前回お話しした”ハキリアリ”に続き、恐怖の殺人アリ”ヒアリ”について紹介しよう。

世界に拡がる殺人アリ

ヒアリ(Fire ant, Solenopsis invicta)は、南米ブラジルとアルゼンチン国境付近の亜熱帯域を原産とするフタフシアリ亜科のアリである。見た目は、ぱっとせず、これといって特徴のないアリだ。働きアリの体長は2.0−6.0 mmと幅がある。

ヒアリ図1
ヒアリの働きアリ(写真提供:島田拓氏)

原産地では、このアリはとくに目立つことはない。林縁や川縁の赤土が露出した場所くらいしか巣を作ることができないからだ。しかし、1930年代にアラバマ州モービル港に侵入し、北米大陸に拡大していった。現在、この北米大陸の侵入個体群を起源として、カリブ海諸国、オーストラリア、ニュージーランド、中国上海、台湾と環太平洋地域は、このアリの侵入を受けている。

ヒアリ図2
ヒアリの巣。アメリカ合衆国のフロリダ州ゲインズビルで村上が採集中の様子。

幸いなことに、日本本土にはまだ侵入・定着の報告はない。唯一、硫黄島の米軍基地で侵入・定着により米兵が刺傷を受けたという情報があるのみだ。これは、運が良いということだけではく、日本の検疫システムが優れていることを示しているだろう。

多様化するヒアリの毒性

ヒアリは、原産地を離れて侵入地で定着すると、その性格が変化してしまう。たとえば、その毒性だ。ヒアリの毒は、ソレノプシンと呼ばれ、アルカロイド系の毒だ。アルカロイドは通常、植物毒の主成分で動物が自ら生合成することは珍しい。その珍しい例がヒアリなのである。したがって、ヤドクガエルやフグ、アカハライモリのように、食性や地域によって毒があったりなかったりすることはなく、どの地域であっても、自らの身を守るため、または捕食のために毒を利用することができるのだ。ソレノプシンのアルカロイド成分は、アルキル基の炭素数が11個(C11)、13個(C13)、15個(C15)、という3つのタイプ、アルキル基にそれぞれ飽和アルキルと不飽和アルキルの2タイプ、そしてシス型とトランス型が存在するため、合計12種類となる。

村上が台湾で実際にヒアリに刺された痕。このあと、軽いアナフィラキシーショックが出て、眩暈、動悸、手の震え、瞳孔収縮が見られた。なお、テキサス、フロリダ、アルゼンチンでも刺されたが、ここまで激しい反応は見られなかった。
私が台湾で実際にヒアリに刺された痕。このあと、軽いアナフィラキシーショックが出て、眩暈、動悸、手の震え、瞳孔収縮が見られた。なお、テキサス、フロリダ、アルゼンチンでも刺されたが、ここまで激しい反応は見られなかった。

不思議なことに、原産地より侵入地の方が毒のタイプが多様になっている。原産地ではだいたい4−5タイプが使われているに過ぎないのだが、侵入地ではその倍以上のタイプが使われていた。これは、侵入地で遺伝的に大きく異なるもの同士もしくは近縁種との交雑により、遺伝的多様性が増すことでもたらされたと考えられる。

多様な毒は、侵入地の生態系だけではなく、人間社会にも深刻な影響を与えている。現在、アメリカ合衆国では年間100名を超える死者と5000−6000億円もの経済被害が出ている。このアリの進撃を止めることはできなかったのか?

