メスコオロギはオスの奏でる歌に誘われて近づいていく

交配相手を見つけ出しそれに近づいて行くことは、あらゆる動物にとって最も重要な行動のひとつです。異性を呼び寄せ、接近の手掛かりを与えるために、動物たち(多くはオス)は匂いや音、そして視覚的に目立つ色や装飾などを示します。

コオロギではオスが前翅をこすり合わせて音を出し、それが一定の音の周波数と発生パターンを持つ「誘引歌」として、メスに認識されます。メスはこの誘引歌に引き寄せられ、オスに近づいていきます。このメスの行動は「音源定位」と呼ばれ、古くから神経行動学のモデルとして長いあいだ研究されてきました。

フタホシコオロギ。左がメス、右がオス。オスは前翅を立ててこすり合わせることで誘引歌を奏でる。

メスコオロギはどのように音源にたどり着くか?

メスコオロギは前肢にある一対の鼓膜器官で誘引歌を聞きます。これまでは「より大きな音の方へターンする」という単純な反射行動の繰り返しでオスに近づいていくと考えられてきましたが、それはコオロギにトレッドミルというボールの上を歩かせて調べた結果から推測されたものでした。

実際には動物が移動することによって、音源への方向や音の大きさは刻々と変化していきますが、自分自身の動きにともなって変化していく音の情報をどのように用いているかはわかっていませんでした。それを知るためには、メスがどのように音源定位を始め、どのような行動を経て音源に近づいていくかを詳細に観察する必要があります。

そこで私たちは、遮音した実験室内の円形アリーナ(下図)を使って音源定位の様子を詳細に観察し、メスコオロギがどのような経路をたどり、どのような運動をして音源にたどり着くのかを調べました。遮音した実験室内に直径1mの円形アリーナを設置し、その中心からメスコオロギをスタートさせ、同時にアリーナの内側の壁に設置したスピーカーから人工的な誘引歌を流しました。

実験アリーナ

アリーナ全体を実験室の天井からつり下げたビデオカメラで、メスコオロギがスタートからスピーカーもしくは壁にたどり着くまでを撮影しました。その様子が下の動画です。



実験アリーナ内でのメスコオロギの動き
コオロギは中央の筒の中に閉じ込められており、実験開始と同時に筒が床下に落ちる。誘引歌は画面上に設置されたスピーカーから流れる(この動画では録音されていない)。


撮影された映像からメスの位置と頭が向いている方向を自動的に割り出して、その移動軌跡と時々刻々の移動速度や頭が向いている方向などを計測しました。さらに、誘引歌を再生するタイミングや音源位置をメスの位置や運動に応じてその場で変化させ、メスが音のどのような情報を使って音源定位の行動を行っているのかを調べました。

メスは彷徨ったあと急に接近する

スピーカーから流す誘引歌の大きさを60 dB、70 dB、80 dBの3段階で与えたところ、音が大きくなるほどより多くのメスコオロギがスピーカーの近くにたどり着きました。そこで、スピーカーの近くにたどり着いた、すなわち音源定位に成功したメスの軌跡だけに注目して、音源までの距離の時間変化を調べました。

すると、メスはスタート後しばらくスタート位置のまわりをウロウロします(彷徨フェイズ)が、ある時点から急に音源へ向かって近づいていく(接近フェイズ)ことがわかりました(下図A)。また、その近づき始める点はまちまちで、スピーカーに近い点もあればスタート位置よりも音源から遠い点もありました(下図B)。

70 dBの誘引歌に対する音源定位
A:円の中央からスタートし上方の音源±22.5°以内の範囲に到達した16個体の軌跡。円外の点は到達点を示す。色は異なる個体から得られたデータを示す。
B:Aに示した試行における音源までの距離の時間変化。×はBから算出した接近フェイズへの移行点。

音圧は音源からの距離の二乗に比例して小さくなっていきますから、接近フェイズをはじめた場所で聞こえる誘引歌の大きさもバラバラだということになります。つまり、その場で聞いている誘引歌の大きさがメスコオロギの接近の開始を決めているのではなかったのです。

では、誘引歌を聞き続けたことが「接近フェイズ」を開始させるのでしょうか? このことを調査するため、スタート位置にメスをとどめたまま、しばらく天井に設置したスピーカーから誘引歌を流し、誘引歌を聞いている状態でスタートするメスの行動を観察しました。もし、メスが接近フェイズを開始させるためにある程度誘引歌を聞き続ける必要があるなら、あらかじめ聞いていた場合の方が早く接近フェイズを始めるはずです。

