「アイドル」とジェンダー

日本のメディアにおいて「アイドル」的な存在があらわれはじめたのは1970年代と言われています。この時期に、テレビのオーディション番組や歌番組、アイドル雑誌といったコンテンツによって、‘若くて親しみやすい’という現在の「アイドル」につながるイメージがつくり出され、若年層を中心に受容されるようになります。筆者はこれまで、こうした「アイドル」文化の黎明期の雑誌メディアを軸に、「アイドル」が社会にとってどのような意味を持ち、人びとの生活やコミュニケーションのあり方、そしてその変化とどのように関わってきたのかを探ってきました。そのなかでひとつキーワードとしてきたのは、‘ジェンダー’です。

ジェンダーとは、社会的・文化的な性差、もう少しわかりやすく言うならば、人が生まれた後に身につけていくものと考えられてきた性差のことです。それは、「男らしさ」や「女らしさ」、性別による役割分業など、社会のなかの規範、性別に応じた「こうしなければならない」という感覚のことだとも言えるでしょう。では、「アイドル」はジェンダーとどう関係があるのでしょうか。

2020年現在の日本には、マスメディアで活躍するメジャーな「アイドル」のみならず、地下アイドルやご当地アイドル、さらには2次元(アニメやゲームのなかに登場する)「アイドル」、2.5次元アイドル(マンガ、アニメ、ゲームのミュージカル版に登場する俳優を指すことが多い)等さまざまな「アイドル」(グループも含む)が存在し、「アイドル」ごとに多彩なイメージを持ったものに近年変わってきています。

しかし、その中核をなすのは未だに、年齢的に若く、容姿が優れていて、異性から好まれる、言い換えれば、「異性のファンを多く有している人気者」というものになります。それは、多くの人が社会において異性に対して期待する理想型(多くの人が考えるものとされる心地よい「男/女らしさ」)を反映している存在であるとも捉えられ、だからこそ、多くのファンを獲得することが可能になっているわけです。つまり、「アイドル」とジェンダーは切っても切れない関係にあり、ジェンダーについて考えるにあたり「アイドル」に目を向けることは示唆に富むと言えるのです。

そしてここには課題が山積しています。「アイドル」とジェンダーのかような関係性から、「アイドル」は、異性のファンに好まれるために、偏った「男/女らしさ」をあえて演出している点、ファンのなかには「アイドル」を擬似的な恋愛の対象としてみている者がいるがゆえに、過度に性的にふるまうことを強いられ、搾取されている点が特に「女性アイドル」に向けて批判されてきました。これは、ジェンダーとメディア研究という領域においては、らしさ固定批判、性的対象物(セクシュアル・オブジェクト)批判とされ、その是正が叫ばれてきたのです。

雑誌メディアのなかの「アイドル」

いわばこうしたステレオタイプ化された「アイドル」の姿を如実に映し出すのはメディアであり、筆者は特に雑誌メディアに着目しました。わかりやすい例を挙げるならば、青少年向けのマンガ雑誌や男性向け週刊誌においては、「女性アイドル」が水着やヌードに近い格好で登場し、性的対象物化されることで、発行部数の伸長が目指されています。これは、「男性=みる/女性=みられる」という固定化されたまなざしの構図の存在を物語り、男性はみる主体、女性はその客体、つまりは、男性の能動性と女性の受動性が同時に強調されていることが問題視されてきました。

昨今、紙媒体の電子化が進むなかで、出版不況が深刻化しており、出版業界は少しでも紙の売り上げを伸ばそうと戦略的に熱狂的なファンが多い=紙を購入してくれるファンを持つ「アイドル」に特化した誌面作りを推進しています。そうしたなかにあっては、益々「アイドル」のイメージは上記のようなジェンダーの課題に直面するわけですが、いくつか変化も見えてきます。

まず、「男性アイドル」も「女性アイドル」と同じように裸に近い形で誌面に登場する機会を得たこと。これは、女性向け雑誌『an・an』(マガジンハウス)においては、1990年代半ばには定期的に見られるようになっていましたが、2000年代以降は、セックス特集号において「ジャニーズ」(ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル)や若い俳優がヌードを披露することがお決まりのようになっています。

