子供観の変化

少子化の現代に暮らす私たちにとって、おそらく、子供はかわいく大切な存在です。ですが、もっと昔、たとえば江戸時代に、子供は社会のなかでどのような存在だったのでしょうか? 現代と同じく大切にされ十分な教育を与えられていたのか、それとも「小さな大人」とみなされて労働などでこき使われていたのか。こうした「子供観」は時代や地域によって変化します。昔の子供観を復元するうえで、歴史学や考古学は大きな役割を果たしてきました。

歴史学や考古学の成果によって、江戸時代の前半、17世紀から18世紀にかけて、庶民の子供観に変化があったことが明らかにされています。経済が安定し文化が成熟したことで、相続をともなう家意識が庶民にも広まり、子供の教育や健全な発達により細やかな注意が向けられるようになりました。その結果、18世紀以降には、たくさんの育児書が広く庶民に向けて出版されるようになりました。また、家意識の高まりから、江戸時代には子供の埋葬方法も変化しました。17世紀までは子供と大人のお墓には特に大きな違いがありませんでしたが、18世紀以降には、子供を特定の墓域に埋葬する「子墓」や、子供だけに用いられる棺などが見られるようになっていきました。

江戸時代の子供観の変化と、本研究で対象とした遺跡の年代

江戸時代の育児書

子供観が変化し、江戸時代の18世紀以降に盛んに出版されるようになった育児書では、子供が生まれてから3年程度は授乳を続けることが推奨されていました1。たとえば、香月牛山によって著され1703年に出版された、日本で最初の育児書と言われる『小児必用育草』には、以下のような記述があります(山住・中江. 1976. 子育ての書. 東洋文庫)。

二歳半のころまでは、乳を多くのませ、食を少なく与えよ。三歳より四歳までは、食を多く、乳を少なく与えるがよきなり。五歳よりは、乳を飲ますることあるべからず。

江戸時代の年齢の数えかたは、生まれた年が1歳とカウントされる数え年でしたので、実年齢はこの数字から1.5年を引いたくらいの年齢になります。そうして考えると、2年半から3年半程度の授乳期間が推奨されていたことになります。

しかし、こうした育児書は、医者や儒学者が庶民に向けて望ましい育児のあり方を推奨したものです。当時の子供たちは、実際にこうした推奨と同じような授乳・離乳を経験していたのでしょうか? 昔の大人たちがどのような子供観を抱いていたかについては歴史学や考古学の研究によって明らかにできますが、昔の子供たちが実際にどのような人生を送っていたかについては復元が困難です。子供自身の語りや行動が歴史文献や考古遺跡に残ることは稀で、多くの証拠は大人の視点というフィルターを通っているからです。

江戸時代の育児書の一例。農学者である大蔵永常によって著され1827年に刊行された『民家育草』2

実際の授乳期間の復元

今回、私たちは、子供観が変化した前後の江戸時代の遺跡から出土した子供の骨に安定同位体分析という手法2を適用することで、当時の実際の離乳年齢を復元しました。遺跡から出土する人骨は、当時を生きた人びとのひとりであり、その生きざまは骨の形態や化学組成に刻み込まれています。自然科学の手法によってそうした履歴を復元することで、昔の人びとが実際にどのような人生を送ったかを明らかにできるのです3

東京都の一橋高校遺跡(17世紀後半)は、子供観が変化する前の遺跡です。この遺跡では、子供でも大人でも埋葬様式は同じで、ほとんどが木製の棺桶に埋葬されていました。一方、大阪府の堺環濠都市遺跡871地点(17世紀終わり頃−19世紀)は、子供観が変化した後の遺跡です。この遺跡には、陶器の壺に入れられた子供の骨だけがまとまって100体以上出土する墓域があり、子供だけを特定の場所に埋葬する「子墓」があったことがわかっています。こうした埋葬様式は、子供観が変化した江戸時代の18世紀以降に特徴的なものです。

安定同位体分析2によって江戸時代の離乳年齢を復元した結果、もっとも確率の高い授乳期間は、一橋高校遺跡で3年1か月、堺環濠都市遺跡で1年11か月でした。興味深いことに、子供観が変化して3年以上の授乳期間を推奨する育児書が盛んに出版されるようになった時期に、庶民の授乳期間はかえって2年程度と短くなっていたことがわかりました。

