「何を見ても何かを思い出す」 – サルの脳活動からわかった記憶をささえる柔軟な神経回路
「ものを見て、ものを思い出す」
私たちは、目にしたものから関連した他のものを思い出すことができます。「小さかったころの写真を見て、当時のことを思い出す」といった経験は多くの人にあるでしょう。こうした「ものを見て、ものを思い出す」といった2つの認知プロセスには、大脳の側頭葉とよばれる領域の神経細胞(ニューロン)が関与していると考えられています。
これまでの研究により、側頭葉ニューロンは記憶の記銘(覚える)や想起(思い出す)の際に強く活動することが知られています。しかし、これらの側頭葉ニューロン群が、「ものを見た」知覚情報から記憶を想起する際にどのように協調して働くのか、その背景にある神経回路や動作原理はほとんどわかっていませんでした。
そこで本研究では、それらの記憶メカニズムを明らかにすることを目的に、記憶課題を学習したサルを用いて、「ものを見て、ものを思い出す」(cued recallとよばれます)際の側頭葉神経回路のはたらきについて調べました。
脳のはたらきに関する仮説
神経回路のはたらきを調べる際に、私たちは複数の脳内モデル(仮説)を立てました。
ひとつ目のモデルは、ある側頭葉ニューロンは、ものを見ている際も、ものを思い出す際も同じ神経回路に組み込まれていて、cued recallの2つの認知プロセスとも同じニューロン群から情報を受け取り、また同じニューロン群に情報を送っているというモデルです。こうしたニューロンが複数存在することで、さまざまなものを見て、さまざまなものを思い出す私たちのこころのはたらきが実現していると考えました。
もうひとつのモデルは、ある側頭葉ニューロンは、ものを見ている際と、ものを思い出す際では、別の神経回路を構成しており、cued recallの2つの認知プロセスでは、別々のニューロン群に情報を送っているというモデルです。
これらのモデルを検証することは、私たちが日常で無意識に行っているcued recallの脳内処理過程を解明するために必須だと考えました。特に、後者のモデルが正しいとすると、情報を送るニューロン群は皮質層単位に異なるのではないかと考えました。皮質層とは、解剖学的に決定される脳の構造であり、各皮質層には異なる情報処理過程を担うニューロン群が存在することが知られています。
サルが図形を思い出すときの脳活動を計測
モデルを検証するために、まず、サルに対になった視覚図形を学習させ、ある図形を見たとき、対の図形を思い出すように訓練しました。このcued recallを調べるために用いた記憶課題は対連合記憶課題とよばれ、脳に損傷を受けた患者さんの記憶障害の程度を測る際にも用いられます。
次に、課題遂行中のサル側頭葉の36野とTE野とよばれる2つの領域の神経活動を同時に計測しました。この2つの領域は隣接しており、ともに記憶に関連するニューロンが多く存在することが知られています。36野の計測では、タングステン電極と呼ばれる電極を用いて計測しました。一方、TE野の計測では、近年開発された多点リニア電極を用いることで、複数の皮質層の神経活動を同時に計測しました。
そして、36野の神経活動とTE野の各皮質層の神経活動が、図形を見たときと対になった図形を思い出す際に、それぞれがどのように協調して働くかを、コヒーレンスとよばれる指標を用いて解析しました。
神経回路は皮質層レベルで柔軟に切り替わる
解析の結果、36野ニューロンの神経活動の一部は、図形を見たときにはTE野の浅層とよばれる皮質層と協調的に働くことがわかりました。一方、対となる図形を思い出す際にはTE野の浅層との協調的な活動は消失し、かわりにTE野の深層とよばれる別の皮質層と協調的に働くことがわかりました。つまり、ものを見たときはTE野の浅層、思い出す際にはTE野の深層に神経回路を切り替えることを発見しました。
また、こうした性質を示す36野ニューロンの活動は、想起する図形そのものを表象していることがわかりました。
さらに、これらの領野間を伝達する信号は、図形の知覚時、想起時ともにTE野の皮質浅層のニューロン活動に影響を与えていることがわかりました。サルが正しく対の図形を思い出したときと思い出すのに失敗したときのこの信号カスケードを比較したところ、この神経回路の切り替えがうまくいかないとサルは正しく図形を思い出すことができないことも明らかとなりました。
今回の研究では、私たち人間を含む霊長類が、「ものを見て、ものを思い出す」際に、神経回路が大脳の皮質層レベルで柔軟に働きを切り替えている記憶メカニズムを発見しました。
このメカニズムの解明は、記憶の想起に関わる大脳ネットワークの動作原理がより理解されるだけではなく、記憶障害時の側頭葉の神経回路の働きを皮質層レベルで見ることで、脳の活動をもとにしたより精度の高い治療にもつながると期待されます。
注:本タイトルは、ヘミングウェイの短編よりとっています。
参考文献
Masaki Takeda, Toshiyuki Hirabayashi, Yusuke Adachi, Yasushi Miyashita. Dynamic laminar rerouting of inter-areal mnemonic signal by cognitive operations in primate temporal cortex. Nature Communications 9, Article number: 4629 (2018). (Open Access)
この記事を書いた人
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竹田真己(Masaki Takeda)
高知工科大学総合研究所特任教授。2005年、東京大学大学院医学系研究科博士課程単位取得済み退学。同大学助手、助教、特任講師、順天堂大学大学院医学研究科特任講師、特任准教授を経て2018年より現職。ヒトや生物学上ヒトに最も近い霊長類(サル)を用いた神経科学研究を通じて、わたしたちの心のはたらきを支える神経回路の作動原理に迫りたいと考えています。
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