はじめに

本研究の対象である昆布は北海道をはじめとする限られた地域でしか採れないにもかかわらず、全国各地で古くから利用され、昆布巻きや佃煮などの食利用はもちろん、「よろこぶ」の語呂合わせから、神饌や供物、縁起物として食以外にも広く利用されてきました。特に、鏡餅やしめ飾りに注目してみると、地域によっては昆布が正月飾りを彩る重要なアイテムになっていることがわかります。

私たちは10年程前から日本海沿岸地域を主たる対象として各地の正月飾り等に用いられる昆布の調査に取り組んでいます。その結果、その利用が想像以上に多様であることがわかったほか、盆棚に昆布を用いる地域があること、昆布の食以外の利用が日本海沿岸地域以外にまで広がっていることなどがわかってきました。

以下では、クラウドファンディングプロジェクトにお寄せいただいた支援金を活用し、令和4年度に実施した山形県を対象とした調査について報告します。

 

正月における昆布の食以外の利用

1)鏡餅・お供えにおける昆布の利用

調査の結果、鏡餅やお供えに利用しないという地域が多数を占めていましたが、数は少ないもののさまざまな飾り方があることがわかりました。秋田県境に接する酒田市と真室川町では秋田県と同様に短く切った昆布を松葉や煮干し、スルメなどともに鏡餅の前や脇に添えます。また、酒田市に隣接する鶴岡市には餅の上に葉付きのみかんを載せ、餅の周りに昆布、するめ、干し柿、栗、くるみ、青豆、あられなどの縁起物をのせて床の間に飾るという事例があり、真室川町に隣接する鮭川村には三方にお供え餅、松、干柿、干魚、栗、昆布を供えるという事例がありました。

秋田の鏡餅

ところが、新庄市では昆布を下に敷き、村山市と大石田町では餅と餅の間に挟みます。また、米沢市の赤湯地域では餅の上に昆布を1枚横にして置き、その上にみかんを載せるという事例がありました。このため、これらの地域には異なる流れがあるのかもしれません。

そして、最も興味深かったのが、南陽市の事例です。「三方飾り」と呼ばれ、三方にかさね餅を飾り、その四つの角にカヤノミ、カブのきざみ、クリ、フノリ少々を供え、餅の上に昆布を輪にしてのせ、さらに干柿を上にあげ、松葉とユズを飾ったものを床の間に供えるというものでした。

福井の若狭の鏡餅

2)正月飾りなどにおける昆布の利用

新庄市、上山市、米沢市、大江町では、大黒柱などに飾る門松(松の枝)に昆布を巻きます。米沢市では、松を柱に飾るときには、松の木の切り口を昆布で包み、栗・干柿・くるみを供えます。また、高畠町には年とり行事の際に昆布を神棚に供えるという事例がありました。

このほか、南陽市や米沢市、鶴岡市には、年取り(大晦日)の夜に「オミダマ」を作り、床の間に供えるという風習があり、この「オミダマ」に干し柿、栗、かやの実、餅などともに昆布を添えます。このオミダマは年の暮れから正月に行われる『たままつり』(みたまの飯)の供物で、ご飯を直径3~4cmほどに丸く握ったものを平年は12個、閏年には13個作ります。これを五升枡に入れ、あるいは箕に載せ、割箸またはカヤ、ヨシ棒を1本15cmくらいに切って、それぞれのオミダマに刺し、仏壇あるいは神棚に供えます。

山の神を鎮守様とする小国町をはじめ、高畠町、米沢市、白鷹町の山間部、そして鮭川村の特に山仕事をやっている家では、元日の朝に一年の安全を祈願するため山の神に参拝し、ノサ(またはヌサ)を山の神の境内の木に納めてきます。このノサには麻糸、生紙、炭、干柿、餅、昆布、するめなどがはさまれます。

また、大石田町の次年子地区の円重寺に伝わる風習として、「お出かけ昆布」があります。昆布を折りたたみ、松葉を添えたものをお盆の上に載せ、床の間のお供えの左側に供えます。年始に来客があると、年始の挨拶をした後に、主人がお盆に載せた昆布をお客の前に差し出します。お客は手を揃えてそれを受け取り、軽く頭を下げてから主人に戻し、それを受け取った主人が元の場所に戻す。この一連の所作を「お出かけ昆布」と呼び、かつては年始の挨拶にお客が来るたびに繰り返していました。

