人類が絶滅させた鳥、メガネウ

人類の活動は、地球上に生息する多くの生物にさまざまな影響を与えてきましたが、その最も顕著な例は、ドードーやオオウミガラス、ステラーカイギュウなどに代表されるような、人類の狩猟の影響により絶滅に追いやられたとされる動物種の存在でしょう。このような絶滅については、さまざまな悲劇的なエピソードが残されていますが、絶滅した種が人類の影響を受ける前の「自然な」分布域など、それらの種の進化の歴史や実際の生態については、不明な点が多く残っています。

歴史上人類の活動により絶滅に追いやられた種として、北太平洋のメガネウ(学名 Phalacrocorax perspicillatus;カワウやウミウなどのウの仲間)と呼ばれる海鳥が知られています。この種は西暦1741年にドイツ人自然史学者・冒険家のゲオルグ・ステラーによって北太平洋・コマンドルスキー諸島のベーリング島ではじめて発見・報告されました。

メガネウの生態復元(Joseph Wolfによる剥製からの想像図)。Elliot (1869) The New and Heretofore Unfigured Species of the Birds of North America, Volume 2より。

発見の時点ではベーリング島は無人島でしたが、その後1820年代から人が定住を始め、メガネウも狩猟の対象となって数を減らしていったそうです。1880年代に米国の鳥類学者レオナルド・スタイネガーが同島の調査を行った際、現地の住民がこの種を30年間以上目撃していないと証言したことから、この種は1850年ごろに狩猟の影響により絶滅したと考えられています。その後の研究によっても、メガネウがベーリング島以外のところに生息していたという証拠は見つかっておらず、結局、この種はベーリング島に固有の種であると考えられていました。

化石の発見

今回、私たちは青森県の尻屋地域から産出した後期更新世(約12万年前)の鳥類化石群のなかに、このメガネウが含まれていることを確認しました。尻屋地域には大規模な石灰岩体が分布しており、1950年代ごろから採掘が行われてきました。このような採掘のなかで、石灰岩体中の洞窟や裂罅(れっか:割れ目のこと)が露出し、その中の堆積物から脊椎動物の化石が多く産出することが知られていました。私の共同研究者である長谷川善和博士(当時国立科学博物館)はこの化石産地に早くから目を着けており、1960年および1987年に化石の発掘調査を主導し、1988年に予備的な報告を出版していました。

しかし、鳥類化石については大部分が検討が不十分なまま放置されていました。化石骨がどの種のものかを同定するためには、現在生きている種の多くの標本との比較を行う必要があるのですが、日本の研究機関では鳥類の骨標本を作成・収蔵する伝統がなかったため、十分な比較検討のための材料がなかったのです。その後、この標本の検討は長谷川博士の教え子である松岡廣繁博士(京都大学大学院理学研究科)、そしてさらにその教え子である私に引き継がれていきました。

文献・博物館標本との比較

検討を行った鳥類化石群のうち数点は、1988年の報告の時点では日本の近海に生息する現生種であるウミウとして同定されていました。しかし、私が詳しい検討を始めた段階で、これらの標本は現在の日本産のウミウやカワウよりもはるかに大型であることが明らかであり、私たちは当初これらの標本は未記載種(新種)かもしれないと考えました。しかし、その後、これまでに記録されている種の特徴を調べるために文献調査を行っていたところ、スタイネガーらによる1889年の論文に記載されているベーリング島産のメガネウの骨の図版や計測値が、尻屋産の化石のものに似ていることに気づきました。

尻屋産の化石と現生のウミウの骨の比較。左から上腕骨、尺骨、橈骨、大腿骨で、各組の左が尻屋産化石、右がウミウ。橈骨の遠位端(写真下側)は化石とウミウとで左右が逆の骨。化石は断片的なものも多いが、現生のウミウよりはるかに大型で骨太である。

