無数の電子の協力現象「量子液体」 – 人工原子×数理的アプローチで、その隠された性質に迫る
私たちは、量子液体と呼ばれる無数の電子の協力現象について数理的な手法を用いて調べることで、その新しい性質を明らかにしました。本稿では、この研究の成果とその背景にある多数の電子による協力現象について、物質の物理学のおもしろさを交えつつお話していきます。
物質の性質の起源を探るには?
わたしたちの身の回りにはさまざまなものがあり、それがなぜそのように振る舞うのか不思議なことで溢れています。その疑問を解き明かそうとするとき、多くの場合は、”もの”を分解してその構成要素の性質を調べることになります。そして、次々と要素還元していくと、ほとんどのものは原子にたどり着きます。では、原子の性質が理解できれば、すべての物の性質がわかるようになるのでしょうか?
単純に要素をレゴブロックのように組み合わせることで、構造体の性質がわかる場合もありますが、多数の構成要素が協調することで、思いがけない性質が現れることがあります。たとえば、水分子は寄り集まることで温度や圧力などの条件によって固体、液体、気体の3つの形態を取ることができます。これは多くの物質に見られる性質で、構成要素の性質ではなく、多くの要素が集まり協調することに起因しています。
物質中では、無数の要素が互いに協調、干渉しあっているため、その性質の起源を明らかにすることは非常に難しい問題として立ちはだかっています。特にこの問題は「多体問題」と呼ばれ、物理学の主要な研究課題となっています。
電子は金属中で「量子液体状態」になる
次に金属の性質についてお話します。金属中では、電子による「多体効果」が起こります。特に電子は日常で見られる粒子の性質とは大きく異なった量子力学的性質を備えた粒子(量子)であることに起因して、興味深い多体効果を起こします。
金属には電気を流したり、磁石になったり、光沢があったり、触るとひんやりとするなどの特徴があります。こういった金属の性質は日常のあらゆるところで利用されていて、欠かすことのできないものとなっています。
これらの金属の性質の起源を考えるため、金属の塊の中の様子を考えます。まず金属の塊の中では、金属原子が整然と並んでいます。原子はすべて、陽子と中性子でできた原子核とその周りを周回する電子でできています。特に金属原子の電子の一部は金属の塊の中を動き回ることができます。そして、この動き回っている多数の電子が金属の性質の決定に大きく寄与します。
電子は負の電荷を持っているため、この金属中を動き回っている電子のあいだにはクーロン力による斥力が働きます。金属中の電子の運動は無数の電子とそのあいだに働く無数のクーロン斥力による複雑な相互作用によって決まるため、具体的に1つひとつの電子の運動を解き明かすことは非常に難しい問題です(下図左の青色部分)。
しかし、電子の集団としての量子力学特性により、金属の外界から作用による応答(電圧を印加する、温度を変化させる、光を当てるなど)は、多くの性質が重くなった電子の相互作用を感じない自由な運動によって説明できます。そして、その他の性質も、2つの電子間にのみ働く弱い相互作用によって簡単に説明できることが20世紀半ばに明らかにされました(下図の赤色部分)。
このように相互作用する電子などの量子の協調現象によって形成された状態は「量子液体」と呼ばれ、特にここで説明した金属中の電子の多体効果は「フェルミ液体」と呼ばれています。
同じ量子液体でも、電気抵抗ゼロのような顕著な性質を示す超伝導に比べ、フェルミ液体は地味かもしれません。しかし、私たちの周りには金属を利用したもので溢れていて、それらを安心して使えるのはこのフェルミ流体の理論があるからと言っても過言ではないでしょう。
物質の性質の起源を明らかにすることはそれ自体がおもしろいですが、さらに明らかになった機構を利用することで、新しい物質を作り出すことにも繋がります。
人工原子を用いて量子液体を制御する
新しい物質の性質を創り出すためには天然の物質を組み合わせるだけでは限界がありますが、物質の性質を持った微細素子を人工的に加工し、それを組み合わせて自在に制御することで、量子液体の隠されていた性質に迫ることができるようになりました。
量子力学的な性質を備えた人工物質を作る典型的な方法には、半導体などの物質をナノメートルサイズで加工した素子の回路を用いる方法があります(下図)。数10nm程度の半導体などでできた素子に電子を閉じ込めると(下図の黄色部分)、狭い領域の閉じ込めに起因して量子力学的性質が顕著になります。このときの電子は、原子の中で陽子の正電荷によって補足された電子とよく似た状況になり、素子は原子とよく似た性質を示すことから「人工原子」と呼ばれています。
この人工原子は絶縁された電極(ゲート電極、下図の赤色部分)を取り付けて電位を制御することで、人工原子中の電子の数などを変え、“原子“としての性質を変化させることができます。この性質により、人工原子は量子コンピュータの量子ビットを生成するための素子として利用される研究も進んでいます。
人工原子にさらに絶縁されていない金属の電極を2つ取り付けます(下図青色部分)。この2つの電極間には電圧を印加して、電流を発生させます。この電流には人工原子の電子状態が反映されるため、電流の観測を通じて人工原子の特性を調べることが可能になります。
人工原子の中の狭い領域に閉じ込められた電子には非常に強いクーロン斥力が働きます。人工原子に閉じ込められた有限個の電子だけでは多体効果を起こし量子液体状態を実現することはできません。そこで、人工原子に電極を繋ぎ、−273℃付近の極低温まで冷やします。すると電極中の電子は人工原子の強いクーロン斥力を介して多体効果を起こします。その結果、人工原子の量子液体状態(フェルミ液体)が実現します。
このフェルミ液体が実現すると人工原子の磁気的性質が電極の電子により遮蔽されて消失するという特徴があります。また、人工原子の磁気的性質は実現する量子液体状態の安定性に強く関連しています。
電流と電流ゆらぎに現れる新しい量子液体効果
