座っているのに歩いている? – VR空間内のアバターが擬似歩行感覚を高める
「歩いている」という感覚の創出
「自宅にいながら世界中を旅してみたい!」と思ったことはありませんか? 近年、新型コロナウイルス拡大の影響で、世界各地を旅することがなかなか難しい状況です。そうしたなか、ガイド付きの動画を視聴するなどの「バーチャル旅行」が、自宅にいながら旅行を体験する手段のひとつとして注目されています。そのなかでも特に、ヘッドマウントディスプレイなど、バーチャルリアリティ(VR)技術を用いたものが近年増加しています。
このVR技術を用いたバーチャル旅行は、単純に動画を視聴する場合と比較し「あたかも実際に自分がそこにいるかのような感覚(臨場感)」をより向上させることができると考えられています。臨場感が増加すれば、バーチャル旅行での体験はよりリアルなものとなり、体験する価値のあるものになるでしょう。
さて、この「臨場感を向上させる」ということはバーチャル旅行のみならず、VR技術を用いたコンテンツ全般で非常に重要です。実際に多くの研究者が、VRコンテンツを体験しているユーザーに対して、より臨場感を与える方法を数多く提案しています。我々はこの臨場感を向上させるために、人にとって非常に重要かつ基礎的なアクションのひとつである「歩行」に注目しました。
たとえば、ユーザーが観察しているシーンがユーザーの実際の歩行と連動して動く場合、そのシーンが自動的に動く場合と比較して、臨場感を向上させることができるでしょう。そこで、我々は、VR空間内で、ユーザーに対して「自分自身が歩いているという感覚(歩行感覚)」を生起させる方法を調査しました。
すでにいくつかの研究グループが、VR空間内での歩行感覚を生起させることを研究しています。その多くが、トレッドミルを用いたり、その場歩きをさせたりするなど「自らの意思で足を動かす」ことをユーザーに求めます。つまり、ユーザーは実際に歩行しなければなりません。
一方、我々のグループは「自らの意思では足を動かさない」ユーザーに対して、まるで自分が本当に歩行しているかのような感覚(擬似歩行感覚)を生起させる方法を研究しています。たとえば、座っているユーザーに対して、この擬似歩行感覚を生起させることができれば、今まで歩行感覚を生起させるのが難しいとされていた、運動機能障害を持つ人や高齢者に対しても歩行している感覚を生起させることができるでしょう。
歩行体験装置 – ヘッドマウントディスプレイと足裏振動装置
座っているユーザーに対して擬似歩行感覚を生起させるために、以下の図のような「歩行体験装置」を作製しました。歩行体験装置は大きく分けて、ヘッドマウントディスプレイと足裏振動装置の2つの装置で構成されています。
ヘッドマウントディスプレイには映像が提示されます。この映像は物体が奥から手前に流れる動画です。これにより、ユーザーに対して「自分自身が前方に移動している」という感覚を与えることを試みています。一方、足裏振動装置には、左右の前足部と後足部(踵)の位置にそれぞれ振動子がひとつずつ、合計4つ備え付けられています。この振動子を介して、ユーザーの足裏に振動が与えられます。これにより、ユーザーに対して「自分自身が歩行している」という感覚を与えることを試みています。
これらを合わせると、ユーザーは「自分自身が前方方向へ歩行している」と錯覚すると予測され、実際に我々の過去の研究で、このような擬似歩行感覚が誘発することが明らかになっています。
アバターを追加した歩行体験装置
今回の研究では、この歩行体験装置に以下の図のような自分の分身となるアバター(全身アバター、手足アバター)を追加し、更なる擬似歩行感覚の向上を試みました。これらのアバターはユーザーの動きとは関係なく、VR空間内を真っ直ぐ歩行します。このアバターが床を踏むと同時に、足裏振動装置を介してユーザーの足裏に振動が与えられます。
現実の世界で歩行しているときは、自分の体は腕などを除きほとんど見えません。よってこのままでは、これらのアバターが擬似歩行感覚の生起に与える影響はかなり少ないように思えます。そこで本研究では、図のように、VR空間内に鏡を交互に配置することにより、アバターの姿を常に観察できるようにしました。この工夫により、アバターが歩行している様子をはっきり観察できるので、擬似歩行感覚がさらに向上するのではないかと予測しました。
ユーザーにこのアバターが追加された新たな歩行体験装置およびアバターのない従来の歩行体験装置をランダムな順番で体験してもらいました。その後、図のように「歩行感覚」「移動感覚」「臨場感」などの強度を、スライダーを動かすことによって評価してもらいました(VAS: Visual Analogue Scale)。解析では、全身アバター条件、手足アバター条件、アバター無し条件それぞれでの感覚の評価を比較しました。
