我々の体と炭水化物

皆さんが毎日必ず口にしているもの、それは炭水化物です。もちろんお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりすれば糖を摂取しますし、ご飯を食べるとデンプン、野菜を食べればセルロースとして、炭水化物を摂取したことになります。

日常にあふれる炭水化物の例。砂糖、デンプン、セルロースなど、その形はさまざま。

これらの炭水化物は、我々の体の中ではそのほとんどが、単糖(C6H12O6)に分解されて体を巡っています。また、我々の体の約7割は水で構成されていることから、体内を巡る単糖は、水分子と相互作用しながらさまざまな機能に関わっていることが想像できるかと思います。単糖やそれと相互作用している水分子を検知することができれば、尿や血中の単糖の量や状態を把握できるようになるため、糖尿病などの単糖が関わる疾患の早期診断法の開発につながります。実際、健康診断等でよく使用されるMRI(核磁気共鳴画像法)は、体の中の水分子を可視化しており、癌や炎症による水分子の変化を検出することで、診断を可能にしています。

水分子の観察方法とブルーシフト

水分子は、体の約7割を構成する物質であること、炭水化物を始めとする生体分子の機能や安定性を考えるうえで重要な研究対象です。しかし、水分子のO-Hの長さは約10-10 mと大変小さい物質であるため、直接顕微鏡などを使って観察することは困難です。

水分子は、酸素原子と水素原子がそれぞれバネで結ばれた様な状態にあるため、O-Hが振動運動を行っています。このような水分子の振動は、光を始めとする電磁波を用いて観察することが可能です。分子は、運動の種類によって吸収する光の種類(振動数)が異なるため、吸収された光を解析することで、水分子がどのような運動を行っていたか特定することが可能となります。このような方法は分光法と呼ばれ、分光法によって得られた振動運動の強さを振動数ごとに並べたもの(スペクトル)を解析することで、水分子の振る舞いを詳細に知ることができます。水分子のスペクトルは、温度や圧力などの周辺環境、他の物質との相互作用によって敏感に変化することが知られており、スペクトルの変化を見ることで、水分子の様態やダイナミクスを理解することができます。

スペクトルの概念図。運動の種類によって、吸収する光の種類、つまり振動数が異なる。

近年、特定の溶液を対象とした分光法によって、溶質の周りに存在する近接した水分子(水和殻)が、通常の水分子に比べてスペクトルのピークが高振動数側にシフトする現象(ブルーシフト)が報告されました。つまり、通常の水分子よりも速い振動現象を示す水分子が溶質近傍に観測されたのです。普通に考えると、溶質近傍の水分子は溶質との水素結合によって安定に存在しているため、スペクトルは低周波数側にシフトするのでは?と思うかもしれません。実際、レッドシフトを示す水分子も存在します。しかし、溶質の周りで普通とは異なる運動を示す水分子は、どのような状態で存在しているのか、なぜ、ブルーシフトやレッドシフトが観測されるのか、詳しい分子メカニズムは未解明なままでした。

グルコース水溶液中のブルーシフトの発見

本研究では、グルコースなどの単糖水溶液を対象に、ラマン分光法および分子シミュレーションによる双方向的アプローチを行うことで、長年未解明であったブルーシフトの分子メカニズムを解明しました。まず、ラマン分光法によって、濃度の異なる複数のグルコース水溶液のスペクトルを測定しました。次に、Self-modeling curve resolution(SMCR)法を用いて、溶質由来のスペクトル変化だけを抽出したことで、単糖との相互作用に起因したブルーシフトを示す水分子が存在することを見出しました。

単糖水溶液中のブルーシフトの様子。水溶液の中では、単糖水和殻中の水分子は特異な構造をとる。本研究によって、このような水分子がブルーシフトを示すことを発見した。

ブルーシフトの分子メカニズムの解明

本研究では、分子シミュレーションのひとつである第一原理分子動力学シミュレーションを用いて、実験で観察されたブルーシフトの分子メカニズムの特定を行いました。シミュレーションの水分子のスペクトルを計算したところ、実験と同様にブルーシフトを観測することに成功しました。さらに、このブルーシフトは、グルコースのみでなく、マンノースやガラクトースといった構造が異なる他の単糖水溶液でも見出すことができました。

次に、単糖と相互作用している水分子のうち、どのような水分子がブルーシフトを示すのか調べました。本研究で用いた分子シミュレーションでは、原子ひとつひとつの動きを直接観察することが可能です。まず単糖周りの水分子の分布について調べたところ、ブルーシフトを示す水分子は、単糖周りのどこか特定の場所に局在しているわけではなく、広がりを持って点在していることがわかりました。さらに、このようなブルーシフトを示す水分子は第一水和殻の外側に位置するように分布していること、そのなかでも外側を向いているOHの振動が特に強いブルーシフトを示すことを世界に先駆けて解明しました。

ブルーシフトの分子メカニズム。(A) 単糖周りの水和殻の様子であり、ブルーシフトを示す水分子が多く存在する部分。中央水色が単糖、周辺の赤色がブルーシフトを示す水分子の分布を表している。(B)強いブルーシフトを示す水分子の分布の概念図。

おわりに

本研究では、ラマン実験および分子シミュレーションを用いて、単糖水溶液中の水分子がブルーシフトを示すこと発見しました。また、分子シミュレーションを解析することで、単糖水溶液中のブルーシフトの分子メカニズムを明らかにしました。これらの知見は、溶質種固有の水分子スペクトル変化を用いた次世代センシング法の確立に貢献することが考えられます。さらに、溶質の安定性や機能における水分子の役割の解明につながるため、生物・医学・化学を超えた、さまざまな分野への波及効果も期待されます。

参考文献
K. Tomobe, E. Yamamoto, D. Kojic, Y. Sato, M. Yasui, and K. Yasuoka, Origin of the blueshift of water molecules at interfaces of hydrophilic cyclic compounds, Science Adv., 3, e1701400, 2017.
K. Tomobe, E. Yamamoto, M. Yasui, and K. Yasuoka, Effects of temperature, concentration, and isomer on the hydration structure in monosaccharide solutions, Phys. Chem. Chem. Phys., 19, 15239, 2017.
J. G. Davis, K. P. Gierszal, P. Wang, D. Ben-Amotz, Water structural transformation at molecular hydrophobic interfaces, Nature, 491, 582, 2012.

この記事を書いた人

友部勝文, 山本詠士
, 泰岡顕治

友部勝文

慶應義塾大学大学院理工学研究科 博士課程3年

2015年、慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程修了。


山本詠士
慶應義塾大学大学院理工学研究科 特任助教

2016年、慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程修了。博士(工学)。2016年から現職。


泰岡顕治

慶應義塾大学理工学部 教授

1997年、名古屋大学大学院工学研究科博士課程修了。博士(工学)。理化学研究所基礎科学特別研究員、慶應義塾大学助手、専任講師、助教授(2007年から准教授)を経て、2010年から現職。