現在は過去の上に

我々が生きる現在・未来は、過去の出来事を礎に成り立っています。壊滅したアイヌ文化のその先を見ることができぬように、絶滅したニホンオオカミの生態を二度と観ることができぬように、過去は現在を縛る枷といえるでしょう。

海外に留学中の身の上である私が、未だに靴を履いたまま他所の家に上がるのに抵抗を覚るのも、わざわざ日本から持ち込んだ愛用の電気機器を許容電圧の確認もせずに使用して爆発させたりするのも、これまでに経た過去の経験や環境を私が今も引きずって生きているからといえます。

我々の生きるこの世界を意識して見渡せば、人類の社会構造のほか、生きものや自然環境、いうなればこの世界そのものが、すべて過去の上に現在の姿を見せていることに気づくはずです。

過去は森林の底に

もちろん森林の生態系もその例に漏れません。たとえば、一見手付かずに見える日本の森林も、そのほとんどが長い歴史のなかで、我々ヒトが加えた過去の影響を受けています。日本だけではありません。世界中の森林地帯の多くが、長い時間のなかで我々ヒトによって切り開かれ、利用されてきたという歴史を持っています。

ヒトと共に長い時間を歩んだアフリカやヨーロッパはもちろん、比較的最近になってヒトが到達したはずの南米・アマゾンの熱帯雨林でさえ、広大な森林の底には先史時代の人類の遺跡があり、今なお大昔の人類の活動の影響を森林に残していることが、近年明らかになってきました。裏を返せば、手付かずの原生林というものは、世界広しとはいえ、ほとんど失われてしまったということでもあります。

北海道の南西部、渡島半島の北部に位置する黒松内低地帯には、世界でも数少ない温帯域の原生林がわずかながら残されています。最も広いものでもたった92 haほどの小さな森林ですが、ヒトの活動しやすい温帯の平野部にほとんど手付かずの原生林が残されていること自体が、もはや奇跡といっても過言ではないでしょう。

最大面積を誇る原生林は「歌才ブナ林」と呼ばれ、日本のブナの分布北限域にある原生林として国の天然記念物に指定されています。そこから北東へ10 kmほどの位置にも、「白井川ブナ林」と呼ばれる面積20 haほどの北海道の保護林に指定された貴重な原生林が広がっていました。

見渡す限り林立する巨木の群れを目の当たりにした私は、上記2つの原生林とその近くにある二次林(我々ヒトによって伐採された過去のある森林)のそれぞれの生態系を比較すれば、ヒトの活動が森林生態系に与える影響を統計的に評価できるのではないか、と考えました。

歌才ブナ林と白井川ブナ林の2つの原生林は、いずれもブナの優占する極相林です。そこで、添別ブナ林と下チョポシナイ川ブナ林と呼ばれるブナの優占する近隣の2つの二次林を調査地に加え、合計4つの調査地に50 cm四方の小さな区画をそれぞれ6箇所ずつ設置しました。

北海道黒松内町の調査地
2地点の原生林(A. 歌才ブナ林、B. 白井川ブナ林)、および2地点の二次林(C. 添別二次林、D. 下チョポシナイ川ブナ林)の合計4地点

そして、その区画内のリター層(落葉や落枝などの層)をビニールの袋に入れて回収し、その中にいる小さな陸産貝類(カタツムリ)を採集し、原生林と二次林のあいだで比較するという計画を立てました。カタツムリを対象としたのは、死んだあとも殻が残るという特徴のために、十分な数のサンプルを容易に集められると考えたからです。

袋いっぱいに詰まった落葉や落枝から、小さなカタツムリを一つひとつ手作業で探し出し、実体顕微鏡下で種名を同定していきます。なかには、ケシガイやオジマヒダリマキゴマガイのような体長1~2 mmほどの微小な種もたくさん含まれていました。

黒松内町歌才ブナ原生林の林床に見られた微小な陸産貝類(カタツムリ)

たったひと区画分のリターサンプルを処理し終えるのに、長いときには5~6時間ものあいだ眼を凝らし続け、夜な夜なカタツムリを採り集めます。眠りに落ちた夢のなかでも延々と落ち葉をめくり、小さな宝探しを楽しむ日々が続きました。

夢とも現とも知れぬ採集の日々の結果、ついに合計17種1,791個体ものカタツムリを24区画分のリターサンプルから集めることができました。そして、得られたカタツムリの種数や個体数を原生林と二次林とのあいだで比較すると、果たして原生林には二次林よりも種数/個体数ともに遥かに高密度にカタツムリが生息していることが示唆されたのです。

白井川ブナ林では50 cm四方あたり平均で6.5種/34.8個体、歌才ブナ林に至っては7.2種/239.2個体もの過密ともいえる密度でカタツムリが生息するのに対し、ほか2地点の二次林では4.2~5.5種/12個体程度が見出されるのみでした。その傾向は殻の直径が2.0 mmを下回るような小型のカタツムリにおいて特に顕著で、小型種は明らかに原生林に多いことも統計的に示されました。

