気相中のニオイ分子を検出する細胞パネル – 嗅覚のはたらきに迫る!
ニオイセンサーとしてはたらく嗅覚受容体
嗅覚受容体は生物のニオイセンサーとしてはたらくタンパク質です。主に、鼻の中にある嗅神経細胞の細胞膜に存在し、嗅覚受容体が環境中のニオイ分子と結合すると、細胞内に存在する他のタンパク質の活性化によるシグナル伝達を引き起こし、そのシグナルは嗅球を経て最終的に脳へ伝わります。
嗅覚受容体をコードする遺伝子は、ヒトでは約400種、マウスでは約1200種が機能していることがわかっています。また、ひとつの嗅覚神経細胞には1種類の嗅覚受容体が発現していることがわかっています。
このことから、嗅覚ではひとつの嗅覚受容体がひとつのニオイセンサー素子として機能し、無数のセンサー素子が同時に機能していることになります。ひとつの嗅覚受容体は複数のニオイ分子と結合できること、また、ひとつのニオイ分子は複数の嗅覚受容体を刺激できることから、生物の嗅覚では鼻で機能しているすべての嗅覚受容体の応答パターンを集約・分析してニオイを捉えているいると考えられています。
気相中のニオイ分子を発光で検出するアッセイシステム
嗅覚が認識する物質はすべてニオイ分子であり、ニオイ分子には水に溶けにくい化合物も非常に多くあります。一方で、嗅覚受容体の研究で使用する細胞の培養は培地中で行う必要があり、これまでの研究では多くの場合、ニオイ分子を培地やバッファーに溶かして、そのニオイ分子溶液で嗅覚受容体を刺激するという手法が取られていました。
我々のグループは今回、気相中のニオイ分子を検出するという、より動物本来の嗅覚機構に近いシステムで嗅覚受容体のニオイ分子応答をモニタリングする手法を開発しました。具体的には、次のような方法で気相中のニオイ分子を検出します。
まず、プレートリーダーの内部で測定したいニオイ分子溶液を揮発させ、検出装置内にニオイが充満した環境を作ります。そして、嗅覚受容体を発現する細胞を培養しているプレートの細胞培養穴のあいだにも同じニオイ溶液を添加し、直後にプレートリーダーに入れ、経時測定を開始します。こうすることで、時間経過とともに気相中のニオイ分子が細胞を覆っている溶液層に溶け込みます。この際、細胞に発現している嗅覚受容体がそのニオイ分子に応答したことがわかるよう、細胞内で生じる発光を検出する仕組みをつくりました。
気相中のニオイ分子検出では、嗅覚受容体の溶け込んだニオイ分子応答をリアルタイムで検出することが重要になるため、Glosensor(プロメガ社)という特殊なルシフェラーゼ(発光酵素)を利用しました。GlosensorはcAMP結合ドメインが組み込まれており、通常時は不活化状態になっています。細胞に発現させた嗅覚受容体がニオイ分子で刺激され、細胞内にcAMPが産生されると、cAMPとGlosensorが結合してルシフェラーゼ活性が復活するため、ルシフェラーゼ‐ルシフェリン反応による生物発光が短時間で生じます。これにより、気相中のニオイ分子を発光によりリアルタイムで検出するシステムを構築することができました。
複数種の嗅覚受容体でニオイ分子を検出・識別する
次に、マウスの嗅覚受容体のなかから実験に適した嗅覚受容体を選抜するために、従来のニオイ分子溶液を用いたアッセイシステムを用いて、7種のニオイ分子に対するスクリーニング試験を行い、反応性の異なる31種類の嗅覚受容体を選びました。この31種類の嗅覚受容体を個々に発現させた細胞を、96穴プレートで培養し、嗅覚上皮の嗅覚神経細胞を模倣した環境をつくりました。
この環境を用いて嗅覚受容体が気相中から溶け込んだニオイ分子に応答するか試験したところ、多くのニオイ分子において、0.01%以下の濃度のニオイ溶液の揮発成分に対して、複数の嗅覚受容体発現細胞が応答を示すことがわかりました。なかには0.0001%の濃度のニオイ溶液の揮発成分を検出できる高感度な嗅覚受容体や、1分程度で検出できるニオイ分子-嗅覚受容体の組み合わせもありました。
また、31種類の嗅覚受容体の応答の違いを分析することで、たったひとつのメチル基の分子構造が異なるニオイ分子も区別できることがわかりました。応答の良い嗅覚受容体のなかには、前日に使用したニオイや、実験室のほかのニオイに応答してしまう場合もあり、実験環境を普段よりも整える必要があります。
またこの手法は、細胞を覆っている液相中に他のタンパク質などを添加することができます。そこで、マウスの嗅覚神経細胞を覆う嗅粘液に含まれる代謝酵素が存在する環境を作ったところ、ニオイ分子に対する応答が変化する嗅覚受容体があることがわかりました。おもしろいことに、この代謝酵素による変化も嗅覚受容体ごとに異なりました。
