アカデミストは4月18日、理化学研究所 数理創造プログラム(iTHEMS)と共同でオンラインイベント「数理で読み解く科学の世界」を開催いたします。 本連載では、同イベントの講演の内容について簡単にご紹介していきます。

#1 ブラックホールに入ったリンゴはどこへ行く?
#2 ゲーム理論で学ぶ男女比の進化:学級の男女比はなぜほぼ一対一なのか?
#3 量子コンピュータって何?どう使うの?
#4 暗黒物質の色は何色? 〜見えないモノを調べる方法〜
#5 世にもふしぎな素数の世界 ~まだこんなことがわからない~
#6 人工知能に絵を書かせる方法

※編集注:以下、オンラインイベントの内容を踏まえて、2020年4月29日に加筆・修正いたしました。

最近、「量子コンピュータ」という言葉が多く聞かれるようになりました。ただしその実態について一般に知れ渡っているとまでは言いづらい状況であると言えます。そこで今回のお話の趣旨は、量子コンピュータが一体どのようなものであるか、に関して少し実感を持っていただこうということです。

1.量子コンピュータってコンピュータなの?

大抵の皆さんは、「コンピュータ」と言う言葉をご存知だと思います。コンピュータと呼ばれるものは、パソコン、テレビ、スマートフォンを始めとして、社会のあらゆるところで使われています。さまざまな使われ方をしているコンピュータですが、その一番基本的な部分は、「計算機」です。

コンピュータとは、電気信号のON/OFFの2パターンを「1」と「0」と認識し、複雑な計算をすべて「0」と「1」で捉え直して計算しているマシンだと言えます。この「0」か「1」を取る情報の基本単位のことを「ビット」といいます。コンピュータはこのビットをたくさん使って「数」を認識し、更に入力の電気信号から計算結果を出力できる「電子回路」を作ることで、高速計算をしています(たとえば[1]参照)。

では量子コンピュータとは何でしょうか。量子コンピュータも「計算機」です。ただし、 その計算方法が少し違います。最も大きく異なる点は、「量子力学」を計算過程に用いていることです。なので「量子コンピュータ」と呼ばれます。量子力学を積極的に用いる現れとして、量子コンピュータの計算単位である「量子ビット」は、「0」と「1」との「量子的な重ね合わせ」を許して計算を行います。

2.量子コンピュータってどう計算するの?

量子力学においては、ビットの「0」と「1」と「その重ね合わせ」が許されます。重ね合わせは次のように表します:

\left|\psi\right\rangle = \alpha\left|0\right\rangle + \beta\left|1\right\rangle

ここで\left|\dots\right\rangleと書いた特殊なカッコは、ケット記号と呼ばれ、量子ビットのひとつの状態を表します。量子力学の不思議な性質は、この「状態の和」が許されることです。特に\alpha\)\beta\)という量子的な重みでもって「0」でもあって「1」でもある状態を作り出すことができます。この不可思議なことがいかに物理現象として必要とされるかについては日本のノーベル物理学者の1人である朝永振一郎博士が書かれた『光子の裁判』を読むことをお薦めします[2]。

量子力学のルールは、このような重ね合わせの状態を我々が観測したら(または捕えたら)、「0」か「1」のどちらかの状態に「確率的に」退化してしまうことです。その確率は重み\alpha\)\beta\)で決まります。以下で見るように、この複数の事象が同時に存在し得る「重ね合わせの状態」を有効利用する方法が量子コンピュータの成功事例であると言えます。

量子コンピュータの計算方法は、これらの様々な重ね合わせの状態を持つ複数の量子ビットを「量子的な回路」でもって操作していくことで行います。操作とは、重ね合わせの状態を違う重ね合わせの状態に移す行為ですが、「計算」と呼ばれるだけあって、ビット間の掛け算などの基本的な計算に携わる回路が備わっています。これは通常のコンピュータが電子回路を作ってビット間の計算結果を自動的に計算する仕組みと同じです。

3.量子コンピュータってどう使うの?

