今回、連載「研究キャリアの生かし方」に登場していただく方は、情報通信研究機構(NICT)北陸StarBED技術センターおよび北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)で研究員として働く湯村翼さんです。

湯村さんは、宇宙プラズマ物理の研究で博士前期課程を修了後、新卒採用で東芝に入社。その後、民間企業で働きながらJAISTの博士後期課程(社会人コース)に進学して研究を進めてきました。複数回の転職や独立、起業も経験され、現在は多様なキャリア経験を生かしつつ、無線ネットワークエミュレーションの研究に取り組んでいます。今回は、湯村さんのこれまでのキャリアと現在の研究内容、専門を変えていくことのメリット・デメリットなどについて伺いました。

湯村翼氏プロフィール
情報科学研究者。情報通信研究機構(NICT)北陸StarBED技術センター研究員/北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)プロジェクト研究員。博士前期課程修了後、東芝に入社。JAISTの博士後期課程(社会人コース)で情報科学の研究に取り組みながら、複数回の転職、独立、起業を経験し、現職。「ニコニコ学会β」の運営やプロジェクションマッピングキーボードの開発など、研究以外にもさまざまな活動に取り組んでいる。

宇宙プラズマ物理の研究から大企業への就職

——博士前期課程のときにはどのような研究をされていたのでしょうか。

地球惑星系の研究室に所属し、宇宙プラズマ物理の研究に取り組んでいました。プラズマとは、エネルギーが高くなった際などに分子がプラスイオンとマイナスイオンに電離する状態のことを指します。地表から100km超付近の地球大気圏では太陽紫外線などの影響でプラズマが増えますが、このとき大気中では、均一にプラズマが発生しているのではなく、プラズマ密度の薄い部分と濃い部分が生じています。薄い部分のことを、泡のように何もないという意味で「プラズマバブル」と呼ぶのですが、私はこのプラズマバブルが発生するメカニズムについてシミュレーションを行っていました。

——博士前期課程修了後は民間企業に就職されていますね。民間企業への就職を考え始めたのはいつごろでしたか。

学部生のときから漠然と、博士前期課程修了後は民間企業に就職することを考えていました。研究はとてもおもしろく、進学するかどうか多少迷いましたが、研究を一生懸命やっておもしろかったのと同じように、民間企業で働いても一生懸命やれば興味を持って取り組めるだろうということが想像できたので、民間企業への就職を選びました。一部かもしれませんが地球科学分野の研究を経験したため、次は違う世界に挑戦してみたいと感じていたこともあります。大企業は新卒の方が入社しやすいと考えていたため、大企業を中心に就職活動を行い東芝に入社しましたが、当時からひとつの企業で定年まで働き続けるイメージは持っておらず、将来はいろいろな会社で働いてみたいと考えていました。

社会人ドクターとして大学院に籍を持ちながら、複数回の転職

——東芝に就職してから3年後にJAISTの博士後期課程(社会人コース)に進まれたのはどのような経緯だったのでしょうか。

東芝では、ネットワーク系の研究所で情報科学の研究に取り組んでいました。プログラミングやネットワークの知識は独学で身につけていたものの、情報科学を体系立てて学びたいという思いが強くなり、JAISTの博士後期課程に進学することにしました。東芝では入社後に博士号を取得する方も多く、特に珍しいことではありません。JAISTの社会人コースは、東京のサテライトキャンパスで金曜日の夜と土日に開催される授業に参加することで単位を取得できます。仕事を休む必要がないため、働きながらでも通いやすかったですね。

博士後期課程では、ホームネットワークに関する研究に取り組みました。現在ではエアコンやテレビがインターネットにつながるなど、ネットワーク家電の普及が広がっていますが、私が行っていたのは、こうしたネットワーク家電の通信規格をどのように決めるかという研究です。東芝で進めていたテーマにかなりの近い内容でした。

研究を進めるにあたっては、石川県のキャンパスにいる指導教員や研究室のメンバーと対面で議論することも必要になるため、TV会議に出席したり、指導教員が東京に出張に来る際に機会を作ったりなどの工夫が必要でした。仕事が忙しいと予定が合わなかったり、研究室の学生と直接話すことができなかったりなど、サテライトキャンパスで研究活動を進めることの大変さはありましたね。このような背景もあって、その後は石川県に引っ越して研究活動に取り組みました。

——その後、東芝を退職されて転職されていますよね。

JAISTで研究を進めつつ、新卒で入社した東芝を退職し、AR技術を使ったアプリなどを開発するクウジットで1年半働きました。その後はフリーランスや会社の立ち上げなども経験しました。

——フリーランスのときに印象に残っている活動はありますか?

