有機合成化学の新しい可能性:薬を現地合成する?

有機合成化学の分野では、日々、効率的な反応が開発されています。一方、最先端の反応を体内で使用して、生体機能を操ったり、病気を治療しようとする試みは現状ではほとんど行われていません。私たちは、「生体内合成化学治療」と名付けた方法で、体内で直接金属触媒反応を行ったり、あるいは病気の部分で過剰に発生している分子を有機反応の試薬として活用することで、生きている動物内の狙った臓器や病気の部分で、ある時間枠にピンポイントで薬などの生理活性分子を直接合成して治療しようと考えています。このために、糖鎖が生体内で行っている複雑な「パターン認識」を解析して、これを生きている動物内の狙った部分に分子を送り込むために利用しています。また、生体内で起こっている未知の反応や、生体内でも使える反応を探索しています。本稿では、まず糖鎖の「パターン認識」による体内の特定部位を厳密に見分ける方法を解説した後、実際に私たちが行っている2つの代表的な「生体内合成化学治療」を紹介します。

糖鎖の「パターン認識」を使って、体内の臓器や疾患を厳密に見分ける

私たちの体の中では、無数の生体物質が存在するなかから、特定の生体分子や細胞、あるいは臓器を厳密に見分けるために、「糖鎖」という分子を使っています。重要なことは、1分子の糖鎖で狙った物質を見分けているのではありません。これでは無数の生体物質のなかから、狙った物質を見つけるための糖鎖分子の数が限られてしまいます。実は体内では、複数の糖鎖がクラスターを形成して、狙った物質を糖鎖のクラスター全体(複数の糖鎖分子の集まり)で「がばっと」見分けているのです。これは私たちが知り合いの顔を認識する時に、口や目、鼻などを単独で見分けているというよりも、むしろ顔全体で「パターン認識」しているのと同じです。私たちは、この生体内での「パターン認識」を実現できるさまざまな糖鎖のクラスターを合成して、糖鎖を使い分けることにより、体内の狙った臓器やがんなどの疾患を厳密に、そして非常に素早く見分けるだけではなく、体内からの排出も完璧に制御できることを明らかにしています。

糖鎖クラスターのパターン認識を利用することで、体内の狙った臓器やがんなどの疾患を高度に見分けることができる

体内の狙った部位で金属触媒反応を実施して治療する「生体内合成化学治療」

上記で解説した糖鎖のクラスターを使うことで、生きている動物内の狙った臓器や疾患部位でも金属触媒反応を選択的に行うことが可能となります。たとえば、がんを認識できる糖鎖クラスターに対して、ある特定の反応を起こすことのできる金属触媒を持たせておきます。この糖鎖クラスターを静脈注射しますと、がんに金属触媒を素早く埋め込むことができます。次いで、活性も毒性もない原料や試薬を静脈注射しますと、これらは体内を循環しますが、がんに近づいたときに金属触媒に出会いますので、目的とした反応が進行し、がんの近傍で位置選択的に抗がん剤などの生理活性分子を「現地合成」することができるのです。この考え方により、薬剤の副作用やペプチド薬剤の安定性を根本から解決することができるのです。これまでに優れた活性を持っているものの、生体内での安定性や副作用のためにドロップアウトした分子が、この考え方によって見直される可能性が出てきます。この方法では、迅速で効率的な「金属触媒の運び屋」として糖鎖クラスターを使うことが大きな鍵となっています。すでに私たちは、体内の狙った臓器で金属触媒反応を実施することに成功しています。

体内の狙った部位で金属触媒反応を実現して治療する「生体内合成化学治療」

疾患部位で過剰に発生する毒性分子を体内でそのまま生理活性分子に変換して治療する「生体内合成化学治療」

体内の疾患部分で過剰に発生している分子を有機反応の「試薬」として利用して、これを疾患を治療する薬理活性分子へと変換します。そのひとつの例として、最近私たちは、がんなどの酸化ストレス条件下で過剰発現するアクロレインが、ある種の生体内アミンと選択的に反応して、効率良く8員環化合物を与えることを見出しました。さらにこれらの8員環化合物は、実際に生体内の酸化ストレス条件下でも生成しており、驚くことに、アミロイド凝集を抑えたり、エピジェネティクスを制御しているなど、さまざまな生理活性を示すことを発見しました。これまで悪いものとばかり考えられていた酸化ストレスは、実はそうとばかりは言えないのです。わざと酸化ストレス条件下で細胞からアクロレインを放出し、近傍の生体内アミンと8員環化合物を与えることによって生体の機能を制御しているのです。逆の観点から見ますと、この現象を生体内における合成化学の技術として適応できます。すなわち、体内にアミン化合物を導入することで、疾患で生産する毒性物質のアクロレインをその場でさまざまな生理活性8員環化合物へと変換することが可能となり、疾患を効果的に治療することができるのです。

疾患部位で過剰に発生する毒性分子を体内でそのまま生理活性分子に変換して治療する「生体内合成化学治療」

代表的な生体内合成化学治療について紹介いたしましたが、糖鎖クラスターについてはロシア、および理研で企業と共同して、診断と治療のために臨床展開しています。また、生体内では、上記に述べた8員環形成反応以外にも多くの反応が存在することを突き止めています。生体内で進行する反応を見つけることによって、これらの反応や生成物が制御する生体機能を有機合成化学の分野から突き止めることができると思っています。同時に、これらの反応を「生体内合成化学治療」に代表される治療や診断に有用な戦略へと開拓できると考えています。実際に、私たちの見つけた一部の反応は、国内外の病院で診断反応として臨床応用が進められています。このように、学術的に新規な有機合成化学を開拓する一方で、「創薬」のために使用されてきた従来の合成技術とは別に、臨床や社会に貢献できる体内での合成反応技術を開拓したいと思っています。

 

参考文献

  • L. Latypova, R. Sibgatullina, A. Ogura, K. Fujiki, A. Khabibrakhmanova, T. Tahara, S. Nozaki, S. Urano, K, Tsubokura, H. Onoe, Y. Watanabe, A. Kurbangalieva, K. Tanaka: Adv. Sci., 3, 1600394 (2016).
  • K. Tsubokura, K. K. H. Vong, A. R. Pradipta, A. Ogura, S. Urano, T. Tahara, S. Nozaki, H. Onoe, Y. Nakao, R. Sibgatullina, A. Kurbangalieva, Y. Watanabe, K. Tanaka: Angew. Chem. Int. Ed., 56, DOI: 10.1002/anie.201610273 (2017).
  • A. Tsutsui, T. Zako, T. Bu, Y. Yamaguchi, M. Maeda, K. Tanaka: Adv. Sci., 3, 1600082 (2016).

この記事を書いた人

田中克典
田中克典
理化学研究所・田中生体機能合成化学研究所・主任研究員(2017年4月から)/理研-マックスプランク連携研究センター・グループディレクター/理化学研究所・イノベーション推進センター・糖鎖ターゲティング研究室・副チームリーダー/ロシアカザン大学・アレクサンドルブトレールフ研究所・教授/JST・さきがけ・研究者/埼玉大学・大学院理工学研究科・連携教授。「生体内合成化学治療」を成功させる! 望ましくは体内で複数の反応ステップを経て、高活性な天然有機化合物を体内で全合成して、治療に役立てたいと思っています。
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