私の研究は英語圏文学で、包括的な関心としては、19世紀から20世紀初頭における動物の表象、動物の近代的諸制度に興味があります。現在は、『ユリシーズ』(Ulysses)などの著作で知られるアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce; 1882-1941)と動物の関わり合いを中心に研究を行っています。研究内容を紹介する上では複数の対象を思いつきますが、『ジュラシック・ワールド』(2015)と『シン・ゴジラ』(2016)の記録的な大ヒットのこともあり、今回は動物のなかでも最も遅く人類知に触れた古生物を選びたいと思います。そしてジョイスがある古生物に言及しているたった一行の糸口から、膨大な記憶や歴史、文化、言説の一部を引き出すことで、文学研究という学問の魅力を伝えられればと思います。

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ジョイスは決して恐竜や古生物に数多く言及する作家ではありません。だからこそ不思議に映るのですが、1904年から1906年にかけて彼が執筆していた自伝的小説『スティーヴン・ヒアロー』(Stephen Hero)のある一節の中に、大型海棲爬虫類の「プレシオサウルス」の名がかなり唐突に登場します(*「恐竜」ではありません)。この作品は20世紀転換期のダブリンの街を舞台に、主人公スティーヴン・ディーダラスの日常や芸術観が縷々つづられる物語で、小説自体は未完に終わり(完成版が『若き日の芸術家の肖像』です)、現在はその断片だけが残っています。プレシオサウルスは彼の芸術観が描かれる際にテクストに浮上してきます。

彼[スティーヴン]は青年にありがちなうわべだけの精神で芸術に関わったわけではなく、森羅万象の有意義な核心部へと突入を試みたのだった。彼は人類の過去へと遡り、プレシオサウルスが汚泥の海から姿を現わすのを見るかのように、まさに生まれ出んとする芸術を垣間見た。それはまるで、あらゆる歌に先立ってある素朴な恐怖や喜び、驚きの声を聞くかのように、またオールを漕ぐ男たちの未開の律動を聞くかのように感じられ、ダ・ヴィンチやミケランジェロが継承した、荒々しいなぐり書きや未だ空間に固定されていない神々を目の当たりにするかのようのだった(Stephen Hero 33;以下、強調はすべて筆者)

スティーヴンはここで、明確な形式やスタイルになる以前にありえたかもしれない「表現ならぬ表現」、芸術が誕生しようとする始原的な瞬間を想像しているようですが、その荒々しく力強いイメージを伴った記述には、大きな謎が一つ残ります。なぜ生きた海棲の古生物のイメージが突然現れるのか、という問題です。「プレシオサウルスが汚泥の海から姿を現わすのを見るように」といっても、その古生物を実際に見たことのある人は存在しません。何より数ある古生物のなかでも、なぜ「プレシオサウルス」が選ばれたのか。同作品に関する最新の注釈にも一切の記載がなく(Mamigonian and Turner 2003)、また、これまでほとんど同記述には批評的注目が集まらなかったことから、今回の記事では前編・後編に分けて、その謎を一部解明してみようと思います。

上記の引用には二つの前提事項があります。一つには、ジョイスあるいは語り手が「プレシオサウルス」という古生物に関する知識をいくらか有し、彼らが骨格標本や全身復元図を実際に見ていること。また一つには、その記述を読む当時の読者が「プレシオサウルス」という文字列から「それなりの姿」を想像できるという前提です。プレシオサウルスの記載がなされ、その語が文献に初めて姿を現わすのは1821年以降ですが(Plesiosaurus De la Beche & Conybeare 1821)、果たしてその語はどのような表象の通路を経て、この20世紀初頭の小説内に姿を現わしたのでしょうか。

まずはアイルランドで刊行された40種以上の新聞記事を閲覧できるIrish Newspaper Archivesや19世紀に広く読まれていた新聞紙の一つIrish Timesといったデジタルアーカイヴ・サービスを利用して、ありったけの“plesiosaurus”に関する情報を収集していきます。それこそ発掘作業になるわけですが、この調査を通じて、きわめて興味深い事実が判明します。ちょうど19世紀の中頃にアイルランドの動物園に、プレシオサウルスの化石が寄贈されているのです。