本研究で復元された授乳期間の95%信用区間(長方形)ともっとも確率の高い推定値(黒帯)。さまざまな育児書が推奨していた授乳期間は灰色の帯で示してある。

育児書との齟齬

育児書は3年程度の授乳期間を推奨していたのに、実際の庶民の授乳期間は2年程度だったという齟齬については、18世紀以降に家意識が庶民にも浸透していったことが影響していた可能性があります。栄養状態があまり良くないと、授乳期間中には母親の排卵サイクルが停止するため、授乳期間を短くするほど出産間隔も短くなります。江戸時代では小児死亡率が高く、生まれた子供全員が成人する保証はありませんでした。そうした状況で、嫡子に財産や家督を相続させようとすると、出産間隔を短くしてたくさん子供を産み、無事に生き残って成人する可能性のある子供をたくさん抱えておくことが、ひとつの有効な戦略になります。相続をともなう家意識が庶民にも普及したことで、そうした選択が意図的に行なわれるようになったのかもしれません。

また、育児書に書かれた授乳期間はあくまでも権威者からの推奨であって、実際の授乳・離乳習慣を必ずしも反映しないことにも注意が必要です。私たちの以前の研究では、江戸時代よりさらに昔の中世鎌倉の庶民において、もっとも確率の高い授乳期間は3年10か月(95%信用区間は2年11か月から4年5か月)という推定結果が得られています。もしかしたら、江戸時代の権威者たちは中世からの伝統だった長い授乳期間を理想化し、家族観の変化によって短縮した授乳期間をもとに戻そうと、3年程度の授乳期間を推奨していたのかもしれません。

まとめ

歴史学や考古学の研究によって、江戸時代の大人たちがどのような子供観を抱いていたかが明らかにされてきましたが、そうした状況で子供たちが実際にどのような人生を経験していたかは、これまで調べるのが困難でした。今回私たちは、子供観の変化という社会現象が、当時を生きた子供たちの授乳・離乳に実際どのような影響を与えていたのかを明らかにしました。江戸時代18世紀以降の庶民の実際の授乳期間は育児書に推奨された期間とは必ずしも一致せず、庶民にも普及した家意識がこの齟齬の原因となっていた可能性があります4。自然科学の手法を歴史学や考古学の研究テーマに応用することで、昔の人びとの生きざまをより詳細に復元できるのです。

参考文献

  • Tsutaya T, Nagaoka T, Sawada J, Hirata K, Yoneda M. 2014. Stable isotopic reconstructions of adult diets and infant feeding practices during urbanization of the city of Edo in 17th century Japan. American Journal of Physical Anthropology 153: 559–569. DOI: 10.1002/ajpa.22454.
  • Tsutaya T, Shimomi A, Nagaoka T, Sawada J, Hirata K, Yoneda M. 2015. Infant feeding practice in medieval Japan: stable carbon and nitrogen isotope analysis of human skeletons from Yuigahama-minami. American Journal of Physical Anthropology 156: 241–251. DOI: 10.1002/ajpa.22643.
  • Tsutaya T, Shimatani K, Yoneda M, Abe M, Nagaoka T. in press. Societal perceptions and lived experience: infant feeding practices in premodern Japan. American Journal of Physical Anthropology. DOI: 10.1002/ajpa.23939.

脚注


  1. 現代の感覚からするとずいぶん長いように思いますが、人工ミルクが工業生産されるようになる前のヒトの典型的な授乳期間は2−3年(ただし0−6年までの幅がある)でした。また、世界保健機関(WHO)は、特に発展途上国で、2年以上の授乳継続を推奨しています。 
  2. 同位体には、時間に応じて存在量が減少していく放射性同位体と、比較的長い時間安定に存在する安定同位体があります。本研究では、安定同位体を利用しています。重い窒素の同位体(15N)は母乳に比較的多く含まれているため、授乳中の子供の骨では重い窒素の存在比が増加し、離乳によって成人と同程度まで低下します。異なる年齢の子供の骨に含まれる重い窒素の存在比を質量分析計によって測定することで、子供たちが何歳まで授乳されていたかがわかります。ちなみに、子供の骨の年齢は、歯がどのくらい生えているかという指標によって推定します。 
  3. こうした、遺跡から出土した人骨や動物骨を自然科学の手法で分析して、当時の人びとの生きざまを明らかにしようとする研究分野は、生物考古学(bioarchaeology)と呼ばれます。 
  4. ただし、本研究では、なんらかの理由で幼少期に亡くなって骨になった子供たちを対象にしているため、復元された授乳期間が健康に成人した人びとのものとは異なっている恐れもあります。 

この記事を書いた人

蔦谷匠
蔦谷匠
海洋研究開発機構・JAMSTEC Young Research Fellow。同位体分析やプロテオミクス分析を利用して自然人類学の研究をしています。特に、江戸時代や縄文時代のヒトや、現生のオランウータンやチンパンジーの授乳・離乳習慣を調べています。過去のヒトと海洋生態系の関わりにも興味があります。