そのような特殊な計算機なわけですが、通常のコンピュータが行う計算も実行することができます。ただしその計算自体、量子コンピュータの優位性を与えるものでは有りません。むしろ簡易で安定な通常型コンピュータの方が圧倒的に有利であると言えます。通常のコンピュータが優位性を出す計算問題と、量子コンピュータが優位性を示す計算問題とは次の2種類で対比できます。一方は入力データに対して計算結果を出力する問題、もう一方は計算結果に対してある条件を満たす「入力の組み合わせ」を取り出す問題です。

後半の問題は、「nビットの入力の中で出力が1となる組み合わせ(2n分の1)を探しなさい」という問題です。これを通常のコンピュータで単純に取り掛かれば、2n回計算を実行し探し出すということとなり、圧倒的な時間がかかります。たとえば100ビットであれば2100 = 126穰個という圧倒的な組み合わせの中から探し出すこととなります。量子コンピュータの有効性のひとつは、その膨大な組み合わせを「量子的な重ね合わせ」を活用し、最終的に答えとなる組み合わせを算出するというものです。つまり100個の量子ビットを用いることで、126穰個の状態を同時に認識し、最終的な答え(つまり組み合わせ)をあぶりだす計算が可能なのです。これはたとえばグローバーのアルゴリズムがその類として見なすことができます(たとえば[3]参照)。そして、グローバーのアルゴリズムでは100ビットの中から答えを探すのに、1000兆回程度の量子回路操作を行うことで答えを得ることが可能となります。1000兆という数字は決して小さくはありませんが、126穰という異常に巨大な数字よりもはるかに少ないとも言えます。

4.じゃあ今の量子コンピュータはどこまでできるの?

量子コンピュータが注目された理由のひとつは、現在RSA方式として知られる公開鍵暗号が、ショーアの量子アルゴリズムで解けることがわかったからです(たとえば[3]参照)。たとえば100ビット中からRSA暗号の答えを探す問題であれば、15万回程度の量子回路操作で算出できます。15万という数字は大きいでしょうか? 我々が普段使っているコンピュータのプログラミング言語python等で「単純計算の15万ループ」を計算してみると、市販のノートパソコンでさえ一瞬で計算できます。もちろん通常型コンピュータと量子コンピュータでは、操作速度も反応速度も違うでしょうが、非常に脅威であるとも言えます。ただし、このような量子アルゴリズムが、現状の量子コンピュータで有効に実行できるかというと、充分にはできません。

現行の「量子コンピュータ」でショーアのアルゴリズムの実力が発揮できない理由は、今の量子コンピュータがノイズを含んだマシンであるからです。このある程度の大きさはあるけれどもノイズを克服できていない(未完成の)量子コンピュータのことを「Noisy Intermediate-Scale Quantum(NISQ)コンピュータ」と言います。現在の量子ビットの開発速度を見ると、NISQコンピュータから、ノイズを克服した「量子コンピュータ」に至るまでは20年かかるとされています(たとえば[3]参照)。

その一方で、この未完成の量子マシンを既存のコンピュータでシミュレーションをしようとすると圧倒的な差が出ることも見えてきました。現在の量子コンピューティング分野における1つの課題は、このノイズを持ったNISQコンピュータの有効活用を見出すことであると言えます。圧倒的な能力を秘める「ノイズ耐性量子コンピュータ」を実現するためにも、NISQコンピュータの実問題での優位性を実証し、量子産業の好循環を生み出すことこそこれから我々が行っていく研究であると考えています。

5.じゃあ筆者はNISQ時代にどう使いこなそうと思っているの?

