1600年にイギリスから日本へ渡った三浦按針

ウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針)は、1564年にイギリスのジリンガムで生まれました。34歳のとき、航海士としてオランダ船に乗って極東を目指しましたが、航海は困難を極め、5隻からなる船団で出航したなかで唯一リーフデ号に乗っていた僅かな生存者だけが1600年に現在の大分県に漂着しました。

アダムスは徳川家康に外交顧問として重用され、通訳や大型船建造を任せられるなど活躍の場を得ました。その功績によって旗本に取り立てられ、苗字・帯刀を許されただけでなく、領地も与えられました(the first SAMURAI from England)。「按針」は水先案内人を意味し、「三浦」は領地の相模の国・三浦郡(現在の横須賀市)に由来します。

1609年には現在の長崎県平戸市でイギリス商館の開設にも尽力しました。1614年、アダムスはクローブ号でイギリスに帰国する機会を得ましたが、日本に留まることを選び、1620年5月16日に平戸にて55歳で亡くなったと伝えられています。

伝・三浦按針墓の再発掘と出土した人骨

徳川幕府は、家康の死後、鎖国政策を取り、1637年の島原の乱以後のキリスト教弾圧のなかで外国人墓地の破壊が行われたため、アダムスの埋葬地の正確な場所ははっきりしませんでした。しかし、平戸市内にはその遺骸を埋葬したとされる「伝・三浦按針墓(改葬墓)」がひっそりと守り伝えられてきており、1931年にその墓から遺骨の一部が発掘されました。1931年の発掘では、その後、埋め戻されましたが、2017年に平戸市教育委員会によって再発掘が行われ、陶器製の壺に入った人骨が見つかりました。

長方形の墓坑が検出されましたが、被葬者を特定できる副葬品は残っていませんでした。1931年に発見された墓坑は直方体であったため、寝棺を使用したものと考えられました。また、頭と脚の骨の配置から、江戸時代では西洋人かキリスト教徒に限られる「伸展葬」で埋葬されていたと考えられます。骨片は頭蓋、下顎骨、大腿骨、脛骨のそれぞれ一部で、遺存していた骨は1931年の発掘記録と矛盾はありませんでした。伝・三浦按針墓から出土した人骨の部位を下図の水色で示しています。

伝・三浦按針墓から出土した人骨(Mizuno et al, 2020より抜粋)

ミトコンドリアDNAから出自を探る

DNA分析には、右側頭骨錐体部をもちいました。保存状態は非常に悪かったため、表現型に関する情報や一塩基多型分析のための十分なDNA情報を得ることは困難でした。古人骨DNAの保存状態は、死後の経過時間に加え、温度、湿度をはじめとするさまざまな環境に大きく依存しており、抽出できたDNAに含まれる”本人由来のDNA”の割合は1%にも満たないことが多く、99%以上は土壌菌などの混入DNAです。そこで、次世代シーケンスとターゲットエンリッチメント(特定のDNA領域を選択的に濃縮する実験手法)を組み合わせることによって、ミトコンドリアDNA全長16569塩基のうちの96.4%を決定するに成功しました。

ヒトのDNAは、細胞の核とミトコンドリアに存在します。ミトコンドリアDNAは、母親から子に受け継がれます。その塩基配列は個体間で大きな違い(多様性)が観察されますが、ミトコンドリアDNAは組換えを経ることがないため、個体間の違いは突然変異のみによると考えることができ、人類進化研究の遺伝的指標として活用されてきました。具体的には、その塩基配列に基づいて、大きくいくつかのハプログループに、そして、各ハプロタイプへと分類されています。これらハプログループやハプロタイプの割合は世界各地の人類集団に大きな違いがあります。たとえば、日本人で観察されるハプログループは、割合の大きな順に、D, M7, B, F, G, A, N9, M9, M8, Z, Y, U, C等が挙げられます。

人骨から取得したミトコンドリアDNA情報から、ハプログループH1e2bであると推定できました。下図は人骨のミトコンドリアDNA配列と、世界中の多様なハプログループ57配列(L, M, A, B, C, D, E, F, G, H, I, J, L, M, N, O, P, Q, R, S, T, V, W, X, Y, Z)を合わせて描いた最大節約法による系統樹を示しています。この人物のもつミトコンドリアDNA配列は、ハプログループHに最も近縁であることがわかります。ハプログループHはヨーロッパで非常に高頻度に観察されており、現在の西ユーラシアの多くの地域で40%以上を占めています。イギリスを含む、西ヨーロッパならびに北ヨーロッパ集団の特徴であるため、この人物がヨーロッパを出自とすることが示唆されました。

当該人物のミトコンドリアDNA配列と、世界中の多様なハプログループの配列を合わせて描いた最大節約法による系統樹(Mizuno et al, 2020より抜粋)

骨コラーゲンから年代と食性を分析

人骨から抽出した骨コラーゲンを用いて放射性炭素年代を求めた結果、410±30年BPでした。実際の年代を推定するために較正を行って得られた年代は「1620年5月16日、平戸で死去した」記述と矛盾はありませんでした。

さらに、骨コラーゲンを用いた炭素・窒素安定同位体比を求めました(下図)。炭素・窒素安定同位体比は、生前に摂取した食物の同位体比が反映されるため、生前の食性を推定できます。具体的には、摂取したタンパク質の同位体比を反映します。また骨の置換速度は10年以上になるので、10年以上の長期間における平均的な食性(食生活の様子)を知ることができます。江戸時代の人骨170個体を比較対象として同位体比をプロットしたところ、そのクラスターの中に入りました。

人骨から抽出されたコラーゲンの炭素・窒素同位体比(Mizuno et al, 2020より抜粋)

この結果から、この人物は、江戸時代の日本人の食生活に馴染んでいた、言い換えると、長期間にわたり、死亡するまで日本に居住し、そして当時の日本人と同様の食生活をしていたと考えられます。20年にわたり日本で生活し、亡くなった三浦按針のヒストリーと一致しています。得られた分析結果から総合的に考えると、これらの人骨は三浦按針のものである蓋然性が高いと結論づけられました。

横断的な分析で明らかになるヒストリー

私たちは今回、伝・三浦按針墓から出土した人骨が「どのようなヒストリーをもつ人物であったか」に関する知見を得るために、DNA分析、放射性炭素年代測定、炭素ならびに窒素の安定同位体比等の科学分析を行いました。埋葬状況を含め、これらのさまざまな情報を総合的に捉えることで、人骨の出自、死亡時期、生前の食生活等に関する知見が得られ、三浦按針その人である可能性が高いとの結論を得ました。人骨の保存状態は極めて悪かったため、DNA分析のみから個人同定をすることは困難でしたが、埋葬状況、年代測定、安定同位体分析等を加えた多角的な視点で考察することで、蓋然性のある結論を導くことができました。

本研究では、非常に保存の悪い人骨であっても、多様な科学分析を横断的に駆使することで個人同定に至ることが可能であることが示しましたが、ここで用いた研究手法はさまざまな分野に応用可能であると考えています。

参考文献
Mizuno, F., Ishiya, K., Matsushita, M., Matsushita, T., Hampson, K., Hayashi, M., Tokanai, F., Kurosaki, K., and Ueda, S. “A biomolecular anthropological investigation of William Adams, the first SAMURAI from England” Scientific Reports 10, 21651 (2020).
DOI: https://doi.org/10.1038/s41598-020-78723-2

この記事を書いた人

水野 文月
東邦大学医学部法医学講座 助教
博士課程から現在に至るまで、次世代シーケンサをもちいた古人骨DNAの分析に取り組んでいます。