パンデミックという言葉も、今となっては頭の片隅にしか残っていない世のなかになってきたと感じます。未知の病気という映画のなかでしか想像できなかったような出来事で、ひととひとが分たれ、私は見通しのつかない明日に怯えていました。それは世界のなりゆきへの不安でもありましたが、文化人類学を専門とする自分自身のフィールドワークについての不安でもありました。文化人類学という分野で博士論文を書くには1年以上の長期のフィールドワークを行うことになりますが、その必須要件をもクリアできない状況に導いたのもまた、パンデミックという自分ひとりではどうにもできない事象でした。

恐怖の到着

COVID-19という言葉が知られ始めた2020年のはじめ、私はスペインのエストレマドゥーラという内陸の地域でフィールドワークをしていました。フィールドワークというと聞こえがいいかもしれませんが、そこに住み、そこに住むひとびとと対話し、その生き方を体で学ぶという、なんとも地道な作業の繰り返しです。時にはインタビューの予定を組んでもらい、時にはヤギの乳搾りをすることもありました。

そんな日々を過ごしていると、日本大使館からメールが続々と届いてきます。「どこそこの場所で何人の陽性者が出た」という、私たちがちょっと前まで一喜一憂していたあの情報が手元に届く。当時はそんなに大事になるとは、おそらく村の誰も思っていませんでした。瞬く間に広がる感染者、首都マドリードではアイススケートリンクが仮設の遺体安置所となるほどの混乱、そして都市から逃れる人々が村にやってくる。スペイン首相が緊急事態宣言を発してからしばらく、村は恐ろしいまでに静まり返っていました。

外出制限が出されたまさにその瞬間、私は村から少し離れたヤギ飼いの友人の畜舎で仕事を手伝っていました。そこからは、村のシンボルである小高い丘と、その上にそびえる古城がよく見えます。「緊急事態宣言が出たらしい」「外出制限が出ているから、村に帰るときに警察に捕まらないだろうか」という話をしながら古城の方を眺めていました。

古城は相変わらず同じ輪郭を描き、雲はいつも通りに流れていく。人間たちの不安や焦燥はまったく気にかけていない様子でした。

私はそこから国境が閉鎖されるまでに一時帰国をしなければと、バタバタと荷物をまとめ、移動制限も出ていたため友人たちにろくに挨拶もできず村を見送りました。それが3年ほどにもなる一時帰国となるとは考えてもいませんでした。

幻想のフィールドワーク

それからの3年弱、フィールドワークができない状況というのは例えようがありませんが、自然科学の研究に強いてたとえるなら実験室に入れない、実験器具が使えない、というようなものだったかもしれません。現地に行けないのならこの機会にと、文化人類学の古典や理論書もたくさん読みましたが、「文化」というとりとめのないものを研究する者として、本を読んでいるだけではやはり何も論じることができない無力さを痛感し続けました。

「スペインにこだわらなくても、別の調査地を日本で探せばいい」と言われたこともあります。しかし、自分の研究が進まないからという理由で、調査地の村のひとびとのことを切り捨てることは私にはできませんでした。この判断のせいでパンデミックの3年弱は自分の首をしめることになりましたが、それは私なりに、スペインの村では他所者である私を支えてくれていたひとたちに向き合った結果だと、今では誇りに思います。

フィールドワーカーたるもの、あらゆる日常をフィールドに調査をすることができる、というポジティブな言葉を発信してくれた先人たちもいました。ですが、皮肉に聞こえるかもしれませんが、私が同じことをしても、フィールドワークも完遂していない文化人類学者未満の博士課程のぼやきと一蹴されるだけでした。焦ってもしかたのないことばかりでしたが、どうにかしてフィールドワークをしなさい、と語りかける文化人類学者たちの言葉は、ある意味で無責任にも聞こえたし、またそれ以外にかける言葉がないようにも聞こえました。

それでも、パンデミックも悪いことだけではなかったと、今では感じます。それを経ていろんなことがわかりました。人間がふだん隠している醜悪な部分、パンデミックにより乱れた「当たり前」を支えていたもの、ひとびとが困難に対して手をとりあうことができる可能性。

それらを踏まえ再びフィールドに立ち戻っても、「アジア人が例のウイルスをばらまいたんだろう」と、怒りと疑惑の矛先が私に向けられることもありました。私はやりようのない悲しみにくれましたが、慰めてくれたのもまた、フィールドで出会った友人たちでした。

フィールドワークはじつにいろんな条件により担保され行うことができます。それを経たところで私に「文化」を語る権利があるわけでもありませんが、長い時間をフィールドで過ごすことでしかわからないこともまた、あるはずです。

 

 

この記事を書いた人

土谷 輪
土谷 輪
大分県佐伯市出身。慶應義塾大学商学部卒、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程(文化人類学)。現在はスペイン内陸部エストレマドゥーラで環境や経済や食、現代史に関するオーラルヒストリーを中心に調査、研究を行う。京都の祭礼や民間信仰についても調査を行う。

近年の著作
國見一信・土谷輪監修(2023)『世界の魔よけ図鑑』岩崎書店/土谷輪(2023)「食べ物の中の履歴 : マタンサとその肉製品の事例から」『年報人類学研究』14, p. 16-30.