『沈黙の春』の不都合な真実

ひとつの大きな要因は、環境科学のバイブルでもあるレイチェル・カーソンの『沈黙の春』にある。この本にはヒアリの被害について、こう書かれている。

「Fire antは合衆国南部の農業に深刻な脅威を与える,作物を傷め,地表に巣をつくる鳥の雛を襲うから自然をも破壊する.人間でも刺されれば,害になる – こんな言葉をならべたてて,議会の承認を得たのだ.だが,みんな嘘だということがあとでわかった.(新潮文庫186頁)」

「アラバマ州の専門家によれば,“植物に及ぼす害は概して稀である”という.また,アラバマ総合技術研究所の昆虫学者であり,アメリカ昆虫学会の1961年度会長E. S. アラント博士は言う—“自分のところでは,過去五年間,植物がfire antの害を受けたという報告は一度もない・・・・・・・家畜の被害もべつに見うけられない”.(同187頁)」

「このアリがアラバマ州にすみついてから40年にもなり,またそこにいちばん密集しているのに,アラバマ州立保健所の言うところでは,“fire antに刺されて命を亡くした記録はアラバマ州では一度もない”.(同188頁)」

1962年にこの本が出版され、世界的に大きなインパクトを与え、DDTやBHCなどの強力で安価な農薬は全面的に使用を禁止された。

それから50年。『沈黙の春』は世界に何をもたらしたか。これはあまり顧みられない不都合な真実だが、ヒアリや外来昆虫に関しては、当時アメリカ農務省が心配していたことが現実になっているのだ。日本からの外来甲虫であるマメコガネは駆除できずに、他の大陸にまで飛び火させるほど大繁殖させてしまい、ヒアリにいたっては多大な国家的損失を与え、地球規模の大害虫にしてしまった。

現在、アメリカ農務省は化学物質を使わない生物防除法の開発を研究しているのだが、80年経った今でも、駆除は達成できていない。

ヒアリを防除するために

幸いなことに、日本にはまだヒアリは侵入していない。今、防除に関する基礎研究を行うことが重要だと考えている。私は2008年から台湾、フロリダ、テキサス、そして原産地のアルゼンチンでヒアリの調査・研究を行い、防除法に繋がる基礎データを蓄積している。究極的な目標は、ヒアリの性決定メカニズムを解明し、それをコントロールすることで繁殖能力を著しく下げることにあるが、そこまでにはまだいたっていない。

これまでの成果は以下のようにまとめられる。

  1. ヒアリの倍数性がフロリダ個体群、台湾個体群で変異(3倍体、4倍体の頻度が高い)していた。
  2. Ag-NORシグナル数が原産地から離れるほど増加していた。
  3. 18S-rDNA遺伝子のシグナル数の変異が侵入地ほど大きかった。

現在、これらの成果を投稿中である。さらに基礎データを積み上げていって、生物防除法の確立に役立つ成果にたどり着くことを目指していきたい。

ヒアリの染色体上の18S-rDNA遺伝子を蛍光色素で染色した図。台湾の個体群の例。通常は遺伝子数は種により変化がないはずだが、1−5個と変異が大きかった(もっと多いシグナルを示す個体もあった)。
ヒアリの染色体上の18S-rDNA遺伝子を蛍光色素で染色した図。台湾の個体群の例。通常は遺伝子数は種により変化がないはずだが、1−5個と変異が大きかった(もっと多いシグナルを示す個体もあった)

(この文章は「アリの社会」の一章を一部抜粋、改変しています)

参考文献

レイチェル・カーソン(1962)『沈黙の春』新潮社
坂本洋典、村上貴弘、東正剛(2015)『アリの社会』東海大学出版会

この記事を書いた人

村上貴弘
村上貴弘
九州大学・持続可能な社会のための決断科学センターで准教授をしております。ハキリアリの研究を中心としたアリ類の行動生態学・社会生物学を行っています。これまでの研究の中心は中米・パナマ共和国のパナマ運河に浮かぶ無人島・バロコロラド島でした。ハキリアリが行っている菌類を栽培する「農業」がどのように進化したのかを研究してきました。1999年から2003年までアメリカで、研究を行ったあと、2003年から2年間は理研のCDBで再生関連遺伝子の染色体上へのFISHマッピングの研究をしておりました。2014年から九州大学に移動して、大学院教育と研究の両方に力を入れております。センターの名前からも分かるように、かなり革新的なテーマで日々研究と教育を行っています!