森林は厳冬の下に

先述のとおり、過去にヒトの手によって伐採の憂き目に会い、再び木々の育った森林を二次林と呼びます。ただ一言で二次林といってもその実態はさまざまで、細い幼木が密生する若い二次林から、原生林と見紛う大木の生える古い二次林までさまざまな段階のものが含まれます。

さて今回、カタツムリの調査を行った二次林はどの段階にあるのでしょうか。本研究では2地点の二次林を対象に、森林の年齢を推定することにも挑戦しました。

黒松内低地帯をはじめとした北海道の多くの地域では、ヒトを拒むように密生する身の丈以上のクマイザサやチシマザサが森林の林床を埋め尽くしています。強靭なササ藪を掻き分けて、森林の木々に辿り着くのは容易ではありません。そこにヤマブドウの蔦でも絡もうものならその凶悪さは相乗的に増し、理不尽にあえぐ赤子のように泣きべそをかきたくなるほどです。

よって、ササの生い茂る森林で木々の年齢を推定するには、すべてが分厚い雪に埋もれる冬季の調査が最適と私は考えました。見渡す限りの白銀に覆われる厳冬の2月、いよいよ私は調査地の山中へ向かいました。

人気のない車道の窪みに愛車を停め、登山用テントや厳冬期専用の寝袋、調査用具をザックに詰めて、雪に閉ざされた調査地を目指します。奇しくも、その冬一番の寒波が北の大地に襲来していました。積雪100 cmを優に超える雪原の上を、スノーシューと地形図を頼りに歩く単独行です。懐に忍ばせたGPSに歩く道のりを記録させつつも、こういう命を預ける調査には、電池頼みのGPSよりも地形図とコンパスに身を任せる昔ながらの方法が私の好みです。

これまでの経験に照らして、神経を尖らせ感覚を研ぎ澄ませながら、一歩一歩、膝まで沈む雪原を踏みしめて歩きました。ふと振り返ると、荒れ狂う吹雪が私の歩いた道のりを跡形もなく消し去り、見る見るうちに元どおりの白銀の景色に戻していきます。試される大地とはこのことと、否が応にも思い知らされるようでした。

厳冬に行われた本研究の調査風景

露出した顔面に突き刺さる粉雪と闘いながらゆっくりと歩を進めること数時間、ようやく調査地のブナ林が見えてきました。夏に見たササ原は、狙いどおり深い雪に埋もれ、斜面の遥か下方に流れる渓流にまで林立するブナの立ち木を遠く見とおせるようになっていました。

私はさっそく、夏にカタツムリを採集した斜面に30 m四方の区画を設置し、そこに林立するブナの年齢を測ることにしました。まずは区画の中に伸びるすべてのブナの樹幹の周囲長を、メジャーを使って測り取ります。次にそのなかの16本を樹幹のサイズがバラつくように選び、成長錘と呼ばれるT字型の金属製の機器を用いて、樹幹の年輪コアを次々にくり抜いていきました。

T字の上部に当たるハンドルに力を込めて時計回りに回し、先端に刻まれたドリルをブナに食い込ませコアを抜き取る作業は、かなりの重労働です。しかも、樹の年齢を正確に測るには、できる限り年輪の中心を通るようにコアを取らなければなりません。外したら、位置を改めてやり直しです。凍える真冬にありながら、息が上がり、気づけば額から汗が流れ落ちていました。

いつの間にか吹きすさぶ寒風はなりを潜め、美しい雪の結晶が物音ひとつしない白い森にちらちらと舞っています。ブナの幹に金具が食い込むカンカンッという甲高い摩擦音と、想像以上の力仕事にハァハァと荒い私の息遣いだけが、黄昏の森の中に大きく響いていました。しんしんと降り積もる雪は宵闇を深め、ただでさえ夜の早い真冬の森を音もなく閉ざしていきます。

翌朝、あまりの寒さに目を覚ますとテントの内側にはびっしりと霜が降り、前日の調査で雪に濡れたザックはガチガチに凍りついていました。すっかり覚めてしまった身体に、氷点下15℃の寒さとあって二度寝もままならず、朝4時からヘッドライトを頼りに調査を再開し、予定よりもずっと早い時間に山を下ったのでした。

無事に調査を終えた帰り道は心も軽く、白銀にきらめく雪原を意気揚々と駆け下ります。ふわふわの新雪を前に、年甲斐もなく独りで歓声(奇声?)を上げて頭からダイブしたり、急な斜面をごろごろと転がったりして、全身雪まみれになりながらはしゃぎ廻ったのはここだけの秘密です。しかし喜びもつかの間、たった一晩で分厚く愛車を覆った新雪を払うと、フロントガラスには大きな張り紙がありました。

