軸索内の小胞輸送

私たちの体を構成している細胞の中では、人間社会のようにさまざまなタンパク質が役割分担して働いています。たとえば細胞内は道路である微小管が張り巡らされ交通網が発達しており、物質は小胞としてパッキングされ、宅配便役のキネシンやダイニンといった分子モーターに輸送されています。特に神経細胞の長い軸索ではさながら高速道路のように宅急便が行き交っています。

人手不足による宅配便の停滞が社会問題であるのと同様に、運び手である分子モーターの障害はアルツハイマー病、パーキンソン病、ハンチントン病といったさまざまな神経疾患の原因になります。小胞輸送の計測はこれらの疾患の理解や新しい治療法の開発に必須の技術ですが、傷つきやすく複雑な環境を持つ細胞内では力測定などの物理計測が困難であるため、小胞輸送の計測は進んでおらず、細胞を傷つけない非侵襲な細胞内の力測定技術が必要とされてきました。

ゆらぎを利用した非侵襲力測定

溶媒中で小さな粒子(〜1μm)は熱ゆらぎに起因する溶媒分子の衝突でゆらぎます。これをブラウン運動と言います。神経細胞内の小胞も周囲の分子との衝突でゆらいでいます。分子の衝突の影響が大きいので小さい小胞ほどたくさんゆらぎます。私たちはこのゆらぎと小胞にはたらく力に相関があることを見つけました。この発見により、小胞に働く力を小胞の重心位置のゆらぐ運動から見積もることができるようになりました。細胞に力を加えたり傷つけたりせずに、小胞の重心位置のゆらぎは小胞を観察するだけで非侵襲的に得られます。たくさんの分子モーターが運べば大きな力が出るし、ひとつの分子モーターでは小さな力しか出ません。測定の結果、力の大きさから小胞は数個の分子モーターに協同で輸送されていることがわかりました。神経細胞軸索輸送ではひとつの分子モーターで輸送するのでなく主に2、3個の分子モーターで輸送することで安定した輸送を実現していると考えられます。

神経細胞内の物質輸送でも起こっていた! 運転手不足による宅配危機

非侵襲性が特徴である「ゆらぎによる力測定法」は生きたままの個体で用いることが可能です。そこで私たちは生きている線虫内の小胞輸送に力測定法を応用することを考えました。

シナプス形成の異常はアルツハイマー病の発症に密接に関係しています。以前の研究で線虫内のシナプスの材料の輸送を制御しているタンパク質が欠損するとシナプス形成位置に異常が出ることが知られていましたが、分子モーターに及ぼす影響を直接測定することはできませんでした。今回、小胞の力測定を行った結果、このような異常が出る線虫ではシナプスの材料を運ぶ分子モーター数が減少することを突き止めました。お神輿の輸送のように大勢の分子モーターで輸送すれば安定した輸送を実現できますが、運び手である分子モーターが減ってしまうと輸送が弱まり異常が起こると考えられます。

シナプス形成位置の変化という神経科学的な問題を力や分子モーター数などの物理的パラメータから定量的に議論することが可能になりました。神経疾患で原因タンパク質の同定が進むなか、小胞輸送障害の物理的原因はあまり調べられていませんでしたが、非侵襲力測定を用いて物理的原因を明らかにすることにより、疾患メカニズム解明に役立つと期待されます。

参考文献
Hayashi et al., Application of the fluctuation theorem for non-invasive force measurement in living neuronal axons
biorxiv doi:https://doi.org.10.1101/233064
Niwa et al., Autoinhibition of a neuronal kinesin UNC-104/KIF1A regulates the size and density of synapses
Cell Reports, 16, 1-13 (2016)
Hayashi et al., Non-invasive force measurement reveals the number of active kinesins on a synaptic vesicle precursor in axonal transport regulated by ARL-8
Physical Chemistry Chemical Physics,doi: 10.1039/C7CP05890J (2018)

この記事を書いた人

林久美子
林久美子
東北大学 大学院工学研究科 応用物理学専攻 助教(現職)。東京大学大学院総合文化研究科の学位論文研究(博士(学術))において理論物理学を学びましたが、学位取得後、日本学術振興会特別研究員に採用時に生物実験に挑戦しました。異なる分野の境界(すきま)に新しい研究があると考え、分野の垣根を飛び越えます。