しかし、予想とは反対に、先に聞かせた場合の方がさまよい歩く時間が長くなり、接近フェイズに入る時間が遅れました。これは天井からの指向性を持たない誘引歌を聞くことによって、メスが音源位置を認識するのに時間がかかってしまったものと考えられます。

すなわち、メスの音源定位には少なくとも2つの行動フェイズ(彷徨フェイズ・接近フェイズ)があり、後半の「接近フェイズ」への移行は外部からの刺激に対する単純な反応ではなく、メスコオロギ内部の状態が変化して起こると考えられます。

歌が聞こえなくなると「探索フェイズ」に入る

メスが接近を開始した後まっすぐ音源に近づいていくのは、音源の方位を記憶しているからなのでしょうか? このことを調査するため、接近フェイズ中に誘引歌を白色雑音に切り替えて、どのような行動をとるかを観察しました。

すると、途中で雑音に切り替えたメスでは音源に辿り着ける割合が減っただけではなく(下図A)、終始雑音を聞かせたものよりも、壁に辿り着くのに時間がかかったのです。しかも、より頻繁にGo-Stopを繰り返す小刻みな歩行を示しました(下図B)。

つまり、メスは音源位置を記憶しているわけではなく、誘引歌を途中で失うと彷徨フェイズとも接近フェイズとも違う、音源を積極的に探している「探索フェイズ」に入ってしまうことがわかりました。

接近フェイズ途中で音刺激を切り替えた場合の音源定位
A:スタートから30 cm以上離れた点(点線)で誘引歌から誘引歌に切り替えた場合(左)と誘引歌から同じ音圧の白色ノイズに切り替えた場合の軌跡。
B:切替実験における全移動時間に対する歩行時間の割合。左から、誘引歌を切替前後で一貫して壁面から提示した場合、誘引歌から白色ノイズに切り替えた場合,誘引歌の音源を壁面から天井に切り替えた場合、白色ノイズを切替前後で一貫して壁面から提示した場合。

コオロギは歩きながら音源の方向を認識する

メスコオロギは自発的な歩行か音源定位かに関わらず、歩いたり止まったりを繰り返しながら移動します。そこで、観察しているビデオカメラの動画からメスの運動を検出し、歩行しているあいだだけ、もしくは止まっているあいだだけ誘引歌を流しました。

その結果、歩行中のみでも停止中のみでも、定位率はやや落ちるものの音源にたどり着くことができました。つまり、メスは運動しているあいだも止まっているあいだも誘引歌の音源方位を認識し続けていることを意味します。

さらに、歩行中と停止中に誘引歌を壁もしくは天井に設置したスピーカー間で切り替えて流したところ、歩行中に壁から流した場合の定位率は、壁からずっと流し続けた場合と同程度向上しましたが、停止中の場合は変化しませんでした。すなわち、歩行中に聞いた誘引歌の方が音源定位には重要であることがわかりました。

今後の研究への展望

今回の研究では、メスコオロギが誘引歌をたよりにオスに近づいていく行動は、単純な音に対する反射の繰り返しではなく、複数の行動フェイズから構成される複雑な過程を踏むものであり、その行動フェイズ間の移行は、外部からの刺激だけではなく、コオロギの内部状態にも依存することがわかりました。より効率的にオスに出会うためには、環境に合わせていくつもの方略を使い分けることが有効ですが、まずなによりもメスが「その気になる」ことが重要なのかもしれません。

私たちの研究グループは、音源定位のほかに捕食者に襲われたときの逃避行動など動物の生得的な行動をモデルとして、状況に依存した行動切替やそのための複数の感覚統合の神経メカニズムに関する研究を進めています。今後は、神経解剖学や神経生理学的な知見を積み重ねることによって、「状況を把握し、それに応じて適切な行動を切り替えるための神経メカニズム」の解明につながることが期待できます。

参考文献
Hommaru, N., Shidara, H. Ando, N and Ogawa, H. (2020)
Internal state transition to switch behavioral strategies in cricket phonotaxis behavior. Journal of Experimental Biology, 223: jeb229732
DOI: https://doi.org/10.1242/jeb.229732

この記事を書いた人

小川 宏人
小川 宏人
1965年兵庫県生まれ。1992年岡山大学大学院自然科学研究科修了。博士(理学)。富士通研究所研究員、JST・ERATO研究員、埼玉医科大学講師、北海道大学大学院理学研究院生物科学部門准教授を経て、2016年より同教授。
専門分野は行動神経科学、神経行動学、神経生理学。コオロギを材料にして、さまざまな行動実験装置と電気生理学・光学計測を組み合わせて、動物の外界の知覚や環境に応じた行動発現のメカニズムを研究しています。
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https://www.sci.hokudai.ac.jp/~hogawa/