「警察署です。戻り次第、最寄りの交番に出頭ください」

ああ、きっとこの場所に車を停めてはいけなかったのでしょう。これから私はお巡りさんにこっぴどく叱られるのです。それを思うと昨晩の寒さなど可愛いもの、予報で聞いた「この冬一番の寒波」とはきっとこの張り紙のことだったのだと、脈絡のない考えが頭をよぎります。先程までの調査の興奮が、ちょうど吹雪に抗う足跡のように情け容赦なく掻き消されてゆくようでした。さて、こうして訪れた交番では、丸顔のお巡りさんが私を待ち構えていました。

「ああっ! よくぞご無事で! 地元の方々から心配の声が上がっておりまして! ええっ、お仕事で山に!? あの吹雪の中を!? ご苦労さまでございました!!」

美しい敬礼に目を白黒させる私。まだ何か? と言わんばかりに笑顔を浮かべ首をかしげるお巡りさん。なんと心優しい方々でしょう。お礼の言葉と固い握手を交わして、きっとどこよりも暖かい黒松内町の冬をあとにしたのでした。

厳冬は年輪の中に

黒松内町の森林から研究室に戻った私は、実体顕微鏡を覗いて、採取した樹幹コアに刻まれた年輪を数えました。樹木の成長する盛夏と止まる厳冬の繰り返しが幹の中に年輪を刻み、まるで大地に眠る地層のように各々の樹木が経た過去を積み重ねていました。

各樹木の周囲長と樹齢との関係を図面に起こすと、直線的な関係が浮かび上がってきました。その回帰線を元に、30 m四方の区画内にあるすべてのブナの樹齢をそれぞれの周囲長から推定すると、2地点の二次林の樹木が伐採されたのは、いずれも100年以上も前であることが示されました。

(A)添別二次林のブナの樹幹コアから推定された周囲長と樹齢との関係
(B)添別二次林のブナの樹齢構成

100年と少し前といえば、日本は明治時代から大正時代への移行期。ロマン主義文学や自然主義文学の花開いた大正浪漫の時代です。ちょうど第一次世界大戦が勃発したころでもありました。それから20数年後の第二次世界大戦の敗戦や、戦後の高度経済成長期を経た現代の日本を改めて眺めると、我々ヒトが100年という時間をいかにせかせかと、忙しなく生きているのかを実感できるでしょう。

一方、過去に行われた森林伐採の際におそらく壊滅したであろう林床のカタツムリ相は、100年ものときを経て、見た目は立派な森林となった今も完全に元どおりには回復していないということを、本研究は示唆していました。

我々ヒトにとって十分に長く思える100年という時間も、何万年・何十万年という気の遠くなるような時間をかけて造り上げられた生態系のなかでは、あまりに短すぎるということでしょう。我々ヒトの身勝手な活動は思わぬかたちで、遠い未来にまで残る深い傷跡を自然環境に残しているのです。

未来は現在の先に

冒頭で私は、「過去は現在を縛る枷」と表現しました。言い換えれば、「現在は未来へ続く希望」ともいえると思います。本研究は、移り気なヒトの尺度をもって自然を相手にすることが、生態系や生物多様性に長きにわたる悪影響を与えうることを示しています。

地球の自然環境が劣化の一途を辿り、未曾有の社会危機が人類を脅かす現在にあって、我々は目先ばかりの利益ではなく、遠い未来に誇れるような判断や行動を迫られているのではないでしょうか。我々が立つ資本経済や競争主義の社会構造に、このまま盲目的に従い続けて良いのでしょうか。人類の危機が叫ばれる今こそ、誰もが当事者としての意識をもって、常識を疑い自らの思考を巡らすべきときなのかもしれません。

本研究は2015年度に、北海道の黒松内町より助成を受けて行われました。黒松内町の市民や行政の方々が生物多様性や持続可能な社会の在り方に対して極めて先進的な考えを持ち、数々の環境問題に対し目を背けずに使命感を持って行動している様子がひしひしと伝わり、感銘を受けたことを今でもよく覚えています。

本稿は、私の人生に新しい機会を与えてくださった黒松内町と北海道大学の関係者および多くの協力者を思い、執筆したものです。最後に私を支えてくださった皆さんへの心よりの感謝を込めて、筆を置くことにします。

参考文献

  • Morii Y*, 2019. The influence of deforestation on the land snail fauna of Kuromatsunai District, southwestern Hokkaido, Japan. VENUS, 77: 1-12.
  • 森井 悠太、黒松内低地帯周辺の陸産貝類相,およびヤマナメクジの分布北限の記録. 小樽市総合博物館紀要(受理)

この記事を書いた人

森井悠太
森井悠太
北海道大学大学院農学研究院で、表現型進化や種分化の研究に取り組む、学術研究員です。趣味は旅と登山、写真、それから自然観察。生物間の相互作用が表現型の多様化や種分化にどのような影響を与えるのかという課題に対し、特にカタツムリとそれを食べるオサムシの間の「食う食われるの関係」に着目することで、それぞれの進化の過程と要因を追っています。近年日本に侵入・定着した外来の大型ナメクジ、マダラコウラナメクジについても、市民や研究者の皆さんと協力して追っています。