かつて火星は“生命の惑星”だったのか?

夜空を見上げると、赤く輝く火星の存在に気づくことがあると思います。遥か昔、この火星は赤くは見えなかったことをご存知でしょうか?

現在の火星は、地表の平均気温約-60℃と非常に寒く、ごく薄い二酸化炭素の大気と、乾燥したレゴリスに覆われています。水(H2O)は、氷とわずかな水蒸気としては存在するものの、液体の形では安定に存在できません。さらに、地表には過塩素酸などの強酸化剤が存在し、あらゆる物質を酸化して(赤く錆びさせて)しまううえ、宇宙からは強力な宇宙線や紫外線が降り注いでいます。生命にとっては極めて過酷な環境といえるでしょう。

しかし、地質時代区分でノアキアン(Noachian;約45〜37億年前)、ヘスペリアン(Hesperian;約37〜30億年前)と呼ばれる時代の火星には、海、湖、河川などの表層水および地下水が断続的に存在したと予想されています。はたして、当時の火星は生命の誕生と発展に適した環境(生命居住可能;ハビタブル)だったのでしょうか?

最近の探査研究および地球外物質の研究から、太古の火星には、水のみならず有機物も存在したことがわかってきました。有機物は、地球生命の基本的な材料です。火星における有機物の存在は、必ずしもそれ単独で火星生命の証拠にはならないものの、かつてのハビタビリティを理解するための重要な手がかりです。この有機物がいつ・どこから供給され、どのように振る舞い、どう保存されてきたのか、は未だ解明されていません。

私たちの研究グループでは、火星から来た岩石(火星隕石)が記録する化学情報に注目しました。太古の火星の石へ最先端の化学分析技術を駆使して、複雑な「火星史のパズル」に重要な1ピースを提供しようと試みました。

太古の火星の想像図 (c) NASA/GSFC

唯一の手がかり– 40億年前の火星隕石

火星隕石とは、かつての火星のマグマから作られた岩石(火成岩)が、その後の天体衝突などで火星重力圏から飛び出し、地球へ飛来したものです。現状唯一の「地球上で手に入る火星物質」であり、惑星科学の発展に大きく貢献してきました。

1984年に南極のアラン・ヒルズ(Allan Hills)地域で回収された隕石アラン・ヒルズ84001は、特に重要でエキサイティングな火星隕石でした。この石は、40億年前に火星の塩水から析出した炭酸塩鉱物の微細粒子を保持していたのです。40億年前、すなわちノアキアンは、火星がハビタブルだったかもしれない時代です。当時の火星に何らかの地質活動、あるいは、生命活動があれば、その痕跡はこの炭酸塩鉱物に刻まれているかもしれません。

発見から約30年にわたり、世界中の隕石研究者がこぞってこの火星炭酸塩鉱物を調査してきました。しかし、過去の研究で主流であった破壊分析法1では、南極由来の水や有機物、実験過程での付着物などが隕石へ混入してしまうという“汚染”の問題が深刻でした。これでは、隕石が本来持つはずの火星の記憶が判別できなくなってしまいます。

アラン・ヒルズ84001の岩片写真(左)と、枠で囲んだ領域を拡大した光学顕微鏡写真(右)。灰色〜灰褐色をした母岩(ケイ酸塩鉱物)の上に、オレンジ色の炭酸塩鉱物の粒々が偏在している。Koike et al. Nature Communications (2020)のプレスリリース資料より。

最先端の分析技術を最古の火星の石へ

過去の研究から、アラン・ヒルズ84001の炭酸塩鉱物が少量の有機物を不純物として含むことが知られていました。しかし、上述した汚染の問題のため、この有機物が火星由来か地球のものかは決着がついていませんでした。

ところで、窒素(N)は、アミノ酸や核酸などといった地球生命の必須材料を構成する元素です。同時に、窒素は地球や火星の大気圏–水圏–岩石圏–生命圏の相互進化を探る指標(トレーサー)の役割も果たします。このように重要な窒素ですが、化学分析の技術的なハードルが高いため、火星隕石に対する非破壊分析は成功していませんでした。窒素の非破壊分析を実現し、汚染の問題を克服できれば、火星の古環境変動やハビタビリティの解明に大きく貢献できるはずです。

私たちの研究グループは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、海洋研究開発機構(JAMSTEC)、大型放射光施設SPring-8、東京工業大学の最先端機器と技術を利用して、10分の1mmほどの微小な炭酸塩鉱物中の窒素を“その場”で調べる「局所非破壊分析法」を新たに開発しました。これにより、困難を極めていた火星の有機物の探求を一歩前に進めることができました。

隕石の表面には、南極や実験室(および、その途中の輸送過程)由来の地球物質がたくさん付着しています。これが分析時に混入すると、結果が汚染されてしまいます。汚染を軽減するため、私たちは、隕石内部の炭酸塩鉱物“のみ”を取り出し、さらに特殊な装置を用いて鉱物表面の付着物を除去しました。

この鉱物に、SPring-8の放射光を利用して100分の1mmほどにまで細く絞ったX線を照射し、炭酸塩鉱物が吸収したX線エネルギーを解析することで、不純物としてごくわずかに含まれる火星の窒素の化学状態を推定しました。

