はじめに

哺乳動物の性染色体にはX染色体とY染色体があり、オスはそれぞれを1本ずつ、メスはX染色体を2本もっています。Nrk(Nik-related kinase)は、X染色体にコードされた遺伝子ですが、その分子機能はほとんどわかっていません。

しかしながら、その発現パターンは特徴的であり、Nrk遺伝子がマウスでクローニングされた1999〜2000年当時、その発現は胚発生の中期〜後期にのみ検出され、調べられた限りのすべての成体組織で検出されませんでした。このことからNrkは胚発生過程に関与する遺伝子であることが示唆されていました。

そこで私たちは、その働きを知るためにNrkのノックアウト・マウスを作製して解析を行いました。この結果、発現パターンからの予想に反し、Nrk欠損マウスは正常に生まれ天寿を全うしました。したがってNrkは胚発生には寄与しないことがわかったのですが、今回の研究結果から成体のメスマウスにおいては「胎盤における細胞増殖の制御」「分娩誘発」「乳がんの抑制」という、いずれもメスに関連する3つの機能に不可欠な役割を担う興味深い遺伝子であることが明らかとなりました。

Nrkは胎盤における細胞の過増殖を抑制する

Nrk欠損によるひとつめの異常として、妊娠中に母体と胎仔をつなぐ組織である胎盤が肥大化することがわかりました。重量を計ると、野生型の胎盤の2倍以上になります(A)。胎盤は、母体由来の細胞層である脱落膜、胎仔由来の細胞層であるスポンジオトロホブラスト層、そして同じく胎仔由来の細胞層であるラビリンス層の3層から構成されますが、Nrk欠損胎盤の切片を組織学的に調べてみると、スポンジオトロホブラスト層が肥大化してラビリンス層に侵入している様子が観察されました(B)。

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細胞増殖のマーカーであるKi67タンパク質の免疫染色を行うと、特にラビリンス層に食い込んでいる部分のスポンジオトロホブラスト細胞が旺盛に増殖し続けていることがわかります(C)。また、野生型の胎盤切片に対してin situ hybridizationでNrk mRNAの発現を、免疫染色でNrkタンパク質の発現を調べると、いずれもスポンジオトロホブラストに特異的に発現していました(D)。

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したがって、Nrkはスポンジオトロホブラストにおいてその過増殖を抑制する働きをもつことがわかりました。しかし、Nrkがどのようにしてその増殖を抑えるのか、分子メカニズムはまだ未解明です。

Nrkは胎仔/胎盤から母体に向けた分娩誘発シグナルの発信に必要である

Nrk欠損マウスの繁殖用ケージの中から、2つめの異常が見つかりました。Nrk欠損のメスマウスを野生型のオスマウスと交配したときには正常に分娩が誘発されるのですが、Nrk欠損のメスマウスをNrk欠損のオスマウスと交配すると分娩がおきなくなり、予定日より1〜3日遅れて死産となることがわかりました。この2つのケースのNrk欠損メスマウスの違いは何かというと、前者の場合には母体の子宮内の胎仔/胎盤はNrk欠損でないのに対し、後者の場合は胎仔/胎盤がすべてNrk欠損になるという点です。このことは、胎仔あるいは胎盤におけるNrkが母体における分娩の誘発に必要であることを示唆していました。そこで、野生型のメスマウスを用いて実験をしてみました。Nrk欠損のオスマウスと交配したNrk欠損のメスマウスからNrk欠損の初期胚を取り出し、偽妊娠させた野生型のメスマウスの子宮に移植したのです。すると、野生型のメスマウスでも子宮内の胎仔/胎盤がすべてNrk欠損であると分娩不全になることがわかりました。

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妊娠中の母体において、適切なタイミングで分娩を誘発することはとても重要です。タイミングが早すぎると早産、遅すぎると過期産となり、いずれの場合も母体や胎児/新生児の命に関わります。しかし、分娩を誘発するシグナルが何なのか、そのシグナルが母体、胎仔、胎盤のいずれから発信されるのか、まだわかっていないのです。私たちの実験結果は、そのシグナルが胎仔あるいは胎盤から発信されること、そしてその発信にNrkが必要であることを示しています。Nrk欠損マウスは今後、分娩誘発シグナルの実体解明のための格好の研究材料になると期待されます。