ユーザー参加型の学会「ニコニコ学会β」の運営活動です。最初はクウジットで働いていたときに参加したのですが、フリーランスになった翌年に、運営にも携わることになりました。雇われて働いていると、ボランタリーな活動などは、やりたいというモチベーションがあっても時間が確保できずにフルコミットできない場合があると思います。フリーランスになったことで、自分がやりたい活動に思い切り取り組むことができました。お金を得られたわけではありませんが、ニコニコ学会βの運営などを通していろんな研究者とコネクションを築けたのは、フリーランスならではの良い経験でしたね。

——かなり多様な仕事を経験されている印象を持ちます。企業で働くこととフリーランスの違いについてはどのように考えてらっしゃいますか。

企業の場合、毎月決まったお給料をいただいて組織の利益のために働くことになるため、自分の業務に集中できる一方で、業務内容が制限されるというデメリットもあると思っています。フリーランスの場合、自由にやりたいことに取り組める反面、生活を維持するための収入の確保も考える必要がありますよね。私の場合は自分のやりたいことをやってお金を稼ぐというよりは、基本となる生活費は会社に勤めながら稼いだうえで、余力のところで自分のやりたいことをやるほうが合ってると感じています。そのため現在は、NICTに所属し、研究員として研究を進めています。

無線ネットワークエミュレーションでBluetoothの検証環境を作る

——湯村さんがフリーランス時代に開発されたプロジェクトションマッピングキーボードはネットで大きな反響を呼んでいました。

プロジェクションマッピングキーボードは、キーボードにプロジェクションマッピングをすることで、キーを打ち込むと光の文字が飛び出したり、音が出たりとさまざまなエフェクトが生じる装置です。もともとは、プログラミングを使っておもしろいものを作る明治大学宮下研究室主催のイベント「ABPro」で発表することを目標に製作しました。このイベントを含め数回展示するだけのつもりでしたが、複数のテレビ局に取り上げてもらったり、Webメディアや海外のニュースサイトにも掲載されたりなど大きな反響がありました。仕事に繋がったということはありませんが、その後、明治大学の先生と共同研究を進め、キーを打ったときに生じるさまざまなエフェクトに対する感情の変化について、心理学的に解析する研究を行い論文にまとめています。


プロジェクションマッピングキーボードが動作する様子

——現在取り組んでいらっしゃる研究分野について教えてください。

無線ネットワークエミュレーションです。無線LANやBluetoothは、機械同士が無線で送受信していますが、たとえばその機械を100台置いたときにうまく動作するかどうかはわかりません。実際に機械を100台購入して動かし、干渉しないかどうか、処理がうまくできるかどうかを調べることはできますが、実験は大がかりになります。そこで、仮想化することでさまざまな状況に置かれた無線環境を検証することができないかというモチベーションから、無線ネットワークエミュレーションに関する研究に取り組んでいます。

エミュレーションをわかりやすく言うと、同じ機能を違う環境下で動かせるようにすること。無線LANやBluetoothのプロトコルをイーサネットの有線ネットワークの上で動かすことを試みています。これは実際には有線で通信しているのに、OSから見ると無線通信やBluetoothで通信しているようにみえるという具合です。このように、仮想化することで無線の実験をすごく簡単にできるようにすることが私が所属するStarBEDのミッションのひとつです。

——具体的な研究テーマについても教えていただけますか。

私は特にBluetoothに着目して研究しています。最近では、Bluetoothの発信機であるビーコンがショッピングモールや街中に設置されていて、Bluetoothの電波を受信したらお店の情報やクーポンを発信するという取り組みが始まっています。このような取り組みをより効果的に運用するには、設置したビーコンの周辺を端末を持って歩き、適切に動いているかどうかを確かめる実験が必要です。狭い範囲であれば簡単ですが、大きなテーマパークで実験をする場合には、手間も大きくなります。これをより効率的に進めるために、Bluetoothのビーコンがどの範囲まで届くかをサーバ上で計算する、つまりは仮想化することで、Bluetoothの新しい試験環境や検証環境を作ることが最近の研究内容です。