お出かけ昆布

さらに、小正月ですが、山形市、上山市、西川町、南陽市、白鷹町には「だんごさし」といってミズキの枝(団子の木)に団子を差し、「ふなせんべい」などを吊り下げ、大黒柱に麻縄などで結わえつけ、農作物の豊作を祈る行事があります。その際に、上山市ではその麻縄の上を昆布で巻きつけ、西川町ではミズキの根もと飾りとして、切り口を昆布で飾ります。

お盆における昆布の食以外の利用

調査の結果、盆棚や盆飾りに昆布を利用しないという地域が多数を占めていたものの、酒田市や真室川町、鮭川村のような秋田県に近い地域ばかりでなく、村山市や天童市、河北町のように県中央の内陸部の宮城県に近い地域にも見られたほか、白鷹町、長井市、南陽市、高畠町、米沢市といった県南の内陸部の福島県に近い地域でも見られることがわかりました。

 

秋田県の盆棚の飾り

鮭川村では、仏壇飾りとして、仏壇の前にミゴ(藁の芯)でなった紐を張り、素麺、昆布、ふのりをかけ、それに小さな青リンゴを2個ずつ、5~6組くらいかけて飾ります。南陽市では、仏壇の前に棚を作り、カヤで棚の前に門を作って太い糸を張り、盆リンゴ、長ささぎ、ソーメン、昆布、ホオズキの5種類を飾り物としてさげます。また、長井市では、祖先をまつる仏壇の前には魂棚を置き、その両わきに笹竹を立て、上に横に笹竹を結びつけて門のような形にし、それにソーメン・昆布・長ささぎ・夏リンゴ・ホオズキなどを左右対象に2通りかけます。

山形県およびその周辺地域における昆布の食以外の利用

山形県内において多様な昆布の食以外の利用の事例が確認できる背景としては次のような要因が考えられます。

1)酒田湊と最上川舟運

江戸の経済発展と人口増加により米不足が深刻化したため、最上川流域の幕府領から年貢米を運ぶための航路が必要となり、河村瑞賢によって酒田湊を起点とした西廻り航路がされました。幕府領から年貢米を運ぶ最上川舟運は紅花、青苧、なたねなどの特産品を運び、酒田からは塩、紙などの生活物資のほか、日本海の海産物を運び、物流の大動脈としての役割を担うことになります。最上川舟運によって日本海の海産物がもたらされた地域では独自の料理や食べ方が生まれたとされていて、たとえば寒河江市には秋の彼岸の時期に「えご」や「あらめ」食べる習慣があります。このように、酒田の廻船商人や行商人が他の海産物とともに蝦夷地の産物である昆布を運び、流通させたことが、山形市、村山市、大石田町、新庄市、鮭川村、南陽市、酒田市といった最上川流域に多様な昆布の利用が見られることの要因として考えられます。

2)複数の藩による分割統治

山形県はもともと県南の置賜地方に位置する米沢藩とそれ以外の最上藩によって構成されていました。ところが、最上騒動と呼ばれるお家騒動によって1622年に最上家が改易になると、最上藩は鳥居忠政の山形藩、酒井忠勝の庄内藩、戸沢政盛の新庄藩、松平重忠の上山藩に分かれ、さらに米沢藩に加え、松山藩、天童藩、長瀞藩などが県域に成立することになります。鳥居忠政は矢作藩主から磐城平藩主、酒井忠勝は越後高田藩主から信濃松代藩主、戸沢政盛は常陸松岡藩主、松平重忠は横須賀藩主であったことから、藩が小さく分かれ、各藩主が他地域からやってきたことで異なる文化が流入し、山形県内各地に多様な風習が生まれました。

特に、県南の置賜地方に位置する米沢藩は鎌倉時代には長井家、室町時代から戦国時代にかけては伊達家、その後蒲生家を経て上杉家が江戸時代を通じて治めたために独特の文化が育まれました。上杉家の旧領地が上越市であったことから新潟県西部との関係が深く、また豊臣政権下で上杉家が福島城下を領地にしていたことから福島との関係も深いとされています。こうしたことが、お盆における昆布の食以外の利用が置賜地方に属する米沢市、長井市、南陽市、高畠町、白鷹町に集中して見られるひとつの要因になっているのかもしれません。