そこで私は、スタイネガーらの標本が所蔵されている米国スミソニアン協会の国立自然史博物館(ワシントンDC)を訪問し、尻屋産化石をベーリング島産のメガネウの骨標本と直接比較しました。また、このほかにも複数の海外の博物館の所蔵するコレクションを利用して、できるだけ多くの種との比較を行いました。結果として、尻屋産の化石はベーリング島産のメガネウの標本と計測値だけでなく骨の詳細な特徴においてもほぼ一致していることが確かめられました。これらの標本には、比較を行った他の種には見られない固有の特徴がいくつも確認されたため、尻屋産の化石はベーリング島産のメガネウと同一種であることが強く示唆されました。

米国、スミソニアン協会の国立自然史博物館の収蔵庫の様子。鳥類研究部には数万点の鳥類の骨標本が収蔵されている。

結果として、ベーリング島の固有種だと考えられていたメガネウが約12万年前には約2400 km離れた日本の青森県周辺に生息していたことが確かめられました。また、尻屋では同一産地から同じ部位の骨が複数産出していることから、複数の個体が化石として保存されていることは明らかです。そのため、1羽だけが迷い込み化石となったというよりは、当時この地域にはこの種が普通に生息していたとするのが妥当だろうと考えられます。

生物地理と絶滅

以上のことから、約12万年前にはメガネウの分布域は現在と異なっており、これ以降に分布の縮小あるいは移動が起こったことが示されます。つまり、18世紀にベーリング島で発見された時点で、この種はかつての生息域の大半を失っており、この島に遺存的に残っていただけであったということになります。

それでは、なぜメガネウは日本から姿を消したのでしょうか。ひとつの可能性として、海洋環境の変動が主要な原因だったことが考えられます。青森県沖の海底堆積物の解析から、尻屋の化石の時代である約12万年前には、この地域周辺の海域の生物生産量が現在と同等以上に大きかったことが知られています。つまり、当時は海鳥にとっては餌が豊富にある暮らしやすい環境だったのです。しかし、その後の気候変動により、約2万年前の最終氷期にはこの海域の生物生産量が極端に減少したことがわかっています。このような局所的な環境変動による餌の不足が、尻屋地域のメガネウの個体群に大きな影響を与え、日本での局所的な絶滅を引き起こした可能性が考えられます。

他の可能性としては、最終氷期ごろに日本に移住を始めた人間が狩猟によりメガネウの個体群に影響を与えたということも考えられますが、これまでのところ考古遺跡等からメガネウの骨の産出は報告されておらず、現時点ではこの種が日本で狩猟されていたことを示す証拠はありません。今後、今回の発見を念頭において化石や考古遺物等の再検討を行うことで、人類による狩猟の可能性については検証できるかもしれません。

いずれにせよ、今回の発見はベーリング島に固有と思われていた絶滅種であるメガネウがかつて日本に生息しており、最初に記録された時点ではすでに過去の分布の大半を失った遺存的な個体群であったことを示しています。このように、これまで人間の活動により絶滅に追い込まれたと単純に考えられてきた動物種も、実際にはもっと複雑な歴史を持っていた可能性があるかもしれません。

ベーリング島と尻屋(化石産地)の位置関係と、メガネウの過去の分布。厳密には、メガネウが約12万年前にベーリング島周辺にいたかどうかはわからないが、いずれにせよ当時から現在のあいだに分布が大きく変わったことは明らかである。

参考文献

  • Fuller, E., 2001. Extinct Birds, revised edition. Cornell University Press, New York.
  • Hume, J. P., 2017. Extinct Birds, 2nd edition. Bloomsbury Natural History, London.
  • Watanabe, J., Matsuoka, H., Hasegawa, Y., 2018. Pleistocene fossils from Japan show the recently extinct spectacled cormorant (Phalacrocorax perspicillatus) was a relict. The Auk: Ornithological Advances, 135: 895–907. doi: 10.1642/AUK-18-54.1.

この記事を書いた人

渡辺順也
京都大学大学院理学研究科 教務補佐員
専門は鳥類の古生物学・進化生物学。特に日本産の海鳥類化石を中心に鳥類化石の分類学や生物地理学的な研究を行っているほか、生物進化を規定する内的要因に興味を持ち、形態測定学的手法を用いて鳥類骨格の個体発生と発生制約に関する研究を行っている。2016年、鳥類骨格の個体発生の比較研究により、京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻博士後期課程修了、博士(理学)。