文化と人類と学問と – 常識を問う営み

文化人類学。「文化」を研究する学問であるということは字面からおわかりでしょう。しかしここに「人類」が付くと途端にわかりにくくなります。ごくごく簡単にいえば、異文化を理解する学問、といえます。

我々の扱う文化とは、芸術や芸能といったものだけではなく、人間の営みに関わることを指しているといえます。実際、人類学と名の付くものだけでも、医療人類学、経済人類学、科学人類学、宗教人類学……と枚挙にいとまがありません。それぞれの人類学者が各々のテーマを持ち、フィールドワークを通して知った文化を理論を用いて理解しようとするのが文化人類学の営みです。とはいえ、実例がないと些かわかりにくいので、私の研究を紹介させていただきたいと思います。

魔除けのフィールドワークのため、京都からスペインへ

私は「魔除け」というテーマを追って研究しています。最初は呪術や魔術といったあまりに非現実的に思えるものに興味を引かれたことがきっかけでしたが、文化人類学の世界に入ると、それは御守りや魔除けといった形で、非現実どころか、ありありとリアリティを持って存在していることを知りました。

文化人類学を行ううえで欠かせないのが長期のフィールドワークです。学士課程・修士課程では京都の魔除け文化を研究してきましたが、博士課程になった現在はフィールドをスペインへと移して研究をしています。そのまま京都で調査を続けることも可能でしたが、海外での長期間の調査は博士課程在学中でないと難しく、周囲の人類学者の大多数が海外で調査をしていることに対して取り残されたような感覚を抱いていた自分にとってまたとない機会だと思い、スペインでの調査に踏み切りました。

私がスペインで研究している「魔除け」は、御守りのようなモノでもあれば、何がしかの悪影響をもたらす存在を祓う行為でもあり、総称して「魔除け」としています。

ここで、私が今調査している民間療法師(以下、Iさん)の魔除けの施術を簡単に説明しましょう。彼女は霊気(REIKI)1というエネルギーを扱い、人々が持つ身の回りの問題に対処します。その問題は多岐に渡りますが、彼女を訪れる多くの人が、仕事や健康、人間関係等に関する問題を抱えています。Iさんは彼らの問題に対し、霊気や磁気療法2、ダウジング、カトリック聖人への祈りなどさまざまな手法、そしてアルコールやハーブで作った薬などを組み合わせて施術を行います。

では、文化人類学的な視点から、彼女の仕事をどう分析できるか、荒削りではありますがお話ししたいと思います。まずは、私のフィールドノートの一部をご紹介します。

スペインで実際に目にした呪術の現場

2019年5月 フィールドノートより

男性がIさんのもとを訪ねてきた。昨夜から急に肩が痛み始めたのだという。Iさんは水を張ったグラスを用意し、オリーブオイルを3滴落としてその様子を伺う。油滴の動きを見ながらぶつぶつと言葉を唱え、「誰かが魔術師に依頼をして、呪術をかけている。呪う相手に見立てた人形を用意して、マチ針を指すんだ」と話した。Iさんはハーブをアルコールに漬けて作った液体や膏薬を手に取り、男性の患部をマッサージする。男性は痛みのあまり唸り声を上げる。男性はこの村に引っ越してくる前、大都市に住んでいた。当時の生活は仕事も順調で不自由がなかったが、そのことを妬む者により呪術がかけられていたという。男性は「奥さんの姉が昔から意地が悪く、彼女が呪いをかけたのだろう」と語った。

「西洋/近代」という幻想 – 社会的背景と魔術

この事例から、いったいスペインの何が伺えるのでしょうか。前提として、Iさんの仕事が行われているのが「西洋近代」と呼ばれる社会、つまり、未開や後進的という風に考えられてきた「非西洋」とは対置される、より発展したとされる社会です。

文化人類学ではかつて、「非西洋」社会で行われる事象をめぐり、合理性論争というものが起こりました。これは、「非西洋」社会で、「西洋」から見れば非合理的な呪術、儀礼などが行われるのはなぜかというテーマをめぐっての論争です。すでにおわかりのように「西洋」自体は呪術や魔術といった非合理的な物事からは遠い存在とされています3