次に、「男性アイドル」が登場しなかった雑誌群において「男性アイドル」が起用されるようになったこと。元来『週刊朝日』(朝日新聞社)や『サンデー毎日』(毎日新聞社)といった総合週刊誌は、男性が主要な読者として想定されており、そのため、「アイドル」を含め若い女性タレントの表紙が目印でした。しかし、2010年代に入り、「ジャニーズ」を筆頭に、男性タレントが単独で表紙を飾ることが増えてきています。

「男性=みる/女性=みられる」構図の解消とその要因

では、こうした変化は何を意味しなぜ起こったのでしょうか。いくつかの要因が考えられます。

1点目として、「アイドル」人気、ブームに乗じて多種多様なジャンルの雑誌が生き残りのための策としてファンが多い「アイドル」を扱うようになった結果、読者の性別越境が起こったから。総合週刊誌の変化はこの要因によるところが大きいでしょう。

2点目に、ジェンダー観の変容による影響。そして特にこの点について追究してみます。ここでいうジェンダー観とは、人びとが抱えるジェンダーに対する考え方のことで、2000年代に入り、「イケメン(容姿が優れた男性)」という言葉が浸透し、男性の顔や身体が社会的視線にさらされることを意識する機会は増えつつあります。また、2000年代終わり頃からは、「草食(系)男子」が流行語として広まり、女性との恋愛やセックスに積極的ではない新しい男性像の出現が、「男性ジェンダーの揺らぎ」という言説とともに語られ始めるようになりました。つまり、男性側のジェンダー観がこれまでと変わってきたのではないかとの見方が示されます。

同時に、男性同士の恋愛や性的な関係といったホモセクシュアリティに焦点を当てたBL(ボーイズラブ)要素を含むメディアコンテンツを多くの女性が消費する姿が可視化されるようになりました。その背景として、女性は性的な事柄に関して受動的な態度である(あるべきである)という規範が疑問視され、女性の性的欲求の発露として女性向けのポルノグラフィックなコンテンツの存在が積極的に価値づけられるようになったことも一因としてあります。『an・an』においてセックス特集が開始されたのは1989年ですが、「セックスで、きれいになる。」を年に1回の企画として定番化する90年代以降、性行為(セックス)において女性が主体化されることを後押しする機能をこうしたコンテンツが果たしてきたと言え、これに「アイドル」との関わりが垣間見えることはすでに述べたとおりです。

以上から、「男性=みる/女性=みられる」構図の解消が見られるわけですが、そもそも、「アイドル」はこれまで、男性にみられる対象物と化すことが問題にされてきた一方で、男性の能動性が絶対視され、女性にまなざされる客体ともなり得る可能性自体が見逃されてきました。それゆえ、「男性アイドル」とジェンダーに関する議論が俎上に載せられることが少なかったというもうひとつの問題点がここに浮かび上がります。

今後の課題として

「アイドル」文化をジェンダーの視点から考察することによって、社会におけるジェンダー観の変容について目を向けることにつながりました。それは、「アイドル」関連の雑誌において見られるようになった「男性=みる/女性=みられる」構図の解消としてあらわれることで、一種のジェンダー平等として肯定的に捉えられる面もあります。しかし、まなざしを向けられる対象が往々にして若年層の男性に限られる傾向にあることは、これまで再三批判されてきた男性が女性を性的な対象物とみなす際に見られる共通した特徴であり、この点についてはさらなる議論を慎重に重ねる必要があります。また、「アイドル」について考えるときに、アプリオリに異性ファンをその中核として思い描くこと、それは、「アイドル」文化の根底に長らく横たわる異性愛至上主義を想起させ、これ自体を問題化していくことも今後の課題です。

参考文献
・加藤春恵子(1992)「性別分業批判・らしさ固定批判・性的対象物批判」『マスコミ市民』280, pp.71-74
・田島悠来(2017)『「アイドル」のメディア史:『明星』とヤングの70年代』森話社
・田島悠来(2020)「日本の週刊誌における男性身体の客体化 ジェンダー観の変容に着目して」『メディア学』34, pp.1-21

この記事を書いた人

田島 悠来
帝京大学文学部社会学科講師
2014年同志社大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(メディア学)。同大学創造経済研究センター特別研究員(PD)、帝京大学文学部助教を経て、2020年4月より現職。「アイドル」文化のメディア史的な研究、および、「アイドル」文化を活用した地域振興、コンテンツツーリズムに関する研究を進めている。