つまり、空気中のニオイ分子は、嗅覚粘液に溶け込んだ後、さまざまな代謝酵素による影響を受けることで、より複雑なニオイ分子環境となり、そのニオイ分子環境に数百種類の嗅覚受容体が応答した結果、生物はニオイを感じ、識別していると考えられます。
優れたはたらきをもつ嗅覚 – ニオイ応答プロセスの解明に向けて
嗅覚受容体は生物種ごとに数百種類が機能しています。今回私たちが開発した”Vapor stimulation アッセイ法”によって、その個々の嗅覚受容体のニオイ分子応答性は、ある特定のニオイ分子への応答に特化した受容体(Specialist)から、幅広いニオイ分子に応答する受容体(Generalist)までさまざまなものが存在していること、また複数の嗅覚受容体の応答パターンを分析することでニオイ分子のわずかな違いすら区別することができることを実証しました。
嗅覚受容体のニオイへの反応実験では、マウスなどの動物の反応と嗅覚受容体発現細胞の反応では一概に同じ応答を示しません。これは、ニオイ分子が溶け込む嗅覚粘液に存在するタンパク質などがニオイ分子に作用して嗅覚応答に影響を与えているためと考えられます。今回開発した検出手法は、実際の嗅覚におけるニオイ応答プロセスを模倣しているため、ニオイ分子が嗅覚受容体と結合するまでに起きている現象の解明に役立つと考えられます。
空港の麻薬探知や災害時の災害救助で活躍する警察犬、感染症患者やがん患者を発見する診断犬など、イヌの嗅覚は非常に高感度ですでに広く活躍しています。これらのイヌは特殊な訓練を必要とするため、非常にコストがかかっています。しかし、現時点でイヌに勝るニオイセンサーが開発されていないため、コストがかかってもイヌを使うことの利点は大きいです。イヌに限らず、食品や化粧品の生産現場における官能評価は人によって行われていることからもわかるように、分析技術が発達した現在も多くの場面で嗅覚は活躍しています。
ニオイのもととなる個々の化学物質の分析・同定技術の技術開発は非常に進んでいます。しかし、未だにイヌが感じているがん患者のニオイ分子マーカーは同定されていません。おそらくは、同定されていないのではなく、すでに見つかっている分子の構成バランスのわずかな違いが重要なのかもしれません。
今回我々が開発した嗅覚受容体解析手法は、さまざまなニオイをターゲットに、複数の嗅覚受容体の応答をモニタリングすることができます。このシステムは生物の嗅覚に近い応答を視覚化できることから、現時点で解明されていない嗅覚のもつ優れた特性の基礎研究・応用研究に活用できる手法であると期待されます。
参考文献
- Buck L, Axel R. A novel multigene family may encode odorant receptors: a molecular basis for odor recognition. Cell 65, 175-187 (1991)
- Serizawa S, Miyamichi K, Sakano H. One neuron-one receptor rule in the mouse olfactory system. Trends in genetics : TIG 20, 648-653 (2004)
- H. Kida*, Y. Fukutani*, J.D Mainland*, C. demarche, A. Vihani, YR. Li, Q. Chi, A. Toyama, L. Liu, M. Kameda, M. Yohda and H. Matsunami, (* Equal contribution) Vapor detection and discrimination with a panel of odorant receptors, Nat. commun, 9(1): 4556 (2018)
この記事を書いた人
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東京農工大学大学院工学研究院 生命機能科学部門 助教
東京農工大学大学院工学府生命工学専攻博士後期課程修了 博士(工学)。日本学術振興会特別研究員、民間企業研究員を経て、2015年8月より現職。
嗅覚を模倣したニオイセンシング技術の開発に向け、哺乳類嗅覚受容体の機能的発現法の開発、嗅覚関連タンパク質の機能解析などの研究に従事。
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