研究の背景

マヤ文明研究の黎明は新しく、現在の研究者のコンセンサスとしての「マヤ文明観」が形成されたのは1990年代に入ってからのことです。その礎となった調査のひとつは1950~1960年代にティカルで行われた大規模調査でした。そのためティカルでの調査から数えると、マヤ考古学の歴史はたかだか100年にも満たないと言うと驚くでしょうか?

この短いマヤ考古学史の中でティカルのような大遺跡だけではなく中小遺跡も対象にすべきという指摘の下、現在までに遺跡のサイズによるデータの偏りは是正されてきました。一方で遺跡の中で対象となるマウンド(建造物の痕跡)の偏りは現在も尚是正されていないのです。やはり皆、巨大な神殿や宮殿を掘って「お宝」を見つけたいようです。他方でその甲斐あって古代マヤ文明の中でエリート層の文化については良く知られています。皆さんもきっと色鮮やかな多彩色土器や精巧なマヤ文字入りのレリーフを見たことがあるでしょう。

このような研究状況を受けて、私は2021年度よりアカデミスト社の月額支援型CFに参加し、1. 古代マヤ社会における一般層の人々の暮らしを明らかにしたい、2. 不要な遺跡破壊を避けるためにも未発掘マウンドの埋蔵遺物量を推定する数理モデルを構築したい、という想いで調査研究を続けてきました。

先行研究における調査対象の偏り

発掘調査の内容

CFの支援を受けた2021年度は上図のdとgのマウンド群を対象に発掘を行いました。それ以前の発掘調査成果と合わせて、かなりバランス良く中小規模のマウンド群からデータを得ることができました。伝統的な考古学は土器や石器を細かに分類して分析を行っているイメージだと思いますが、私のように考古学データを定量化して数式を用いて研究を行っている研究者もいます。

海外の先行研究では古代マヤ社会における墓の副葬品の種類と数量や建造物の建築に投下した労働力が社会的不均衡を示す曲線グラフとなることが示されています。経済学で現代社会の分析で用いられる貧富の指標であるローレンツ曲線やジニ係数も最近は考古学で用いられるようになり、同様に曲線グラフを得ています。先行研究ではこの曲線グラフの取り扱い方法に関する壁にぶつかって止まっており、古代マヤ社会は支配層/非支配層の2階層区分という定説のまま変わっていないのです。

2021年度の調査における大きな成果はこの2階層区分を8階層区分にまで細分したことにあります。私も曲線形の連続分布を扱っていますが、バランス良くデータを得たことと、非連続的な属性に着目したことにより細分が可能となりました。私が利用した属性は建造物の建材の種類、切り石の有無、漆喰の有無、マヤアーチの有無といったものでこれにより建造物を型式分類することに成功したのです。

建造物型式によるマウンドの分類

結果 – 予想以上の展開に –

私は先行研究とは異なり数理モデルとして冪分布(冪関数)を利用しています。これまでの分析によって個別のマウンド単位でそのサイズが冪分布すること、建造物グループ単位でマウンドサイズの合計値が冪分布することが分かりました。またサンプル数は少ないのですが、出土する遺物量も冪分布する傾向にあり、遺物量とマウンドサイズとの相関傾向も確認できています。

石製品の石材による社会分布の違い(予測を含めた両対数プロット時の模式図)

また出土した遺物を分類し、建造物型式に基づく8レベルとの関係性を確認したところ、遺物の種類によって出土するレベルの範囲が異なることが分かりました。これは遺物がその種類によって価値が異なり、その社会的な分布が異なることを意味しています。石製品の石材による分布の違いの他に、石棺の有無と造りの精緻さ、土器の施文に用いられる色の種類と多寡、土器の施文時のマヤ文字使用の有無、土器施文時の神・人・獣の顔/身体装飾の有無などに関して社会的分布が異なることが分かりました。

元々、このプロジェクトは一般層の人々の暮らしの理解と未発掘マウンドが埋蔵する遺物量を推定することが目的でした。サンプル数の問題で統計学的な裏付けはまだありませんが、概ねこのどちらの目的も達成状況にあります。それに加えて先に述べたような古代国家における階層性と経済格差に迫る成果を得ることができ、マヤ考古学の進展に大きく貢献した他、研究者個人としても大きな躍進の年となりました。

展望 – 現実的展望と野望 –

非常に大きな成果が挙がっていることは事実ですが、実際に明らかとなったのはティカルにおける古典期後期(西暦550-800年)の様相だけなのです。より現実的な短期的展望としては先古典期から古典期前期(紀元前250年-後550年)や古典期終末期(西暦800-1000年)のデータを取得することで、国家の形成期から発展、滅亡期までの通時的な階層性の変化と経済格差の変化を明らかにしたいと考えています。

その上で古代マヤ文明の一大中心都市であるティカルにて理論モデルを構築し、碑文研究でティカルとの王族間の婚姻関係や戦争関係が明らかとなっている都市国家においても調査を行って比較研究を実施したいとも考えています。それにより歴史的なイベントの前後で各種の遺物の価値がどう変わったのか、例えば「ティカルに戦争で負けた後にその都市国家ではティカル産の土器の価値が上がったのか?」について明らかにしたいと考えています。このようにより具体的に古代マヤ文明の歴史を描いていくことが中期的な目標になります。

最後に、これは展望というよりは野望となりますが、古代文明研究と現代社会研究を繋げたいと考えています。どういうことかというと、実は経済学や社会学において現代社会に見られるさまざまな現象が冪分布となることが既に明らかとなっています。2021年度研究成果で明らかとなったように古代国家ティカルにおいても財に関してさまざまな冪分布が確認されました。そのため私の予想では人類史全体において物質文化は常に『多層的冪分布構造』を有していると考えています。冪分布(冪関数)という共通の数理モデルを使用することで、古代から現代まで人類史全体を通して物質文化の変遷を明らかにし、格差問題をはじめとする現代社会が抱える諸問題にも考古学的視点からアプローチ可能となるような未来を創り上げていきたいと考えています。

この記事を書いた人

今泉和也
今泉和也
明治大学、客員研究員/研究推進員。日本学術振興会特別研究員(PD)。2011年より2年に渡り、青年海外協力隊員としてグアテマラが誇る世界複合遺産ティカル国立公園にて勤務。2016年より現在までティカル遺跡中心部にて継続的に発掘調査や資料調査を実施中。また「考古物理学」という新学術領域を設定し、考古学情報・学術成果の数式化、法則定立的研究を目指している。ちなみに北海道札幌市出身であり、血液はビール、肉体は寿司・肉・ラーメンで出来ている。