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今回の科学エッセイを福島第一原発周辺でのアリ相調査の解説で締めたいと思う。

2011311日午後246分。巨大な地震が東日本を襲い、それに誘発された巨大津波の影響で、多くの人命が失われた。翌12日には、被災した福島第一原子力発電所1号機が水素爆発を起こし、続いて3、4号機も爆発。結局、1-3号機の炉心はすべて溶融し、大量の放射性物質が周囲に飛散した。事故のレベルは、1986年の旧ソビエト連邦で起こったチェルノブイリ原発事故と同レベルの7。放出されたヨウ素131とセシウム137の合計は900PBqという甚大な量であった。

この事故を受け、201152829日に札幌で開催された日本土壌動物学会において、ロシア科学アカデミーのAndrei S. Zaitsev博士をお呼びして、チェルノブイリ原発事故後の土壌動物調査の実態をレクチャーしていただいた。衝撃的だったのが、旧ソビエト科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー)を中心に、事故発生からわずか数週間後には現地に入り、土壌動物の調査を行っていたという事実であった。

事故直後は線量が非常に高く、活動可能エリアが地表からわずか30センチほどしかなく、研究者は這いつくばりながら調査をしたという話や、調査には高齢の研究者を送り込んだなどの生々しい話には、息を呑んだ。この調査は20年経った現在でも継続して行われており、その成果は公表されている(Zaitsev et al.  2014など)。

今回、私がクラウドファンディングに応募する研究の端緒はまさにここにあった。

事故から半年後の9月、はじめて福島県二本松市東和町と浪江町に調査に入った。横浜国立大学、国立環境科学研究所、宮城教育大学などの研究チームとの合同作業だ。線量は高く、作業時間は1カ所につき15分から30分程度。アリを巣ごと見つけて、採集するには厳しい時間だ。

線量は最も高いところで150 µSv/h。これは平常の約3000倍に相当する。総被曝量はレントゲン一回受けるよりも低いとはいえ、実際に現場で感じる精神的なストレスは相当なものだ。気がついたら横国チームがいなくなっている! ここで置いていかれたら結構大変だ! と思いながら半泣きで山を下りたり(40過ぎなのに)、それ以降は横目で人の動きをちらちらチェックしながらの作業は、本当に気疲れした。結局、サンプリングできたのはわずか6種、9コロニーのみ。実験室で飼育しながら、観察と体サイズの測定、解剖、染色体標本の作製を行った。

20139月に2回目の調査に福島県浪江町と大熊町を訪れた。大熊町は原発からわずか数キロ圏内。最大線量は2年経ったにもかかわらず190 µSv/hであった。折悪しく土砂降りの雨の中のサンプリングは全くはかどらず、防護服の上にレインコートを着て、水が染みこまないよう万全を期しているが、やはりストレスフルなサンプリングだ。結局2011年度と同様に69コロニーしかサンプリングできなかった。

2013年の福島調査時の様子。事故後2年たっても倒壊した建物はそのまま残されていた。
図2
2013年の福島調査時の様子。雨が降り、非常に厳しい調査となった。

20146月。3回目の調査を行う直前にひとつ厄介なことが起きた。とあるマンガの影響で、これまで許可されていた調査ができなくなってしまったのだ。直前でのトラブルで頭を抱えたが、たまたま大学の後輩のご実家の協力を仰ぎ、いわき市、富岡町、大熊町で比較的時間をかけて調査することができた。本当に感謝している。

このときの最大線量は16 µSv/hと大幅に減少しており、除染が順調に進んでいること、しかしながら、大量の除染後の汚染土が黒いビニールにくるまれて空き地に保管されているのが印象的であった。いわき市で2日、富岡町で1日、大熊町で1日とかなり時間をかけて調査ができ、これまでで最多の25コロニーを採集することができた。

図3
2014年の福島調査時の様子。富岡町の駅舎。津波で骨組みだけになった駅舎は、被害の甚大さを物語っている。
図4
2014年の福島調査時の様子。富岡町の駅周辺に津波で押し流されてきたであろう車があった。
図5
2014年の福島調査時の様子。大熊町での調査近景。3年たち空間線量はかなり低下していた。

現在、これらのデータを収集・解析の途中である。今回、クラウドファンディングに挑戦した理由は、もちろん科研費が不採択であったことが実際の行動を後押しした理由だが、本質的には国が担保しきれないより公平性の高い調査・研究が、クラウドファンディングというシステムでは実現しやすいということに今更ながら気がついたからである。

これまでの3回の調査はもちろん、これからのさらなる調査について、私は基本的な姿勢としては原発反対でも賛成でもない第三者の視点を提供できるよう細心の注意を払い調査を続けるつもりだ。電力会社・地元の人々・研究者・国とさまざまなステークホルダーが関連する場所になってしまった福島第一原子力発電所周辺を、いかにオープンな場所にしていくのか?タブー視せず、勇気を持って現実を直視し、最適な解決策を提案できるのか?

これからも、20年程度の時間をじっくりかけながら、調査・研究をしていく覚悟だ。今後とも、皆様には長い時間のご支援をいただければ幸いである。

参考文献

Zaitsev, A. S., Gongalsky, K. B., Nakamori, T., & Kaneko, N. (2014). Ionizing radiation effects on soil biota: Application of lessons learned from Chernobyl accident for radioecological monitoring. Pedobiologia, 57: 5-14.

この記事を書いた人

村上貴弘
村上貴弘

九州大学・持続可能な社会のための決断科学センターで准教授をしております。ハキリアリの研究を中心としたアリ類の行動生態学・社会生物学を行っています。これまでの研究の中心は中米・パナマ共和国のパナマ運河に浮かぶ無人島・バロコロラド島でした。ハキリアリが行っている菌類を栽培する「農業」がどのように進化したのかを研究してきました。1999年から2003年までアメリカで、研究を行ったあと、2003年から2年間は理研のCDBで再生関連遺伝子の染色体上へのFISHマッピングの研究をしておりました。2014年から九州大学に移動して、大学院教育と研究の両方に力を入れております。センターの名前からも分かるように、かなり革新的なテーマで日々研究と教育を行っています!