しばしのあいだ、このことを文化人類学は自明視してきました。しかし近年ではそういった「西洋」という概念を相対的に捉えようとする主張も起こっています。私の研究の骨子はここにあり、「『西洋』は一枚岩ではあり得ない」ということです。西洋は、魔女狩りや異端審問といったキリスト教の教義から外れた異端の排除や産業化を経て近代に「なってきた」歴史を持ちます。そんな西洋の一部であるスペインにも、「西洋」が「非西洋」的であるとして唾棄した非合理的な部分、つまり呪術や魔術の類は依然として存在するのです。

事例に立ち返りましょう。大都市での仕事に恵まれた豊かな生活を妬まれたというケースからは、スペインの経済状況が伺えます。2008年以降世界的に広がった経済不況のあおりを受け、スペインでも失業者が増加。一時は若者の失業率が40%にのぼりました。現在も不況は続き、政府や自治体の対失業政策も十全には機能していません。その状況下で、嫉妬の感情から行われた呪術と、それを解除するための治療。もし世が世であれば、Iさんも魔女の烙印を押されていたことでしょう。いかに前近代を経て「非西洋」から脱したと主張しても、「西洋」は完全に近代的ではなく、むしろ「非西洋」社会のなかにあると自ら指摘した非合理的な部分をも内包する、種々の要素のハイブリッドであると考えられます。さらに言えば、「近代」的な部分によって引き起こされた経済不況という問題が、今回のような事態を引き起こしたと言えるでしょう。

文化の差への違和感を通して、異文化を理解する

今回は、スペインで行われている民間療法と呪術についてお話ししました。こういった事象は現地に今も当然のように存在しており、私はそれらを日々衝撃を持って目の当たりにしています。我々人類学を学ぶ者がフィールドワークを行うのは、そうした自分の文化とは異なる文化を学ぶためです。

特定の社会、文化のなかにはそれぞれ「普通」というものがあります。そのため、Aという「普通」を持った人間が、Bという「普通」を共有している文化に入ると、普通Bは新規性を持って(つまり「非・常識」に)感じられるはずです。それぞれの「普通」のあいだにある差は、人間の営みにとって重要な意味を持ちます。差を感じることを通して、その土地の文化と自身が育ってきた文化の違いに気付き、その気付きが、両方の文化を理解することにつながると考えます。

文化人類学という学問がフィールドワークという行為と切り離すことができない理由はここにあります。フィールドワークでは、自分のテーマに関すること以外にもさまざまなことを学びます。家畜の世話、道端に生えているハーブの種類や使い方、町の栄枯盛衰の歴史、など、数え始めたらきりがありません。フィールドワークはまさに、越境を経験するために行うのです。フィールドワークを通して学んださまざまなこと、自分にとっての異文化、自分で体験した異文化を、記録し、記述し、理解する。民俗学などに近い学問でありながら、ただ人々の生活世界を描写するにとどまらず多様な文脈を鑑みてその文化を理解しようとするところに、文化人類学のおもしろさがあります。

私にとっては文化とは、全景のつかめない地図のようなものです。文化がある土地に足を運んで、見聞きして切り取ってきた断片を繋げていくという営みが、とてもおもしろく感じられます。それぞれの断片が思わぬところで繋がり、私なりの地図ができあがっていき、さらにはその読み取り方を示す理論を構築する。これが文化人類学をやる醍醐味でもあり、嬉しさでもあります。文化人類学は、フィールドワークと座学が重なるところにある学問であるということも、自分には合っているのかもしれません。

参考文献
森明子編 2004『ヨーロッパ人類学 近代再編の現場から』新曜社

脚注
1 臼井甕男という日本人が創始者である、宇宙のエネルギーを自分の体を媒体として患者に送りこむことで癒す技法。世界各国で講座が開かれ、スペインでもレベル1〜3と講師資格を取得可能。
2 磁気療法(スペイン語magnetismo):磁力によって血行を促進するなどの効果が得られるとされる。
3 西洋が非西洋から発展した社会であることを前提としたこの考え方は、近年では進化論的・西洋中心主義的であるとして概ね支持されていない。

この記事を書いた人

土谷 輪
土谷 輪
大分県佐伯市出身。慶應義塾大学商学部卒、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程(文化人類学)。現在はスペイン内陸部エストレマドゥーラで環境や経済や食、現代史に関するオーラルヒストリーを中心に調査、研究を行う。京都の祭礼や民間信仰についても調査を行う。

近年の著作
國見一信・土谷輪監修(2023)『世界の魔よけ図鑑』岩崎書店/土谷輪(2023)「食べ物の中の履歴 : マタンサとその肉製品の事例から」『年報人類学研究』14, p. 16-30.