筆者自体は、NISQコンピュータの有効利用の一つが「最適化問題」で現れると考えています。「最適化問題」とは、たとえば複数の目的地があった時に「最適(最短)ルート」を見つけるとか、相互の類似特性を読み取って最適な分類(グループ化)を行うとかがその類です。最適化問題は、私たちの社会を豊かにする応用先に溢れています。このような問題に対してNISQコンピュータは数年の間に通常型のコンピュータよりも優位性を示し始めると考えています。

ただし数年以内にNISQコンピュータが優位性を示しだしたとしても、その問題サイズは実用には程遠いほど小さいでしょう。したがってその小さな巨人を産業サイズの最適化問題に適応するために、NISQコンピュータと従来型のコンピュータとがうまく協力して効率的に解く仕組みを作る必要があります。私たちは現在、実際に従来型のコンピュータが得意な分野は従来型で、それでも難しい問題をNISQコンピュータに自動的に振り分ける非常にうまい仕組みを作り上げています[4]。そしてその来るべき小さな巨人が出現するその日にもNISQコンピュータの社会活用ができる準備を行っています。

より深く理解するために:
▶ 通常型コンピュータの動作については、たとえば:
[1] 渡波郁『CPUの造りかた』毎日コミュニケーションズ(2003/10/1)
▶ 量子力学の重ね合わせについては:
[2] 朝永振一郎『光子の裁判』(岩波文庫「量子力学と私」、講談社学術文庫「鏡の中の物理学」に収録されています)
▶ 量子アルゴリズムや現在のNISQコンピュータ動向については:
[3]『量子コンピュータの進歩と発展』Emily Grumbling, Mark Horowitz編 西森 秀稔 訳
▶ 筆者の最近の仕事、理化学研究所iTHEMSと株式会社デンソーとの共同研究(NISQコンピュータと従来型コンピュータとの間での自動振分け法のひとつを提案):
[4] H.Irie, H.Liang, T.Doi, S.Gongyo, T.Hatsuda, “Hybrid Quantum Annealing via Molecular Dynamics,” arXiv:2004.03972[quant-ph]

iTHEMS × academist オンラインイベント「数理で読み解く科学の世界」

iTHEMSでは「数学」を共通言語として、物理、生物、宇宙などさまざまな科学分野の横断的な研究をしています。オンラインイベント「数理で読み解く科学の世界」では、Web会議サービス「Zoom」を利用し、iTHEMS所属の若手研究者6名が最先端の研究に関する30分の講演をオンラインで行います。講演後も研究者たちと話せる時間がたっぷりありますので当日はぜひ、たくさんの疑問・質問を投げかけてみてください。

【イベント詳細】
日時:2020年4月18日(土)10:00〜17:00
場所:Web会議サービス「Zoom」(申込者に事前に招待URLをお伝えいたします)
参加費:無料
対象者:どなたでもご参加いただけます
お申し込み・特設サイトURL: https://www.ithems.academist-cf.com/

【講演者および発表タイトル】
横倉祐貴 「ブラックホールに入ったリンゴはどこへ行く?」
入谷亮介 「ゲーム理論で学ぶ男女比の進化:学級の男女比はなぜほぼ一対一なのか?」
入江広隆 「量子コンピュータって何?どう使うの?」
廣島渚「暗黒物質の色は何色?ー見えないモノを調べる方法ー」
宮﨑弘安 「世にもふしぎな素数の世界 ~まだこんなことがわからない~」
田中章詞 「人工知能に絵を書かせる方法」

この記事を書いた人

入江広隆
入江広隆
理化学研究所・数理創造プログラムiTHEMS 客員研究員
株式会社デンソー・先端技術研究所 担当係長
2008年京都大学大学院理学研究科博士課程後期修了。理学博士(素粒子理論)。高エネルギー加速器研究機構(KEK)、国立台湾大学、台湾 国家理論科学研究中心、京都大学 基礎物理学研究所で博士研究員・特別研究員として超弦理論・数理物理の研究に従事。2018年5月より株式会社デンソーに入社し、量子コンピューティングのより早い社会活用を目指した基盤研究を行っている。2019年8月より理化学研究所・客員研究員(兼任)。専門は数理物理学、量子計算。