アバターは擬似歩行感覚を向上させる
実験の結果、全身アバターがあるときは、アバターがないときと比較して、「歩行感覚」が有意に向上しました。注目すべきは、「移動感覚」では有意な差が見られなかった点です。
「移動感覚」つまり、ユーザーが、自分自身は歩行せずに車や馬など何かしらに乗って移動していると解釈した場合でも向上すると考えられる感覚では差が見られなかったのに対して、「歩行感覚」つまり、自らが足を動かして移動しているという感覚では差が見られたました。つまり、ユーザーは全身アバターが提示されているとき「自分が歩いている」という感覚をより強くもっていることがわかります。
また、「臨場感」も同様に向上していることが示されています。故に、今回用いた「アバターを追加する」という方法は、擬似歩行感覚を向上させ、かつそれをリアルな体験とさせるうえで効果的な方法であることが示されました。
全身アバターとは別に手首から上と足首から下のみが描画されたアバター(手足アバター)の効果も同様に調べました。その結果、手足アバターがあるときもアバターがないときと比較して、「歩行感覚」が有意に向上しました。この結果は、手足アバターを使用した場合、アバターの顔や胴体部分は、ユーザーが脳内で自動的に補間する可能性があることを示しています。
全身アバターの使用は、ユーザーの人数分アバターを用意しなければならないというデメリットがあります。たとえば、ユーザーとはまったく異なる身体特徴を持つ(着用している服や性別、体型などが違う)アバターでこの装置を体験した場合、臨場感が低下する可能性があります。手足アバターはその部分を脳が補間するので、ひとつのアバターを用意するだけですべてのユーザーの擬似歩行感覚を向上させることができるでしょう。しかし、全身アバターのときと比較して、手足アバターでは歩行感覚・臨場感がともにやや減少するので、その用途に応じてどちらのアバターを使用するかを十分考える必要があるでしょう。
今後の展開 – 自由な歩行体験の実現に向かって
我々は座っているユーザーに対して、擬似歩行感覚を創出させる方法を模索しています。今回の我々の研究では、「足裏の振動を連動させたアバターの追加」という比較的簡単な方法で、擬似歩行感覚を向上させることに成功しました。ユーザーは鏡を介して、自分の分身となるアバターの歩行シーンを観察したことにより「自分自身が歩行している」という感覚がより強くなったものだと考えられます。
現状の歩行体験装置は、直進するだけという簡単な歩行しか体験できません。たとえば、ユーザーが右に曲がりたいと思っても、その意思はアバターに反映されません。そこで次は、ユーザーの意思で自由に曲がれることを目標にしています。実際の旅行では、当然、自分の意思で行き先を決め、自分の意思でお店に入り、自分の意思で商品を購入します。これらの意思決定をこの歩行体験装置に反映できれば、実際の旅行と遜色のない臨場感のあるバーチャル旅行体験を、高齢者なども含んだ多くのユーザーに提供することができるでしょう。
参考文献
・Matsuda, Y., Nakamura, J., Amemiya, T., Ikei, Y., & Kitazaki, M. (2021). Enhancing Virtual Walking Sensation Using Self-Avatar in First-Person Perspective and Foot Vibrations. Front. Virtual Real. 2:654088, 1–11 doi: 10.3389/frvir.2021.654088
・Kitazaki, M., Hamada, T., Yoshiho, K., Kondo, R., Amemiya, T., Hirota, K., & Ikei, Y. (2019). Virtual walking sensation by prerecorded oscillating optic flow and synchronous foot vibration. i-Perception. 10:5, 1–14. doi:10.1177/2041669519882448
この記事を書いた人
- 東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了(2014年)、博士(工学)。その後、同大学院総合理工学研究科産学官連携研究員、東京海洋大学学術研究院博士研究員、豊橋技術科学大学大学院工学研究科研究員を経て、2020年3月より同大学院工学研究科特任助教として勤務。専門は、実験心理学(視覚)およびバーチャルリアリティ。バーチャルリアリティでの体験が、人の心理・行動にどのような影響を与えるかに興味を持つ。