人工原子に取り付けられた2つの電極に電圧を印加すると、人工原子の量子状態を介した量子トンネル効果により電流が発生します。そのため、人工原子に形成された量子多体状態の特徴が電流に強く反映されます。
また、超高感度の電流測定を行うと電流のノイズが観測されます(下図)。電流ノイズは、一見すると邪魔で必要のない量のように思えます。しかし、電流ノイズからは、平均されてしまった電流からは得られない重要な情報を得ることができます。たとえば、電流ノイズからは量子多体効果によって形成された倍電荷や分数電荷が実験でも観測されてきました。人工原子のフェルミ液体では相互作用した電荷の倍電荷と単電荷の混合状態によって電流が起こることが、近年実際に実験で検証されました。
人工原子で起こる量子液体は、物質の性質を決める最も基本な多体効果であるため、60年近くにわたり徹底的に研究されてきました。しかし、強い磁場が印加したり、人工原子の電子状態を電気的に制御することで人工原子の持つ数学的対称性を破った場合、フェルミ液体がどのように振る舞うのかは長く未解明の重要な問題でしたが、ごく最近になって数理的に解明されました。今回、私たちは数理的な手法を用いて、従来のフェルミ液体には現れなかった3つの電子状態間の相関(下図)が、電流や電流ノイズの振る舞いに重要な役割を果たしていることを明らかにしました。
無数の電子が相互作用して量子液体状態を形成しているのですから、既知のフェルミ液体を超えてもまだ3つの電子の相関までで説明できることは驚くべきことです。この新しい量子液体特性は、カーボンナノチューブを用いた人工原子と−273℃付近の極低温の冷凍機を利用して、実験でも検証されつつあります。
量子液体の研究の展望
今回の研究成果によって、人工原子の量子液体の長年未解決であった基礎的な問題の理解が深まることで、電子の多体効果が現れる物質の研究に広く波及し、新機能材料の創出に繋がると考えられます。また、人工原子は量子力学的性質を利用した次世代のトランジスタや、量子コンピュータの素子として研究開発が進められています。人工原子の磁気特性と多体効果の関連を明らかにすることでその動作特性が明らかになり、素子としての応用にも寄与するものと考えられます。
さらに私たちはこの研究から、量子液体の基礎的な理解の進展とそれを検証するための現実的な方法を示すことができました。とくに量子液体では、無数の電子のあいだで相互作用しているにも関わらず、たった3つの電子の状態間の相関までしか現れないことは驚くべきことです。そしてそれを電流や電流ノイズの観測によって実際に観測できることがわかりました。
物質の持つ性質の起源を探り、明らかにしていくことは、やや複雑で一見すると専門家向けの問いかけに見えてしまうことも多々あります。また、応用とも強く関連しているため、どのように役に立つかに興味を持たれることも多いです。しかし、その複雑に絡み合って起きている物理現象がごく単純で簡明に説明できてしまうことが多々あり、それ自体が不思議なことでもあり、この研究の楽しさでもあります。量子の多体状態の物理に少しでも興味を持っていただけると嬉しく思います。
参考文献
・“Fermi Liquid Theory for Nonlinear Transport through a Multilevel Anderson Impurity”
Yoshimichi Teratani, Rui Sakano, and Akira Oguri, Phys. Rev. Lett. 125, 216801 (2020).
DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.125.216801
・“Universality of non-equilibrium fluctuations in strongly correlated quantum liquids”
Meydi Ferrier, Tomonori Arakawa, Tokuro Hata, Ryo Fujiwara, Raphaëlle Delagrange, Raphaël Weil, Richard Deblock, Rui Sakano, Akira Oguri, and Kensuke Kobayashi, Nature Physics 12, 230–235 (2016).
DOI: https://doi.org/10.1038/nphys3556
この記事を書いた人
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阪野 塁(写真左)
東京大学 物性研究所 助教
大阪大学工学部応用物理学専攻博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員、東京大学工学研究科特任研究員を経て、2012年より現職。
多体効果を引き起こす量子もつれ状態の形成に興味がある。趣味としては深層学習を用いた将棋の解析に興味がある。
小栗 章(写真中)
大阪市立大学理学研究科および大阪市立大学NITEP 教授
名古屋大学理学研究科物理学専攻修了後、同大学工学部 助手、大阪市立大学 講師、助教授を経て、2003年より現職。
量子ドット系の非平衡近藤効果を中心に、固体中で膨大な数の電子が相互作用することによって実現される、量子凝縮状態の普遍的な性質に興味を持っている。特に、量子ドット等のメゾ・ナノスケール系の非線形輸送現象の低エネルギーに振る舞いについて理論研究を進めている。
寺谷 義道(写真右)
三重大学工学研究科 研究員
大阪市立大学理学研究科数物系専攻博士課程修了後、同大学理学研究科博士奨励研究員、日本学術振興会特別研究員を経て、2020年より現職。
メゾスコピック系を舞台として、その低エネルギー励起状態の性質に興味を持っている。具体的には、量子ドット系や超伝導量子ビットの輸送現象を、非平衡グリーン関数およびそれに基づいた数値計算により研究している。特にカーボンナノチューブ等で実現している、縮退した局在準位を持つ系の近藤効果における多電子相関の解析を進めている。