私の研究は英語圏文学で、包括的な関心としては、19世紀中盤から20世紀初頭において動物、技術、宗教の領域と人間社会の関係に興味があります。現在はその問題意識をもとに、『ユリシーズ』(Ulysses)などの著作で知られるアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce 1882-1941)を中心に研究を進めています。今回、研究内容の一部を紹介する上では複数の対象を思いつきますが、昨年の『ジュラシック・ワールド』と今年の『シン・ゴジラ』の記録的な大ヒットのこともあり、動物のなかでも最も遅く人類知に触れた「恐竜」あるいは古生物を選びたいと思います。そしてジョイスがある古生物に言及しているたった一行の糸口から、膨大な記憶や歴史、文化、言説の一部を引き出すことで、この文学研究という学問の魅力を伝えられればと思います。

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ジョイスは決して恐竜や古生物に数多く言及する作家ではありません。だからこそ不思議なのですが、1904年から1906年にかけて彼が執筆していた自伝的小説『スティーヴン・ヒアロー』のなかに、大型海棲爬虫類の「プレシオサウルス」の名がかなり唐突に登場します(*「恐竜」ではありません)。この作品は世紀転換期のダブリンの街を舞台に、主人公スティーヴン・ディーダラスの日常や芸術観が縷々つづられる物語で、小説自体は未完に終わり(完成版が『若き日の芸術家の肖像』です)、現在ではその断片だけが残っています。プレシオサウルスが現れるのは、次の引用部です。

彼[スティーヴン]は青年にありがちな愛好家的な精神から芸術に関わったわけではなく、森羅万象の核心部へと突入を試みたのであった。彼は汚泥の海からプレシオサウルスが姿を現わすのを見る人のように、人類の過去をじっと覗きこみ、生まれ出んとする芸術を垣間見たのだった。(Stephen Hero 33;以下、強調はすべて筆者)

スティーヴンは人類が芸術を発明した始原的な過去を想像しているようですが、その荒々しく力強いイメージを伴った記述には疑問が残ります。つまり、なぜここで、生きた首長竜のイメージが突然現われるのか、という問題です。「プレシオサウルスが姿を現わすのを見る人のように」といっても、その首長竜を実際に見たことのある人は存在しません。また数ある古生物のなかでも、なぜよりにもよって「プレシオサウルス」が選ばれたのか。同作品に関する最新の注釈にも一切の記載がなく (Mamigonian and Turner 2003)、未だに研究上の注釈が与えられていませんので、以下その謎を一部解明してみようと思います。

まず、上記の引用には二つの前提事項があります。一つには、ジョイスあるいは語り手が「プレシオサウルス」という古生物に関する知識をいくらかもっていて、彼らが骨格標本、もしくは、その全身復元図を実際に見ていること。また一つには、その記述を読む当時の読者が「プレシオサウルス」という文字列からそれなりの姿を想像できるという前提です。プレシオサウルスの記載がなされ、文献に初めて姿を現わすのは1821年以降ですが(Plesiosaurus De la Beche & Conybeare 1821)、果たしてそれはどのような通路を通って、この20世紀初頭の小説内に姿を現わしたのでしょうか。

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ダブリン動物園でのプレシオサウルスの化石展示を伝える新聞紙面(”At the Garden of the Royal Zoological Society.” Freeman’s Journal. Jul 16. 1853)

それこそ発掘作業になるわけですが、まずはアイルランドで刊行された40種以上の新聞記事を閲覧できるIrish Newspaper Archivesや19世紀に広く読まれていた新聞紙の一つIrish Timesといったデジタルアーカイヴ・サービスを利用して、ありったけの“plesiosaurus”に関する情報を収集していきます。すると興味深い事実が判明します。ちょうど19世紀の中頃にアイルランドの動物園に、プレシオサウルスの化石が寄贈されているのです。

このプレシオサウルスに関する情報はまさしく化石のように断片的に散らばっているため、全容を整理して、再構成する必要があります。複数の文献が教えてくれるところでは、このプレシオサウルスの化石は1848年に英国のヨークシャー州で発掘されたものです。化石はアイルランド王立動物学協会の創設に寄与し、同協会の会長を務めていたアイルランド人外科医・解剖学者フィリップ・クランプトン(Philip Crampton 1777-1858)の手に渡ったあとで、1853年にフェニックス公園内のダブリン動物園(Dublin Zoological Garden)へ寄贈されました。記事にある表現を使えば、その「古代世界の巨大な海竜」の化石は全長23フィート(約7m)もあったために、全長36フィート(約11メートル)の展示小屋が園内に別途建築される必要がありました(注1)。別の文献からは、その展示小屋がテント型の形をした構造物であったことも判明します(Courcy 31)。他にも”till dusk”という味わいのある閉園時間や、児童用の入場料や日曜料金などの「小さな事実」の積み重ねから、当時のダブリン市民たちが珍しいプレシオサウルスの化石を見にやってくる様子が浮かびあがってきます。

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三つの街灯に囲まれたクランプトン記念碑。老朽化して1959年に撤去されるまでダブリンの街に存在していた。(Bennett, 46)

ついでながら言えば、プレシオサウルスの化石の寄贈者クランプトンは死後にその功績を讃えられ、1862年にはダブリンの街に彼の胸像を嵌めこんだ噴水の記念碑が建てられました。そしてジョイスはまさしくこの名前と記念碑を、1904年を舞台設定年とする『ユリシーズ』のなかで登場させているのです。以下の引用は主人公レオポルド・ブルームが馬車のなかからダブリンの街を眺めているときの、彼の頭のなかに流れていることばです。

