「古文書を読める人をもっと育てたい」 – 東海大・馬場弘臣教授が考える歴史研究の意義とは
日本の和紙は世界一優秀な紙です。奈良正倉院文書に代表されるように、今から1000年くらい前の書類でも、和紙に墨で書かれたものなら平気で読むことができます。このような江戸時代以前の和紙に書かれた史料のことを古文書と呼びます。その古文書の最大の敵が、シバンムシ(死番虫)の一種で、和紙が大好物なフルホンシバンムシ(古本死番虫)という虫なのです。とにかく紙の類が大好きで、虫喰いの後を開いてみると、ロールシャッハテストみたいな食い後を残してくれたりもします。
はじめまして、私はそのフルホンシバンムシにも劣らない「古文書の虫」だと自負しております馬場弘臣(Baba Hiroomi)です。古文書好きは変わりませんが、決して敵ではありません。現在は、東海大学教育開発研究センター教授として、授業の進め方や教授法の開発について研究する部署に所属していますが、専門は江戸時代史です。もちろん、センターでは、古文書の読解法や、歴史の教育法についても日々研究を重ねております。
そんな私が古文書に出会ったのは、大学に入ってからのことでした。1年生の授業で初めて古文書の読解に触れたのですが、本格的に読み出したのは、陶器で有名な栃木県の益子町の益子町史に従事し始めた大学院生からのことでした。古文書を読めるようになったのは、ほぼ独学です。
それからの私は、大学の垣根を超えて、いろんな先生のもとを渡り歩きながら、神奈川県の小田原市史、南足柄市史、大磯町史、横須賀市史、茨城県の龍ケ崎市史など、さまざまな市町村史(自治体史)を担当することで、それこそ長らく古文書だらけ生活を送ってきました。古文書だらけと言っても、どこのお宅が古文書をお持ちか、その所在調査から始まって、史料の搬出・搬入、整理と目録作成、保存のための処置と、使えるようにするための作業はぼうだいです。
これらの地域では、その地域ならではの、また、その地域にしかないような古文書がたくさん残っています。小田原市史や南足柄市史では小田原藩関係、大磯町史では幕末維新期の東海道、寒川町史では相模川の渡船場、横須賀市史では海防問題、龍ケ崎市史では牛久沼の治水と利水、そして益子町史では益子焼のルーツ等々、ただ心の赴くままに古文書を読んでは研究を重ね、その一端は史料編や通史編など、さまざまな形で本にしてきました。
でも、そうやっても後世に残すことのできる古文書は、ほんの一握りにしか過ぎません。古文書を読める人をもっと育てたい。そこから歴史を読み解いていける人を一人でも育てたい。そして私自身が、できる限りの古文書を解読して翻刻して後世のために残していきたい。歴史を研究することの本当の意義は、それがどの時代のものであっても、すべてが現代へのメッセージであるということに尽きると思います。曇りなき眼でそのメッセージを受け取りながら、常に新しい歴史像を提供し続けていきたい。そんな想いで日々研鑽を積み重ねています。
これから2か月間、クラウドファンディングに挑戦します。みなさん応援よろしくお願いします!
この記事を書いた人
- 「古文書の虫」馬場弘臣(Baba Hiroomi)です。現在は、東海大学教育開発研究センター教授として、授業の進め方や教授法の開発について研究する部署に所属していますが、専門は江戸時代史です。センターでは、古文書の読解法や、歴史の教育法についても日々研究を重ねております。