Nrkは乳がんの発症を抑制する

Nrk欠損マウスの繁殖用ケージの中から、さらに3つめの異常が見つかってきました。Nrk欠損のメスマウスの乳腺にコブ(腫瘤)が発症したのです。この乳腺腫瘤はオスのNrk欠損マウスでは発症せず、メスでも妊娠・出産の経験のないマウスでは決して発症しません。
しかし一方で、オスと交配させながら飼育して妊娠・出産を繰り返したメスでは90%という非常に高い頻度で発症することがわかりました(A)。  病理組織像を見てみると、この腫瘤には周囲の正常組織への浸潤や転移は観察されず、非浸潤性のがんであることがわかりました(B)。免疫組織学的な検討の結果、このがん細胞は性ホルモンであるエストロゲンの受容体が陽性、細胞増殖のマーカーであるKi67タンパク質が陽性、増殖因子受容体HER2/ErbB2が陰性であり、ヒト乳がんのサブタイプの中で“ルミナルB型(HER2陰性)”というタイプに近いことが示唆されました(C)。%e5%9b%b33

先に、Nrkの発現は調べられた限りのすべての成体組織で検出されなかったと書きましたが、妊娠期における発現は調べられていませんでした。調べてみると、Nrkは非妊娠期の乳腺では発現していませんでしたが、妊娠後期の乳腺で発現誘導されてくることが明らかとなりました。妊娠期にはエストロゲンの作用により乳腺上皮細胞が増殖し、出産後の授乳に備えて乳腺が発達します。しかし、乳腺が十分に発達した後、乳腺上皮細胞はその増殖を停止しなければなりません。私たちの研究結果は、妊娠後期の乳腺においてNrkの発現が誘導されて乳腺上皮細胞の過増殖を止めるために働いていること、そしてその破綻が乳がんにつながることを示唆するものです。今後、その細胞増殖抑制の分子メカニズムを解明することが、ヒト乳がんの発症機構を理解するうえでも大変重要であると考えられます。

おわりに

以上により、X染色体上の遺伝子Nrkがマウスにおいて「胎盤における細胞増殖の制御」「分娩誘発」「乳がんの抑制」という、いずれもメスに関連する3つの機能に不可欠な役割を担っていることがわかってきました。しかし、Nrkがどのような分子メカニズムでこれらに関わっているのかはまだ不明です。これらを一つひとつ明らかにしていくことで、この興味深いタンパク質をより深く理解することができ、ひいてはそれが私たちヒトを含む哺乳動物のより高度な理解につながると考えています。

参考文献

  1. Nrk, an X-linked protein kinase in the germinal center kinase family, is required for placental development and fetoplacental induction of labor. Denda K, Nakao-Wakabayashi K, Okamoto N, Kitamura N, Ryu JY, Tagawa Y, Ichisaka T, Yamanaka S, Komada M. J. Biol. Chem. 286, 28802-28810 (2011)
  2. Deficiency of X-linked protein kinase Nrk during pregnancy triggers breast tumor in mice.Yanagawa T, Denda K, Inatani T, Fukushima T, Tanaka T, Kumaki N, Inagaki Y, Komada M. Am. J. Pathol. 186, 2751-2760 (2016)

この記事を書いた人

駒田雅之
駒田雅之
東京工業大学・科学技術創成研究院・細胞制御工学研究ユニット 教授。現在のメインの研究テーマは、ユビキチン化による細胞膜タンパク質のリソソーム輸送/分解(ダウンレギュレーション)の制御とその破綻による疾患発症の分子機構。URL: http://www.komada-lab.bio.titech.ac.jp(研究室)、http://www.rcb.iir.titech.ac.jp(細胞制御工学研究ユニット)