プラスト帽子店。フィリップ・クランプトンの噴水記念碑の胸像。誰だったっけ?(“Plato’s. Sir Philip Crampton’s memorial fountain bust. Who was he?” )(U 6. 191)

ジョイスが口にしたとされる有名な言葉に「ある日突然ダブリンがこの地上から消滅してしまったとしても、この本(『ユリシーズ』)から再現できるくらい完璧にその都市の光景を描きたいんだ」というものがありますが(Budgen 69)、上記の引用はそれを例証する箇所かもしれません。とはいえ、ブルームがそれが誰だか忘れてしまっているように、不朽の記憶を残そうとしてむしろ当該の人物を忘れさせてしまうという記念碑の宿命も面白いところです(注2)。

さて、1859年の『フリーマンズ・ジャーナル』紙の記事にはアイルランド王立動物学協会の年次会議の報告があり(注3)、クランプトンの偉業を讃えると同時に、ダブリン動物園に遺贈された同化石を「遠い過去の時代のすばらしい標本」(“this wonderful specimen of a long past age”)と讃える表現が見つかります。それはジョイスが作品のなかで書いていた「過去」とも親和的で、古生物の化石が遥かなる過去を想わせる遺物であったことが分かります。ただし前者の「過去」は何千万年や何億年という単位ではないことに注意しなければなりません。19世紀は言うに及ばず、20世紀初頭の時点でも中生代は数百万年前と考えられていたからです(化石から遥か遠い過去に想いを馳せる空想的時間については、例えばHitchcock, 1848, 250-51を参照のこと)。

ではジョイスが化石の寄贈を受けたダブリン動物園でプレシオサウルスの化石を見て、それが小説の描写のモデルになったのかというと、そうではないようです。ダブリン動物園が資料提供をしている研究書Dublin Zoo: An Illustrated HistoryCollins Press, 2009)によると、クランプトンのプレシオサウルスの化石は1853年に同園に寄贈されたあと、1861年にダブリン王立協会(Royal Dublin Society)に一時的に預けられ、その後(同館のコレクションの所有権が政府に移譲された)1877年にダブリンの自然史博物館のコレクションへと売却されています(Courcy 67-68)。

化石の保管場所が移動してしまいましたので、今度は自然史博物館の歴史を記述した本でプレシオサウルスに関するページを紐解きます(O’Riordan 27)。するとここでプレシオサウルス類に分類されていたその化石の、寄贈者フィリップ・クランプトンが献名された当時の学名Thaumatosaurus cramptoni”が判明します(注4)。このとき、先ほど引いた新聞記事の引用句の訳を「遠い過去の時代のすばらしい驚異に満ちた標本」(“this wonderful specimen of a long past age”)と修正してもよいかもしれません。なぜならThaumatosaurusとは、“wonder reptile”=「驚異の爬虫類」を意味するからです。年次会議の報告記事を書いた人物が学名を知っていた可能性は充分にあるでしょう。

その後、プレシオサウルスの化石標本は1890年に同館の「化石ホール」へと移動されたようですが(注5)、ジョイスが1882年生まれであることを考えると、彼は少年期から青年期のいつかの段階で、この「驚異の爬虫類」の化石展示を見たのでしょう(現物の頭部の写真はこちらから)。そして、その化石経験がインスピレーションとなり、絶滅したプレシオサウルスが一つの比喩となって、1904年から1906年にかけて執筆されていた作品に姿を現わした、という想定に立ったとき、今度は「プレシオサウルス」が物語のなかで一つの表現として描き出される意味を考える必要が出てきます。

後編に続く)

注1 “Zoological Gardens, PhŒnix Park.” Freeman’s Journal. 2 Sep 1853, p.1および Kerry Evening Post. 11 May 1853, p.1を参照。
注2 このアイロニカルな特性についてはムージルの「記念碑」を参照(ローベルト・ムージル『ムージル著作集第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』円子修平・斎藤末三郎訳、松籟社、50-53頁 )
注3 “Zoological Society.” Freemans Journal. 4 May 1859, p.3.
注4 現在は同館にRhomaleosaurus cramptoniとしてその頭部が保存されている。同標本の複数のシノニムについてはCatalogue of Fossil Reptiles in the National Museum of Ireland、学名の混乱については“Whatever happened to ‘Thaumatosaurus’ – the wonder reptile?” plesiosauria.com. を参照のこと。
注5 “The Complicated History of Rhomaleosaurus cramptoni.” The Plesiosaur Directory.

引用・参考文献
Bennet, Douglas. Encyclopaedia of Dublin. Dubin: Gill and Macmillan, 1994.
Courcy, Catherine. Dublin Zoo: An illustrated History. Cork: Collins Press, 2009.
Hitchcock, Edward. “An Attempt to Discriminate and Describe the Animals That Made the Fossil Footmarks of the United States, and Especially of New England” Memoirs of the American Academy of Arts and Sciences, New Series 3 (1848): 129-256
Mamigonian, Marc A. and John Noel Turner. “Annotations for Stephen Hero.” JJQ 40 (2003): 347-518
O’Riordan, C.E. The Natural History Museum Dublin. Dublin: Stationery Office, 1983.
Joyce, James. Stephen Hero. New York: New direction ,1963.
Ulysses. Ed. Hans Walter Gabler. New York: Garland, 1984.

この記事を書いた人

南谷奉良
南谷奉良
横浜国立大学・専修大学非常勤講師。一橋大学言語社会研究科博士後期課程在籍。日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局員。ジョイス研究および19世紀中盤から20世紀初頭にかけての動物、技術、宗教の領域における近代的な変容に関心がある。
ホームページ:http://www.stephens-workshop.com