特殊な手法を用いて、アラン・ヒルズ84001の炭酸塩鉱物の粒をメタル両面テープ上に採取・加工した(左)。この試料に放射光を利用した局所非破壊分析を行うことで、窒素のX線吸収スペクトル(中央、右)を得た。上3つのスペクトルが炭酸塩鉱物(Crb-1-3)、下は参照試薬など。水色の網掛け部分が、有機分子に特徴的な吸収エネルギーに相当する。Koike et al. Nature Communications (2020)のプレスリリース資料より。

太古の有機物から描かれた“赤くなかった”火星の姿

その結果、この炭酸塩鉱物中の窒素が有機分子の形をとっていることがわかりました。炭酸塩以外の試料での比較対照分析では有機分子が検出されなかったことから、地球物質による汚染ではなく、40億年前の火星由来の有機窒素化合物だろうと推測できます。

一方、同じ炭酸塩鉱物から無機的な硝酸塩は検出されませんでした。現在の火星の表土には、窒素酸化物(NOx)と岩石が反応して生成した硝酸塩が存在します。窒素酸化物は強力な酸化剤で、火星を赤く錆びさせた一因です。硝酸塩が検出されなかったということは、40億年前の火星表層は現在のように赤く錆びついてはおらず、水や有機物に富む世界だったのかもしれません。

現在の火星の過酷な環境下では、多くの有機分子は短時間で壊れてしまいます。しかし、かつての有機物が何らかのメカニズムで地下の岩石に取り込まれれば、現在まで生き残ることも可能です。今回見つかった有機窒素化合物は、40億年前に火星の表層水(または地下水)に溶け込み、水から炭酸塩鉱物が析出する際に取り込まれたことで、長期間保存されたと考えられます。その後、この炭酸塩鉱物と周囲の岩石は約1600万年前の天体衝突で火星から飛び出し、宇宙空間をさまよった後、約1万年前に「火星隕石アラン・ヒルズ84001」として地球へ届けられたのです。

火星の有機窒素化合物の元々の起源は、未だに解明されていません。考えられる可能性は、(1)宇宙から火星へ届けられたか、(2)火星上で生成されたか、の2通りです。初期の火星には、炭素質隕石2や彗星物質などの小天体が頻繁に降り注いだと予想されています。これらに含まれていた有機物の一部が、火星の水に溶け、炭酸塩鉱物に取り込まれたのかもしれません。あるいは、かつての火星の火山活動などで作られたアンモニア(NH3)が炭化水素と反応して、火星上でローカルに有機窒素化合物が生成されたのかもしれません。いずれのケースにせよ、今回の発見は、かつての火星は「赤い惑星」ではなく、より初期地球に近い環境を有していたことを示唆するものといえます。

40億年前の火星環境の予想(上)と現在の姿(下)。かつての火星に供給・生成された有機窒素化合物は、炭酸塩鉱物に取り込まれ長期保存された後、火星を飛び出し、隕石として地球へ届けられたと考えられる。 Koike et al. Nature Communications (2020)より。

火星隕石の限界の、その先へ

このような太古の火星物質が隕石として見つかるのは、実は非常に稀なケースです。大部分の火星隕石は13億〜2億年前という地質学的に“若い”岩石で、火星に液体の水があった時代の情報を持っていません。ノアキアンの火星物質が確認されている隕石は、現状で2つのみです3。さらに、この貴重な隕石も、落下〜回収までに地球の水や有機物による汚染を受けてしまっています。残念ながら、火星隕石の記憶のみから火星史を復元するには限界があるのです。

私たちの今回の研究では、分析技術の開発により汚染の低減に成功しましたが、究極的には、汚染を一切受けていない火星物質を調べることが必要です。

火星には、2つの月(フォボス、ダイモス)が回っています。この月の表面には、かつての火星への天体衝突で飛び出した火星物質が降り積もっていると予想されています。このように書くと「火星隕石」に似ていますが、「火星隕石」が火星重力圏を脱出し、地球までの長い宇宙の旅を生き残らなければならなかったのに対して、火星の物質を火星の月へ送り込むのは比較的簡単です。そのため、より多様な火星の物質がフォボスやダイモスに届いていると期待されます。

JAXAの火星衛星探査計画(Martian Moons eXploration)では、フォボスの砂を採取し、地球に持ち帰る予定です。近い将来、私たちは、火星の月を介して火星物質を手にできるかもしれません。惑星科学は「火星隕石の限界の先」へと踏み出し始めています。

参考文献
Mizuho Koike, Ryoichi Nakada, Iori Kajitani, Tomohiro Usui, Yusuke Tamenori, Haruna Sugahara, and Atsuko Kobayashi. In-situ preservation of nitrogen-bearing organics in Noachian Martian carbonates. Nature Communications. 11, 1988 (2020). DOI: 10.1038/s41467-020-15931-4.

脚注
1 隕石を加熱や酸分解で破壊し、内部に含まれる成分を調べる化学分析法。
2 はやぶさ2が調査した小惑星リュウグウのような天体から来たとされる隕石群。水や有機物を豊富に含む。
3 私たちが注目したアラン・ヒルズ84001と、2013年にサハラ砂漠で回収されたノースウェスト・アフリカ7034。

この記事を書いた人

小池みずほ
小池みずほ
広島大学大学院先進理工系科学研究科 助教。
2018年、東京大学大学院理学系研究科 博士課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員PD@宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所を経て、2020年5月より現職。隕石などの記録を手がかりに、地球や火星の環境がどのように移り変わったかを調べています。