2013年にアップル社がiBeaconを出した当初は、集客向上に使えると話題になったのですが、実際の集客効果を測定するのが難しいという課題があり、思ったほど普及していません。今後は、商業系での利用ではなく美術館や博物館、公共施設での導入が中心になっていくかもしれません。今の研究が大きくなるかどうかはビジネスの市場に大きく依存していると考えています。

近年では、Bluetoothのメッシュネットワークが新しく規格として導入されました。これまでBluetoothは1対1の通信しかできなかったのですが、メッシュネットワークによって複数台を同時に接続することができるようになります。これを使うと、たとえばフロアに複数の照明があるときに、自分の近くの照明ひとつに命令を出すとその電球が隣の電球へ、さらに隣の電球へと通信していくことで、フロア全体の照明に命令を出すことができます。今後普及が進めば、今取り組んでいる無線ネットワークエミュレーションという仮想環境を使った研究が役立つのではないかと思っています。

——Bluetoothのエミュレーション結果は実環境の状況と一致するのでしょうか。

なかなか難しいこともありますね。エミュレーションをする際には、ビーコンからの距離に応じた電波の減衰や設置状況のパラメータを考慮しています。しかし実際に電波が使われる建物の形、机など構造物の有無やその材質など、さまざまな要素でパラメータが変化するため、一度決めたパラメータを別の環境で使おうとするとうまくいきません。精度を高めるには、実環境のパラメータを測定すれば良いのですが、精度の高さを求めて実験の手間が増えるのでは、本末転倒ですよね。できるだけ手間をかけずに、精度の高いモデルを作ることが理想です。

——パラメータを調整して現象をシミュレーションするという意味合いでは、大学で取り組まれていた宇宙プラズマ物理の研究ともつながりがあるような印象を受けました。

専門を変えていくことのメリット・デメリット

——湯村さんは多様なキャリアを経て、複数の専門分野について学ばれてきたと思いますが、専門を変えていくことについてはどのようにお考えですか。

専門を物理学から情報科学へと変えてきたことについては、よかったかどうか正直わかりません。最終的にはよかったと思えるとよいのですが、現段階では物理学分野で積んだ業績が情報科学の分野ではそれほど役に立たない場面もあります。情報科学は、若手のときからトップカンファレンスに出ることもできるような分野なので、若いうちから一環して同じ分野で研究を続けることは、キャリアの面ではメリットになると思っています。ただ私は、この先10年、20年後、自分で研究室を持つようになったときに、違うバックグラウンドがあってよかったと思える日がきっと来ると思っています。研究では真理を追究するため、どんどん専門が深くなっていきますが、私の場合、深くというよりは広げていくほうが好きなんです。深い方向ではなく横に広い視点を持った研究者も、今後役に立つ場面が出てくるのではないでしょうか。

——最後に、民間企業への就職を検討されている理系学生の方へメッセージをお願いします。

キャリアパスがもっと多様になればいいと思っています。今だと、たとえば理系の学生は、学部を卒業後、博士前期課程で研究をして民間企業に就職するキャリアが王道になっている印象を受けます。また博士後期課程に進学した場合には、研究職を目指す覚悟を決めなければいけないといったように、キャリアが限定されているように感じることもあります。もっとアカデミアと民間企業を行ったり来たりできればよいと感じています。特に情報科学分野では昔に比べると転職しやすくなっていると思いますが、民間企業からアカデミアへの転職はいまだに難しい面があります。仕事だけではなくライフイベントも考慮すると、人の多様性に合わせてキャリアが選べるようになればいいですよね。

アカデミアと民間企業の両方に興味がある場合には、将来的はどちらにも行くことを念頭に置き、まずは自分のやりたい方を選ぶのがよいと思います。選んだ時点でどちらか一方に決めるより、行き来できる可能性も考慮して選択していくことが大切ではないでしょうか。

——湯村さんのような方が今後多く出てきて、どんどん活躍していける世の中になればよいですよね。ありがとうございました。

(取材:柴藤亮介、構成・文:田中奈穂美、撮影・編集:周藤瞳美)

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