西部北太平洋は豊饒の海

日本が面する西部北太平洋は、サケ・マスをはじめ多くの魚が獲れる海域として知られています。この西部北太平洋は、全海洋の面積の6%を占めるに過ぎませんが、全海洋の水産資源の26%を生み出すと見積もられています。また西部北太平洋は、生物活動による大気から海洋へのCO2の吸収-放出量の変動が世界的にも最も大きな海域であり、気候変動とも密接に関わっています。

どのようにして豊かな海が生まれるのか?

なぜ、西部北太平洋では豊かな生物活動が生み出されるのでしょうか? 我々の研究グループでは、この「海の豊かさを生み出す仕組み」を解明するための研究に取り組みました。西部北太平洋が高い生物生産を生み出す仕組みを理解するためには、植物プランクトンの増殖量を決めている硝酸塩、リン酸塩、珪酸塩などの栄養塩と、微量栄養素である鉄分の供給量や供給過程を明らかにしていかなければなりません。

栄養塩は植物プランクトンを含む生物の死骸などの有機物が沈降し分解されていく過程で、海洋の深層水に蓄積されます。これまで北太平洋は、深層水が表面にまで運ばれている地球規模の海洋コンベアベルトの出口として捉えられ、漠然と「栄養塩が深いところから供給されている海域である」と認識されてきました。確かに北太平洋亜寒帯域の表層には栄養塩が豊富に存在しています。

(左)W.S. Broeckerの提唱した海洋コンベアベルト(Oceanography, vol 4, No.2, 1991)
(右)海洋表層の栄養塩(硝酸塩)濃度(World Ocean Database 2013参照)

しかし、一般的に密度成層の強い海洋において、深いところにある重い水は、より浅いところにある軽い水と入れ替わることは難しく、深層の栄養塩が表層に回帰する仕組みはそう単純ではありません。実際は「どこでどのような物理的プロセスを介して深層の栄養塩が表層にもたらされ、どのようなルートを介して西部北太平洋に移送され、生物生産に結びついているのか」についての科学的知見が欠落しているのです。

また、植物プランクトンにとって必須微量栄養素である鉄分は、これまで大気ダストとして運ばれてくると考えられてきました。しかし、北太平洋の生物生産には大気ダスト由来の鉄分の供給では説明のつかない季節変動がみられ、北太平洋における鉄分の供給過程については議論が続いています。この海洋コンベアベルトの終着点の栄養物質循環の実態を捉えるためには、オホーツク海やベーリング海など北太平洋を取り囲むすべての海で、栄養物質の混合過程や、大陸棚からの鉄分の流出など鍵となるプロセスを把握する必要がありました。

オホーツク海・ベーリング海での国際共同観測が突破口に

オホーツク海・ベーリング海は、北太平洋の縁に位置しており、「縁辺海」とよばれる海です。縁辺海内部の陸棚斜面や周辺の海峡部には、潮汐による海水の動きと地形が相互作用することで大規模な混合が生まれる可能性があります。

しかし、縁辺海の大部分は他国の排他的経済水域であるため、これまで観測は著しく制限され、混合や栄養物質の循環に関わる十分なデータが得られていませんでした。そのため縁辺海で起こる混合過程が北太平洋に果たす役割はわかっていませんでした。

そこで我々の研究グループは2006年から2018年にかけて、日露の国際共同研究としてオホーツク海やベーリング海とその周辺海域における観測航海を6回実施しました。得られたデータを、日本独自の観測航海で20年以上かけて取得したデータと統合することで、各国の境界をまたいで北太平洋の全体像を捉えることができるデータセットを構築しました。

(左)観測を実施したロシア研究船 プロフェッサー・マルタノフスキー号
(右)日本の研究船 白鳳丸
(左)採水システム (右上)乱流パラメータの観測 (右下)日露共同観測

中層水の形成と海峡部での鉛直混合の重要性を発見

これらの観測で得られたデータを解析したところ、北太平洋亜寒帯域全域の中層(数100m〜1000m付近)には、表層の植物プランクトンの死骸などの有機物が分解することで生まれた硝酸塩やリン酸塩が高濃度で蓄積している(プールされている)ことが示されました。

また、北太平洋と縁辺海を隔てる千島列島周辺やアリューシャン列島周辺で、海がどれだけ混合しているかの指標となる乱流パラメータを測定したところ、これらの海峡部では周囲外洋域より2~4桁大きい鉛直混合が存在することが示されました。

また、我々の構築したデータセットの解析によると、オホーツク海で海氷(一般的には流氷とよばれる海の氷)が作られる際に形成される重たい水が駆動する中層の循環にのって、オホーツク海の北西部大陸棚から植物プランクトンの必須微量栄養素である鉄分が西部北太平洋に運ばれていることも明らかになりました。

(左)中層(500~800m付近)の栄養塩濃度(リン酸塩)
(右)溶存鉄濃度3D分布:オホーツク海から溶存鉄が北太平洋に出ていく様子

これらの結果、縁辺海の縁に存在する大規模な鉛直混合が、密度成層を壊して海を混ぜることによって、中層水から表層への鉄や硝酸塩などの物質移送を介して、北太平洋表層の高い栄養塩濃度を維持するために重要な役割を果たしていることが解明されました。

北太平洋の栄養物質循環像が地球規模での物質循環を理解する鍵に

上述のとおり、これまで北太平洋は海洋コンベアベルトの終着点と考えられてきましたが、どのようなメカニズムを経て海洋表層に窒素やリンなどの栄養塩が供給され、生物活動が維持されているのかは良くわかっていませんでした。

本研究で我々は、これまでに予想されていた、深層に蓄積されている栄養塩が直接表層の高緯度海域を肥沃にしているという考えをくつがえし、ベーリング海で形成される中層水の栄養塩プールの形成と海峡部で起こる混合が、深層と表層の栄養塩をつなぐ重要な役割を果たしていることを明らかにしました。また、中層水由来の栄養塩とオホーツク海から流出する鉄分が混合されることで、西部北太平洋の生物生産が高い状態で維持されていることも解明されました。

明らかになった北太平洋の溶存鉄と栄養塩の循環像

本研究で見えてきた北太平洋の栄養物質循環像によって、地球規模の海洋物質循環を解明するうえで鍵となるエリアの理解が大きく進むことが期待されます。さらに、今後、海洋における炭素循環、栄養物質循環、生態系の気候変動に起因する変化を理解するうえで欠かせない知見になると考えられます。

参考文献

Nishioka, J. H. Obata, H. Ogawa, K. Ono, Y. Yamashita, K. Lee, S. Takeda, I. Yasuda,, Subpolar marginal seas fuel the North Pacific through the intermediate water at the termination of the global ocean circulation, Proceedings of the National Academy of Sciences. 117 (23), 12665-12673 (2020).

この記事を書いた人

西岡純
西岡純
北海道大学 低温科学研究所 環オホーツク観測研究センター 准教授。
北海道大学大学院水産学研究科水産化学専攻博士前期課程修了後、電力中央研究所を経て、2005年より現職。博士(水産科学)。専門は化学海洋学。主に寒冷圏の海洋の生物生産を支える栄養物質の循環の解明に取り組んでいます。