南極にも菌類が住んでいる

「南極」と聞くと、年中、氷と雪に覆われた白銀の世界と想像する人も多いでしょう。私自身も南極の菌類を研究する前までは、そのように考えていました。実際に南極大陸の約98%は氷や雪に覆われているのですが、残りの2%はオアシスと呼ばれる夏のあいだ、雪が溶けて地表が現れる露岩域という地域になります。南極大陸に生息している生物の大半は、この露岩域という地域に生息していると考えられています。日本の南極観測の拠点である昭和基地は東オングル島にあり、この周辺も夏のあいだは最高気温がプラスになることから土壌が露出する露岩域となります。昭和基地周辺は、冬季には最低気温が−40℃を下回り、極度の乾燥と低温に晒される非常に厳しい環境だといわれており、人が生活するには過酷な環境ですが、南極以外の地域と比べると濃度は低いながらも、菌類は生息しています。

東オングル島の夏の様子(画像提供:国立極地研究所 辻本惠特任研究員)

菌類は大きく分けて子のう菌類(いわゆるカビ)と担子菌類(いわゆるキノコ)に分けられます。南極のような極限環境に生息している菌類では、担子菌類のなかでも生活環の一部もしくは、そのほとんどが単細胞で過ごす担子菌酵母の占める割合が多くなります。現在のところ昭和基地周辺からは、およそ30種類の菌類が発見・報告されています。このような環境に生息している菌類は低温でも成長できることから土壌の形成や物質循環に重要な役割を果たしていると考えられています。

南極の菌類はどうやって氷点下で生き抜いているのか?

生物にとって0℃以下の温度による低温ストレスは、生命維持に深刻な影響を及ぼします。南極のような極限環境に生息している菌類は、細胞外多糖や不凍タンパク質などを分泌し、凍結防止剤として利用することで、細胞やコロニーが凍らないように工夫しながら生存していることが知られています。しかし、南極に生息している菌類が氷点下という低温ストレスに対して、代謝全体としてどのような応答をしながら成長しているのかは不明のままだったことから、私は昭和基地から約60km離れたスカルブスネス露岩域から分離した、低温での成長能が異なる2株の担子菌酵母 Mrakia blollopisを用いて低温ストレス下での代謝応答の解析を行ってみました。

低温での成長能に優れたMrakia blollopisのSK-4株と、低温で効率的に成長できないTKG1-2株を、氷点下(-3℃)と至適増殖温度の10℃で培養し、細胞内の代謝産物の濃度を測定した結果、SK-4株は、氷点下では低温ストレスにより代謝経路を変更していることがわかりました。

Mrakia blollopisのSK-4

またSK-4株は、細胞分裂や細胞壁合成などの代謝経路が活発になるほか、低温下での成長に関与し、生合成するのに大量のATPを消費する物質として知られているトリプトファンなどの芳香族アミノ酸を多く蓄積していました。しかし、TKG1-2株では、低温ストレスによるはっきりとした代謝反応の変更や、このような代謝産物の顕著な蓄積は認められませんでした。これらのことから、低温での成長能に優れた南極産のMrakia blollopisは、氷点下での低温ストレスに対抗するため、多大なエネルギー的コストを支払いながら成長していることが示唆されました。南極の菌類といえども、氷点下の環境を生き抜くために苦労していることの一端が伺えるのではないでしょうか?

乳脂肪を分解する南極産菌類

酪農施設から排出される排水には大量の乳脂肪が含まれています。乳脂肪は低温下ではバターのように凝固することから微生物による処理が最も難しい物質のひとつであり、河川や地下水の汚染原因となっています。そこで私たちは、南極で採集した菌類のなかから低温でも高い乳脂肪分解能を持つ菌株の探索を行いました。 その結果、低温での成長能に優れた担子菌酵母のMrakia blollopis SK-4が低温でも高い乳脂肪を持っていることを見出しました。

SK-4株を活性汚泥に添加することにより、酪農排水中に含まれる乳脂肪を効率良く分解できると考え、SK-4株入りの活性汚泥と通常の活性汚泥を使用して低温下での乳脂肪分解能の比較を行ってみたところ、SK-4株を活性汚泥に添加することによって、乳脂肪分解率が約2割向上することがわかりました。さらに北海道の酪農排水の水温は、冬季には3℃、夏季には25℃前後まで上昇することがあります。このため水温を3〜25℃まで変化させて30週間以上排水処理を行ったところ、SK-4株は増殖上限温度より高い25℃で約14週間培養しても死滅することはありませんでした。

排水処理前後の様子

これらの結果をもとに国立極地研究所と産業技術総合研究所により乳脂肪分解能を持つ南極産菌類の利用方法として特許(特許第5867954号)が登録され、特許のライセンス契約を受けた北海道の企業により市販されました。南極産微生物に関する特許の実用化は、本研究が国内初となります。

南極の菌類でお酒を作りたい!

担子菌酵母のMrakia blollopisの種小名は、ビールにちなんで名付けられており、この菌を含む多くのMrakia属菌はエタノール発酵する能力を持っていることが知られています。Mrakia属菌は低温性の菌類であるため、至適発酵温度は10℃以下であり、低温での発酵能に優れています。そこで、スカルブスネス露岩域から分離した27株のMrakia属菌のエタノール発酵能について調べた結果、低温での成長に優れたMrakia blollopis SK-4株が最大で6% (v/v)以上のエタノールを生産する能力を持っていることがわかりました。

しかし私は、SK-4株の6%(v/v)のエタノールを生産する能力では酒類を醸造するには心許ないと感じており、この株を使った酒類の生産には、清酒酵母など既知の系統の酵母と共培養する必要があると考えています。SK-4株は実際に清酒酵母と共発酵しても味や風味などに大きな影響を与えないことがわかっています。また、SK-4株はすでに簡易な安全性試験、ゲノム解析やエタノール発酵時に分泌する物質の解析が行なわれており、動物に対して明らかな毒素の生産は認められていません。そこで私は、この南極産の菌類で日本酒やワイン、ビールなど酒類を作ってみたいと強く考えています。もし、南極産菌類を使った酒造りに興味のある事業者の方は、私までご連絡をお願いします。

この記事を書いた人

辻雅晴
博士(農学)。2015年4月から国立極地研究所 生物圏研究グループに特任研究員として勤務。南極や北極に生息している菌類の多様性、低温適応機構の解明やこれらの菌類が持つ特徴を産業利用に結びつける研究を行っています。