AT THE GARDEN OF THE ROYAL ZOOLOGICAL SOCIETY
Is now to be seen a most perfect and beautiful GIGANTIC SKELETON of the FOSSIL PLESIOSAURUS presented by the Marquis of Normanby to Sir Philip Crampton, Bart., President of the Society.
THE GARDEN IN THE PHOENIX PARK IS OPEN
Every week day from Seven o’Clock, a.m., till dusk; and on SUNDAYS from two o’Clock p.m.
Admission―Weekdays, 6d. Children half-price.
On SUNDAY, One Penny only, for the benefit of working people.
(ダブリン動物園でのプレシオサウルスの化石展示を伝える新聞紙面(Freeman’s Journal. Jul 16. 1853)

この「ダブリン・プレシオサウルス」に関する情報はまさしく化石のように断片的に散らばっているために、全容を整理して、再構成する必要があります。複数の文献が教えてくれるところでは、このプレシオサウルスの化石は1848年に英国のヨークシャー州で発掘されたものです。化石ははじめ、ノーマンビー侯爵から、アイルランド王立動物学協会の創設に寄与し、同協会の会長を務めていたアイルランド人外科医・解剖学者フィリップ・クランプトン(Philip Crampton 1777-1858)の手に渡り、次いで1853年にフェニックス公園内のダブリン動物園(Dublin Zoological Garden)へと寄贈されました。その「古代世界の巨大な海竜」の化石は全長23フィート(約7m)もあったために、全長36フィート(約11メートル)の展示小屋が園内に別途建築される必要がありました(注1)。別の文献からは、その展示小屋がテント型の形をした構造物であったことも判明します(Courcy 31)。上の引用からは、“till dusk”という味わいのある閉園時間や、児童用の入場料や日曜料金などのミクロな事実の積み重ねから、当時のダブリン市民たちがプレシオサウルスの化石を見にやってくる様子が浮かびあがってきます。

このプレシオサウルスの化石を寄贈したフィリップ・クランプトンは他にも多くの功績を残したために、その死去から数年後の1862年には彼の胸像を嵌めこんだ噴水の記念碑がダブリンの街に建てられています。面白いことに、ジョイスはまさしくこの名前と記念碑を、1904年を舞台背景に据えた『ユリシーズ』のなかで登場させているのです。以下の引用は主人公レオポルド・ブルームが馬車のなかからダブリンの街を眺めるときの、彼の頭のなかに流れている言葉です。

プラスト帽子店。フィリップ・クランプトンの噴水記念碑の胸像。誰だったっけ?(“Plato’s. Sir Philip Crampton’s memorial fountain bust. Who was he?”) (U 6. 191)

三つの街灯に囲まれたクランプトン記念碑。老朽化して1959年に撤去されるまでダブリンの街に存在していた。(Bennett, 46)

ジョイスが口にしたとされる有名な言葉に「ある日突然ダブリンがこの地上から消滅してしまったとしても、この本(『ユリシーズ』)から再現できるくらい完璧にその都市の光景を描きたいのだ」というものがあります(Budgen 69)。上記の引用はまさにその復元を例証する箇所かもしれません。とはいえ、ブルームがクランプトンを誰だか忘れているように、不朽の記憶を残そうとしてむしろ当該の人物を忘れさせてしまうという記念碑の宿命も面白いところです(注2)。

さらに調べていくと、1859年の『フリーマンズ・ジャーナル』紙の記事に掲載されたアイルランド王立動物学協会の年次会議の報告中では(注3)、このクランプトンが寄贈したプレシオサウルスの化石を「遠い過去の時代のすばらしい標本」(“this wonderful specimen of a long past age”)と讃える表現が見つかります。それはジョイスが作品のなかで書いていた「過去」とも親和的で、古生物の化石が遥かなる過去を想わせる遺物であったことが分かります(*ただし前者の「過去」は何千万年や何億年という単位ではないことに注意しなければなりません。19世紀は言うに及ばず、20世紀初頭の時点でも中生代は数百万年前と考えられていたからです)。

