました。

そこで私は、50個以上の電極を使った高密度電極脳波計を使ってSPNの解明に取り組んできました。2004年には、この脳波計を用いて、人間が視覚刺激(記号)の出現を予測しているときには、視覚野付近でのSPNの振幅が増大し、また、聴覚刺激(音)の出現を予測しているときには、側頭部にある聴覚野付近のSPNが大きくなること明らかにしました。

この結果は視覚刺激を予測した場合には視覚野を事前に活性化し、聴覚刺激を予測している場合には事前に聴覚野を活性化することを意味します。当たり前のように聞こえますが、この結果は「SPNを用いるとその人が何を予測しているか」がわかることを意味しており、SPN研究は予測の基礎研究だけでは終わらない応用性があることを示しています。

さらに2006年には、人間が「ごほうびがもらえるのか?」という金銭報酬に対しての期待があるときには、SPNの電位が大きく増大することも発見しました。この発見は、SPNは報酬の期待としての脳活動の指標となることを意味し、現在でも多くの論文に引用されています。

顔と声の予測は際立って素早い

その後、2014年には、予測は人と人とのコミュニケーションにも何らかの影響を及ぼしているのではないだろうか? という疑問が湧き、表情に注目して、顔写真の出現を予測しているときのSPNについて調べてみました。

3種類の視覚刺激(記号・文字・顔写真)を用いてSPNを測定し、時間的にどのような違いがあるか成分分析を行いました。その結果、SPNには時間的に早く電位が発生する前期成分と、時間的に遅れて電位が発生する後期成分があることがわかりました。興味深いことに、記号や文字は時間的に遅い後期成分で処理され、顔刺激の予測に関する活動は時間的に早い前期成分に多く含まれていました。このことは、顔の出現を予測する脳活動は、記号や文字よりも早くから始まることを意味しています。

次の実験として、声もコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしていることに気がつき、3種類の音刺激(ビープ音・メロディ・声)を用いた場合で予測の処理に違いがあるのかどうかを検討しました。その結果、声も早くから処理されていること(前期成分)がわかりました。一方、メロディは、予測の活動があまり大きくならず、むしろ音が聞こえ始めてから脳活動が大きくなることがわかりました。

SPNの成分と頭皮上電位図
1) 成分分析の結果のグラフ。成分分析を行うと複数の成分が抽出される。統計分析を行い、条件に用いた実験刺激の影響を検討し、成分を区別する。その結果、青い波形が前期成分で、赤い波形が後期成分ということが判明した。2) 頭皮上電位分布。SPNは陰性電位のため、青色が濃いほど活動が高いことを示す。メロディ条件が、声とビープ音条件に比べ、結果が提示されたあとによく活動していることが頭皮上電位分布図でわかりやすく示された。

これらの2つの研究結果から、顔と声の予測は他の刺激処理より際立って素早く行われていることが示されました。実際に見たり聞こえたりするかなり前から脳を事前に活性化させているのです。顔と声は、コミュニケーション上で不可欠なものという共通する特徴を持っています。他人とコミュニケーションを取るときには、声や表情から感情表現を読み取り、意味の抽出も行います。また、その人物が誰なのかを判別し特定する作業にはより長い処理時間を必要とされ、早い時点からの処理を行っていると考えることができます。

人と会い、話しをするといった積極的なコミュニケーションをとることは、脳を活性化するうえで非常に重要な役割を成していると考えられ、現在、大きな社会問題になっている認知症の予防に効果がある可能性もあります。

今後の予測の研究

コミュニケーションとして、握手をしたり、肩を叩いたり、ハグをするような文化もありますが、これは予測の脳活動にとってどのような意味があるのでしょうか? 新型コロナウイルス感染症が広まった2020年は、このような身体接触が最も少なかった1年として記録されるかもしれませんね。今後の研究では、視覚や聴覚刺激以外の刺激、たとえば皮膚への触覚刺激を使った場合を検証したいと考えています。

顔を見ることや、声を聴くことと比べ、肌に触れるということは何か特別な意味があるのでしょうか? 顔や声以上に好き嫌いが反映されるのでしょうか? そして、SPNの前期成分は果たして触覚刺激の予測にどのような影響を受けるのでしょうか? 「予測」に秘められた人間の心のメカニズムをさらに明らかにしていきたいと考えています。

参考文献
・Yoshimi Ohgami, Yasunori Kotani, Tetsuji Tsukamoto, Kazufumi Omura, Yusuke Inoue, Yasutsugu Aihara, Minoru Nakayama.”Effects of monetary reward and punishment on stimulus-preceding negativity” Psychophysiology, 2006, 43, 227-236.
DOI:10.1111/j.1469-8986.2006.00396.x.

・Yoshimi Ohgami, Yasunori Kotani, Jun-Ichirou Arai, Shigeru Kiryu, Yusuke Inoue. “Facial, verbal, and symbolic stimuli differently affect the right hemisphere preponderance of stimulus-preceding negativity” Psychophysiology, 2014, 51, 843-852.
DOI:10.1111/psyp.12234.

・Yoshimi Ohgami, Yasunori Kotani, Nobukiyo Yoshida, Akira Kunimatsu, Shigeru Kiryu, Yusuke Inoue. “Voice, rhythm, and beep stimuli differently affect the right hemisphere preponderance and components of stimulus-preceding negativity” Biological Psychology, 2021, 120, 108048.
DOI:10.1016/j.biopsycho.2021.108048

この記事を書いた人

大上 淑美
大上 淑美
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 研究員
ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校心理学専攻卒業、東京工業大学大学院修了、博士(理学)取得。専門は生理心理学。ヒトを対象とした知覚予期や情動予期のメカニズムを脳波、fMRI、NIRSを使って、いつどこでどのように脳が活動しているのかを探っている。基礎研究で得た知見を活用して自動車メーカーや空調メーカーとの技術開発にも取り組んでいる。