3)松前藩の領地と預かり地

1854年に日米和親条約が結ばれ、蝦夷地の箱館が開港されたことに伴って箱館周辺、木古内村以北の東蝦夷地、および乙部村以北の西蝦夷地が没収され、松前藩の領地が大幅に減少したことを受けて、幕府はその替地として陸奥国伊達郡と出羽国村山郡を与えるとともに、出羽国村山郡尾花沢幕府代官所領を松前藩の預地としました。これらは飛地領でしたので城下と同程度の役人を配置できるものではありませんでしたが、ある程度の役人とその家族の移動があったことや、これらの領地の年貢米が松前城下に廻漕されることに伴う人びとの移動や交流もあったことが考えられます。また、松前商人などを介してこれまでよりも多くの蝦夷地の特産物がこの地に流入するようになった可能性もあります。当時の尾花沢幕府代官所領に位置していた大石田町次年子に昆布を用いた「お出かけ昆布」という風習が残っていることもその名残なのかもしれません。

 

おわりに

今回の調査では、限られた時間と地域の中でできる限りの事例収集とその分析に努めましたが、決して十分な結論が得られたわけではありません。今後も各地域のより詳細な事例を収集するとともに周辺地域の事例も収集、検討していくことで、日本の地域文化における昆布の食以外の利用の実態をより明確なものにしていきたいと考えています。

特に、南陽市において確認された鏡餅に巻き昆布を用いる事例については、これまでは日本海沿岸地域、とりわけ北陸から山陰、九州北部に「巻き昆布文化圏」を想定して事例の収集を行ってきましたが、ここにきてその想定を見直す必要が出てきました。今後は、日本海沿岸地域での事例収集を継続しつつ、藩の転封や人の移動に着目しながら「巻き昆布文化圏」について改めて検討していきたいと考えています。

また、山形県内において昆布の食以外の利用に関する多彩な事例が確認できる背景には上記の3つが考えられるものの、仮説の域を脱しないことから、それらの検証についても今後の課題とします。

他方で、お盆における昆布の食以外の利用については、秋田県に隣接する地域ばかりでなく、宮城県や福島県に隣接する県南地域にも確認されたことから、それが広範囲に広がっている可能性が出てきました。また、この盆飾りに利用する昆布の多くが細長い「ホソメコンブ」であることから、三陸海岸でとれた昆布を使用してきた可能性が高く、岩手県や青森県にも目を向け、その関連性について調べていく必要があると考えています。

 

謝辞

最後になりましたが、ご多忙のところ、調査を快く引き受けていただいた方々、特に聞き取り調査にご協力いただいた方々に深く感謝いたします。

なお、本調査は、クラウドファンディングプロジェクト「昆布を用いた正月飾りの全国調査で、その歴史的背景を明らかにしたい!」にお寄せいただいた支援金により実施しました。相田一郎様、arima様、石原久司様、大嶋聰誠様、cowの会様、吉地望様、絹川英敏様、齋藤博之様、ササキダイスケ様、satake様、篠田泰之様、菅原美恵子様、田村常雄様、長澤史記様、西野耕平様、奴久妻駿介様、能勢かおり様、柊野テックコモン合同会社様、本宮洋幸様、真殿修治様、道林千晶様、山上拓也様、遊佐順和様をはじめとする50名のみなさまからクラウドファンディングにより多大なるご支援をいただき、心よりお礼を申し上げます。

参考文献

  • 酒田市史編纂委員会編, 『酒田市史』, 酒田市, 1964.
  • 南陽市史編さん委員会編, 『南陽市史』, 南陽市, 1991.
  • 大岸克洋, 「松前藩東根領と酒田買替米」, 『松前藩と松前 松前町死研究紀要』, 20:47-69.

この記事を書いた人

齋藤貴之
齋藤貴之
北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了後、同研究科専門研究員、同大学総合博物館職員、京都文教大学総合社会学部実習職員、星城大学リハビリテーション学部専任講師を経て、北海道武蔵女子短期大学教養学科准教授。専門は民俗学、文化人類学。日本の職人文化、特に現在も営業を続ける鍛冶屋に関する調査研究を行いながら、現在は北海道の昆布が日本全国でどのように利用されているのか、特に昆布の食以外の利用に注目して調査研究に取り組んでいる。