ではジョイスが化石の寄贈を受けたダブリン動物園でプレシオサウルスの化石を見て、それを小説の描写のモデルにしたかというと、どうもそうではないようです。ダブリン動物園が資料提供をしている研究書Dublin Zoo: An Illustrated History(Collins Press, 2009)によると、プレシオサウルスの化石は1853年に同園に寄贈されたあと、1861年にダブリン王立協会(Royal Dublin Society)に一時的に預けられ、その後(同館のコレクションの所有権が政府に移譲された)1877年にダブリンの自然史博物館のコレクションへと売却されています(Courcy 67-68)。

化石の保管場所が移動してしまいましたので、今度は自然史博物館の歴史やコレクションについて記述した本で「プレシオサウルス」に関するページを紐解きます(O’ Riordan 27)。するとここで、寄贈者フィリップ・クランプトンが献名された当時のもう一つの学名“Thaumatosaurus cramptoni”が判明します(注4)。Thaumatosaurusとは、“wonder reptile”=「驚異の爬虫類」を意味しているため、先の記事中の翻訳を「遠い過去の時代のすばらしい驚異に満ちた標本」(“this wonderful specimen of a long past age”)と読み替えたくもなってきます。しかし、この学名は当時起こっていた分類の混乱を物語るもので、その歴史的様相についてはアダム・スミス(Adam Smith)が詳細に追っています。簡潔に整理すれば、そのクランプトンの化石はPlesiosaurus cramptoniおよびThaumatosaurus cramptoniの名称を背負ってきた上で、その後Rhomaleosaurus cramptoniとして分類されるに至りました。現在は、その威容を保存した鋳型の一つがロンドン自然史博物館で展示され、動画やVR技術のなかでも生き生きと復元されています

クランプトンの化石標本は1890年にダブリンの自然史博物館の化石ホールへと移動されたようですが(注5)、ジョイスが1882年生まれであることを考えると、彼は少年期から青年期のいつかの段階で、その「驚異の爬虫類」の化石展示を見たのでしょう。そして、その化石経験がインスピレーションとなり、一つの比喩となった上で1904年から1906年にかけて執筆されていた作品に生きたプレシオサウルスの姿をもって現われた、という想定に立ったとき、今度はプレシオサウルスが一つの「表現」として描き出される意味を考える必要が出てきます。

後編に続く)

注1 “Zoological Gardens, PhŒnix Park.” Freeman’s Journal. 2 Sep 1853, p.1および Kerry Evening Post. 11 May 1853, p.1を参照。
注2 このアイロニカルな特性については、例えばムージルの「記念碑」を参照(ローベルト・ムージル『ムージル著作集第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』円子修平・斎藤末三郎訳、松籟社、50-53頁 )
注3 “Zoological Society.” Freeman’s Journal. 4 May 1859, p.3.
注4 同標本の複数のシノニムについてはCatalogue of Fossil Reptiles in the National Museum of Ireland、学名の混乱についてはAdam Smith, “Whatever happened to ‘Thaumatosaurus’ – the wonder reptile?” The Plesiosaurus Directory. を参照。
注5 Adam Smith, “The Complicated History of Rhomaleosaurus cramptoni.” The Plesiosaur Directory.

引用・参考文献
Bennet, Douglas. Encyclopaedia of Dublin. Dubin: Gill and Macmillan, 1994.
Courcy, Catherine. Dublin Zoo: An illustrated History. Cork: Collins Press, 2009.
Hitchcock, Edward. “An Attempt to Discriminate and Describe the Animals That Made the Fossil Footmarks of the United States, and Especially of New England” Memoirs of the American Academy of Arts and Sciences, New Series 3 (1848): 129-256
Mamigonian, Marc A. and John Noel Turner. “Annotations for Stephen Hero.” JJQ 40 (2003): 347-518
O’Riordan, C.E. The Natural History Museum Dublin. Dublin: Stationery Office, 1983.
Joyce, James. Stephen Hero. New York: New direction ,1963.
Ulysses. Ed. Hans Walter Gabler. New York: Garland, 1984.

この記事を書いた人

南谷奉良
南谷奉良
日本工業大学・共通教育系学群・英語研究室 講師(専任)。一橋大学言語社会研究科博士後期課程在籍。日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局員。ジョイス研究および19世紀から20世紀初頭にかけての動物の表象や動物をめぐる近代的諸制度に関心がある。
ホームページ:http://www.stephens-workshop.com